「浦島説話」を読み解く

「浦島説話」の時代を生きた古代人の人間観を歴史学、考古学、民俗学、国文学、思想哲学、深層心理学といった諸観点から考える。

“道(タオ)に帰る”

2010-11-19 23:50:26 | 深層心理学
「心理学者のC・G・ユングは、晩年の著作の一節で、友人の中国学者リヒアルト・ヴィルヘルムから聞いたある逸話について語っている。これは清朝末期、ヴィルヘルムが山東省の田舎で暮していたころ経験した話である。

大へんな旱魃(ひでり)があった。何か月もの間、一滴の雨も降らず、状況は深刻だった。カトリック教徒たちは行列をし、プロテスタントたちはお祈りをし、道教徒たちは線香をたき、銃を撃って、旱魃を起している悪鬼(デモン)たちを驚かせたが、何の効果もなかった。最後に、中国人たちは言った。
「雨乞い師を呼んでこよう。」そこで、別な地域から、ひとりのひからびた老人が呼ばれてきた。彼は、どこか一軒の小さい家を貸してくれとだけ頼み、三日の間、その家の中に閉じこもってしまった。四日目になると、雲が集まってきて、大へんな吹雪になった。雪など降るような季節ではなかった。それも非常に大量の雪だったのである。そこでリヒアルト・ヴィルヘルムは出かけて行って、その老人に会い、どんなことをしたのかとたずねた。彼は、まったくヨーロッパ風にこう聞いたのである。
「彼らはあなたのことを雨乞い師とよんでいます。あなたはどのようにして雪を降らせたのか、教えていただけますか?」すると、その小さい中国人は言った。
「私は雪を降らせたりはしません。私は関係ありません。」
「では、この三日間、あなたは何をしていたのです?」
「ああ、そのことなら説明できます。私は別の地方からここへやって来たのですが、そこでは、万事がきちんと秩序立っていたのです。ところが、ここの人たちは秩序から外れていて、天の命じるとおりになっていないのです。つまり、この地域全体が“道(タオ)”の中にいないというわけなのです。ですから、私も秩序の乱れた地域にいるわけで、そのため私まで、物事の自然な秩序の中にいないという状態になってしまったわけです。そこで私は、三日間、私が“道(タオ)”に帰って、自然に雨がやってくるまで待っていなくてはならなかった、というわけです(1)。」

晩年のユングの思想は中国的世界観に至りついたようなところがあるが、彼がこの話を興味深く感じたのは、ヴィルヘルムと老人の対話がまったくちがったものの考え方―つまり近代西洋と伝統的東洋の人間観・自然観のちがいーを示しているからである。ヴィルヘルムの質問のしかたは「まったくヨーロッパ風」である、とユングは言っている。ヴィルヘルムは老人に向かって、「あなたはどのようにして雪を降らせたのか」と問うている。つまり、人間の側から自然に対して、「なぜ?」「どのように?」と問うている。これに対して老人は、そんな問いはそもそも無意味であると言う。人間が自然の命じるままに生きていれば、物事は万事うまく調和している。だから私たちは自然に帰りさえすればいい。それが人間のほんとうのあり方なのだ、と老人は言っている。ここでは自然が主役であって、人間はそのはたらきを受けいれる容器にすぎないのである。
気の人間観と自然観の基本は、この老人の話によく示されている。この逸話はまた、科学技術の発達にともなう自然破壊によってみずから危機におちいりつつある現代人に対する警告のようにも感じられる」(湯浅泰雄 「気」とは何か pp11から13  日本放送出版協会 1994年第12刷)。

ジーン・シノダ・ボーレン氏は「タオに帰るということは、心理学的にいうと、万物の根底にあって万物を養っている一なるものの一部である自分をふたたび経験することなのです。それはユングのいう自己性にふたたびふれることであり、与えることも受けいれることもできる豊かな愛を感じることなのです。タオに帰るということは、「私はふたたび中心とつながったと感じ、人生には意味があるという感覚にふれた」ということを、別な形で表現しているのです。タオに帰るということは、「私は何事であれ必要なものを与えられるであろうと信じて、明るく生きてゆける」ということを意味しています。「そうすれば自然に雨がやってくる」ということは、共時性についての雨乞い師の原理なのです。内なる世界が共時性を通して外の世界を反映しているとすれば、たましいの内面においてタオに帰るなら、当然の結果として、自然な秩序が回復し、雨が戻ってくるようになるのです」と指摘している(ジーン・シノダ・ボーレン 湯浅泰雄監訳 タオ心理学―ユングの共時性と自己性 p188 春秋社 1997年第13刷)。

伊預部馬養連が書き記した「浦島説話」を考察する際、前述の人間観と自然観を理解することは作者の意図を探るうえで重要な手がかりを得ることにつながっていくと思う。

浦島説話研究所