先日3回シリーズで掲載した受験生なのにを読まれた読者の方から、
コメントをいただきました。
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この記事を読んで、私は違和感を感じました。
親が子どもに勉強しろということの、何がいけないのでしょうか?
きっとこの母親は、子どものためを思うからこそ、勉強しろと言ったのだと思います。
子どももうるさいと思いながらも、いずれ近い将来、
親が言ってくれた言葉のありがたみを感じるはずです。
MIの記事を読んでいると、どうも、
叱るよりニコニコしているほうがいい、そんなふうに思っている人にとって都合のいい
面接スタイルなんじゃないかと感じる時があります。
確かにそれの方が楽でしょう。
叱るほうだって、叱りたくてやっているわけではない。
親の胸の内が子どもに分かるのか…そう思わずにはいられない時も、
親だったらあるはずです。
失礼ながらこのブログを書かれた人は子どもをお持ちではないのではないかと思いました。
相手のことを思うからこその、苦言や助言は、
人として当たり前のことであって、それを無理にしないようにしているMIに、
私は奥歯に物が挟まった感じがして違和感を感じています。
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コメントをくださった方は、親であれば子どもに指示するのは時に必要なことであり、
それは親心からなのだからこういう場面でMIを用いることに
違和感を感じられたということかもしれません。
確かに…危機が迫っているとき、明らかにこうしたほうがいいとわかっているとき、
MIは用いず、むしろはっきりと危険を知らせたり、助言したりするほうがよいでしょう。
おっしゃるように、親切心からくる言葉かけ、叱咤などこそ、必要な時はあると思います。
MIはあくまでの面接の一スタイルです。
すでに行動変化を始めていて、自分でいろいろとやっている人に対しても
MIは用いません。
MIは万能ではない。
そこを知ったうえで、どういう時にどう使うのか。
あるいはこの親子の事例では、指示や助言をした場合とMIを用いたときとの親子双方の印象の違いを
想像しながら、読者の方々でご判断くださればよいのかなと考えています。
*コメントをお寄せくださった方、ありがとうございました。
読者の方々に、ブログスタッフに考える機会を与えてくださっていること、
深く御礼申し上げます。
from ゆるーい思春期スタッフ