今朝は台風で大荒れ(><)
リンリンはちょっとだけお外へ。。。

サラは又お留守番?

お散歩嫌いで、全然痩せないねェ。。。(--;)
さて、台風被害、
我が家では庭の木ぐらいかな。
倒れかかった枝を切って。。。

やっと咲いてくれた、セイヨウニンジンボクの白花☆
先日、
義姉からワインが送られて来た♪
ワーイ♪\(^ω^\)( /^ω^)/ワーイ♪
と、喜んじゃいけない(^^;)
のし紙には『供物』
(ハッ!)
兄が早世し、残された義姉に、毎年父の命日を教えて貰ってる。。。
ホント、親不孝者だ(--;)
そして、今日はその父の命日。。。
:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜
父はあの戦争に召集され、終戦でシベリアに抑留された。
過酷な労働を経て帰国し、私が生まれたわけだが
一度も戦争話を聴いた事がない。
多分、思い出すのもイヤだったのだと思う。
帰国後、待っていてくれた元の職場の仲間と新会社を立ち上げ、
先頭に立って事業を展開した。
気性が荒く、誰よりも負けず嫌いだった父。。。
(わたしはそれを受け継いでる^^)
子ども時代はそんな父が怖くて怖くて(><)
父と話なんか、ほとんどしたことがない。
大体、毎晩遅くまで仕事に明け暮れ、ほとんど家に居なかったのだ。
そんな父だけど、酔っぱらって帰って来ると、
寝ぼけ眼の兄と私の前で、よく、こんな事を言ってたっけ。
「いいか、お前ら。しっかり勉強しろよ。ただ、勉強が大事なんじゃない。
勉強して頭を使う事が大事なんだ」
(怖いオヤジが酔っぱらって何を言うか)と幼心に思ってたけど(苦笑)
母が逝き、兄まで逝ってしまい・・・、
残された父と同居することになって、
初めて、あれこれ(ビール飲みながら^^)話すようになった。
※私がアルコールに強いのも父譲りだ。

酔いが回って、一度だけシベリアの話をしたことがある。。。
「大体『露助(ロスケ)』はバカなんだよ」
※ロシアの方、ごめんなさい。m(__)m
「朝の点呼の時、いつも人数確認が合わない。イライラして当り散らす。
そこで俺が皆を整列させ、縦×横で簡単に数えたんだ。
それだけで『おー!お前は頭がいい!』って喜んでさ。日本人ならあんなの当たり前だ」
それ以上は話さなかったけど、
それでロシア人の覚えが良くなったということかも?(笑)
そうそう、もう一つ、
シベリアから帰還した時の話も。。。
「船から日本が見えた時は正直嬉しかった。絶対生きて帰ると心に誓ってたから・・・」
ちょっと胸が詰まった。でも、その後が悪いの(^^;)
「で、それまで、サンザン俺たち新兵をいたぶった上官を、ボコボコにしてやった。アハハ~」
「ちょっとちょっとお父さん!それはダメでしょ」
って、娘からお説教したんだけど。。。(笑)
※しか~し、気性はホント、よく似てる^^
:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜
父の葬儀の時、
某企業の方が来られ、
貴女のお父様とは、今は弊社の○○工場になっているバラックの木造宿舎の床に座り
毎晩のように飲み交わしながら
これからの日本、これからの復興について、熱く語り合ったものです。
お互い意気に燃えていた時代でした。
遠い目で、そう話してくれた。。。

吹く風や 昭和は遠くなりにけり
※リンリンとサララは里親募集のサイトで出会った子です。
ペットブームの中で、可哀相な子が沢山います。
ペットを飼いたいと思ってる方に、
こんな選択肢もあることを知って頂きたいです。
↓犬猫の里親募集サイト
ペットショップに行く前に

にほんブログ村
リンリンはちょっとだけお外へ。。。

サラは又お留守番?

お散歩嫌いで、全然痩せないねェ。。。(--;)
さて、台風被害、
我が家では庭の木ぐらいかな。
倒れかかった枝を切って。。。

やっと咲いてくれた、セイヨウニンジンボクの白花☆
先日、
義姉からワインが送られて来た♪
ワーイ♪\(^ω^\)( /^ω^)/ワーイ♪
と、喜んじゃいけない(^^;)
のし紙には『供物』
(ハッ!)
兄が早世し、残された義姉に、毎年父の命日を教えて貰ってる。。。
ホント、親不孝者だ(--;)
そして、今日はその父の命日。。。
:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜
父はあの戦争に召集され、終戦でシベリアに抑留された。
過酷な労働を経て帰国し、私が生まれたわけだが
一度も戦争話を聴いた事がない。
多分、思い出すのもイヤだったのだと思う。
帰国後、待っていてくれた元の職場の仲間と新会社を立ち上げ、
先頭に立って事業を展開した。
気性が荒く、誰よりも負けず嫌いだった父。。。
(わたしはそれを受け継いでる^^)
子ども時代はそんな父が怖くて怖くて(><)
父と話なんか、ほとんどしたことがない。
大体、毎晩遅くまで仕事に明け暮れ、ほとんど家に居なかったのだ。
そんな父だけど、酔っぱらって帰って来ると、
寝ぼけ眼の兄と私の前で、よく、こんな事を言ってたっけ。
「いいか、お前ら。しっかり勉強しろよ。ただ、勉強が大事なんじゃない。
勉強して頭を使う事が大事なんだ」
(怖いオヤジが酔っぱらって何を言うか)と幼心に思ってたけど(苦笑)
母が逝き、兄まで逝ってしまい・・・、
残された父と同居することになって、
初めて、あれこれ(ビール飲みながら^^)話すようになった。
※私がアルコールに強いのも父譲りだ。

酔いが回って、一度だけシベリアの話をしたことがある。。。
「大体『露助(ロスケ)』はバカなんだよ」
※ロシアの方、ごめんなさい。m(__)m
「朝の点呼の時、いつも人数確認が合わない。イライラして当り散らす。
そこで俺が皆を整列させ、縦×横で簡単に数えたんだ。
それだけで『おー!お前は頭がいい!』って喜んでさ。日本人ならあんなの当たり前だ」
それ以上は話さなかったけど、
それでロシア人の覚えが良くなったということかも?(笑)
そうそう、もう一つ、
シベリアから帰還した時の話も。。。
「船から日本が見えた時は正直嬉しかった。絶対生きて帰ると心に誓ってたから・・・」
ちょっと胸が詰まった。でも、その後が悪いの(^^;)
「で、それまで、サンザン俺たち新兵をいたぶった上官を、ボコボコにしてやった。アハハ~」
「ちょっとちょっとお父さん!それはダメでしょ」
って、娘からお説教したんだけど。。。(笑)
※しか~し、気性はホント、よく似てる^^
:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜
父の葬儀の時、
某企業の方が来られ、
貴女のお父様とは、今は弊社の○○工場になっているバラックの木造宿舎の床に座り
毎晩のように飲み交わしながら
これからの日本、これからの復興について、熱く語り合ったものです。
お互い意気に燃えていた時代でした。
遠い目で、そう話してくれた。。。

吹く風や 昭和は遠くなりにけり
※リンリンとサララは里親募集のサイトで出会った子です。
ペットブームの中で、可哀相な子が沢山います。
ペットを飼いたいと思ってる方に、
こんな選択肢もあることを知って頂きたいです。
↓犬猫の里親募集サイト
ペットショップに行く前に


同席してみたい~!
素敵! 豪快! 男らしい!
ururuさんのお父さんとは違い、うちの祖父は出征した2回の戦争の話、話がよくわかってない幼児のあたしに対して、かなりの詳細を事実と言えども毎回毎回呪文のように吐き散らしてて、ほんと迷惑でした~、、、
そうそうロシアの悪口、独対露戦のこととか祖父も言ってたような?
それも、孫に露系が少し入ってるのを知ってて言うから、これも迷惑でw
お父さんとの素敵な想い出、なんだか羨ましいデス。。。
帰ってきたときのボクは4才ぐらいかな。ボクは親父の顔を初めて見たのです。
ボクの年代にはけっこう「親父はシベリア」がいました。
親父もシベリアの話はあまりしませんでしたね。
亡くなってすでに30年になります。
細川内閣のときに「苦労に対して慰労します」という書状と銀杯がきました。
10年ほど前にボクはひとりで舞鶴の引き上げ桟橋に行きました。
記念公園のようになっていていたるところに桜の記念樹が植わってました。
それぞれに「歩兵第〇聯隊一同」とか「第△病院従軍看護婦一同」といった碑銘がありました。見渡すかぎりありました。胸がつまりました。
今、北海道新聞では戦後70年記念として、
「同胞相食む」というコラムがあり、今日はシベリア帰りの方の経験談が紹介されていました。
過酷な労働+日本人同士のイザコザ・・・
戦争は敵国とだけで争うのではなく
本来味方同士であるべきものも争うようになってしまうのですね。
第2次世界対戦は、想像を絶する悲惨なことばかりですが、
シベリア抑留ほど理不尽なものはないと思っています。
笑ってやって~~
色々教えて頂いたんですねぇ。。。
それって貴重ですよ☆
それと、「独対露戦」
ハッとしました。
世界史弱かったので、ネット見ました。
先の戦争、日独伊と欧米、っていう安易な図式を思い描いてたけど、
もっと複雑に各国の思惑が絡んでたのねぇ。。。
教えて頂いてありがとうございます(^^)/
父が帰還した時、母に「この人だーれ?」って訊いたそうですよ。
それに親がシベリア帰りの人、
結構いますよね。
私の友人も何人か。。。
あらら?そう言えば我が舅もシベリア帰りだったような・・・?
(夫に訊いてみよう^^)
私の父も舞鶴に帰って来たのかなぁ。。。
全く聞かされておりません。
辛くて、思い出したくもない出来事なのでしょう。。。
正確には伝わってないようですね。
戦争という異常な環境では、まともに把握されていないのでしょう。
過酷な労働に不足する食料、
同胞との軋轢・・・
父には何一つ、いい思い出が無かったのだと思います。
日本の島影を見た時以外は。。