「浦島説話」を読み解く

「浦島説話」の時代を生きた古代人の人間観を歴史学、考古学、民俗学、国文学、思想哲学、深層心理学といった諸観点から考える。

超常現象の自然発生と情動的要素

2010-05-31 21:40:57 | 深層心理学
「ライン宛(1953年2月17日)の手紙では、患者にしばしばESP体験が観察されることをのべ、ESPは無意識の元型的本能的位相からのはたらきを喚起するのだろう、と言っている。さらに1954年8月9日の文(同じくライン宛て)には、共時性やESPの体験は情動的知覚をともなう主観的な出来事であるが、その体験から生まれるイメージは客観的事実についてのイメージである、とのべている。またイメージの主観性と客観性の関係は(ライプニッツの)予定調和の原理、つまり主観的作用と客観的作用の並行的対応関係から理解すべきであろう、と言っている。情動の発生根拠は無意識の深い根底にあって、そこに主観的なものと客観的なもの、心理的なものと物理的なものをつなぐ場が見出される、という考え方である。
1960年2月9日のコーネル宛の書簡には情動の問題についての意見がくわしくのべられているので、引用しておこう。「実験室の外でも共時的な現象は起りますが、それはたいていの場合、情緒的な状況下で起ります。例えば、人が死んだとか、病気だとか、事故が起ったとかいうようなシリアスな状況です。それは、神経症とか精神病の治療をしている最中、情緒的緊張が極度に高まった時に比較的頻繁に観察されます。・・・感情は典型的なパターン(恐怖、怒り、悲しみ、憎しみ等)をそれぞれ持っています。つまりそれらの感情は普遍人間的な生得の元型であり、誰の心の中にも同じ観念と感情を喚起するものなのです。これらのパターンは元型的モチーフとして、主に夢の中に現われます。かくして共時的現象の大部分は、危難、危険、絶体絶命の状況といった元型的状況において発生し、それはテレパシー、透視、予知といった形をとって現われるのです。」
さらにユングはこうつづける。特定の場合であれば、元型について実験的に研究することも可能で、占いはその例である。ただし「この場合は、死者とか重病人とか大事故の患者とかいった個々の症例を観察すると同時に、それに随伴している心理的状況を注意深く分析することが必要となります。・・・超常的な心理現象は、生涯を通じて私の関心をひいてきました。通例それは、既にのべたように危急の心理状態(感情の昂揚、意気阻喪、ショック等)において起りますが、独特な、あるいは病的な人格構造をもった個人の場合には、もっと頻繁に起ります。そういった人物においては集合的無意識への識閾(しきいき)は生来、通常人より低いのです。創造的天才もこのタイプに属します」(湯浅泰雄監訳 ユング超心理学書簡 pp203~205 白亜書房 1999年)

湯浅氏はこの項について「超常現象の自然発生には情動的要素が伴うこと」という題を付している。テレパシー、透視、予知といったESP(超感覚的知覚)や共時的現象の発生と情動的要素との関係性は、心理学的に大変意味深いテーマを含んでいる。
「浦島説話」を深層心理学の観点から詳細に分析すると、ここに語られた記述には明らかに無意識の体験が描写されていることがわかる。この説話は1300年余り遡る悠久の歴史の中に封印された単なる物語などではなく、「たましい(Psyche)」に関与する事柄という意味で、今日的な課題を含む非常に貴重な資料となるのである。

浦島説話研究所

超常現象と直観機能

2010-05-30 00:28:33 | 深層心理学
「1945年11月12日、ベンディ宛書簡には、感覚がマクロ的時間―空間における知覚であるのに対して、超常的認知P.C.(paranormal cognition)は集合的無意識からのはたらきによる知覚である、とのべている。言いかえれば、集合的無意識の場では時間・空間の限定は相対的なものになり、弾力性のある時間と空間が経験される、とユングは言っている。この見方は相対性理論における「時空間のゆがみ」warpという見方に通じている。この手紙を書いた1945年ごろは、相対性理論のことはまだ念頭になかったようであるが、パウリと本格的に議論した1948年ごろから、アインシュタインの時間―空間連続性のパラダイムに注目し始めたことがうかがわれる」(湯浅泰雄監訳 ユング超心理学書簡 p203 白亜書房 1999年)

「浦島説話」を研究する糸口は問題設定の数だけ存在する。当然、それは、この研究に限ったことではない。その中で「時間論」という観点から、この説話の謎に迫る道もある。この問題は多くの研究者を魅了している。主人公は、異界で「3年」を過ごすが、現実世界に戻ってみると「300年余」の時間が過ぎていることを、村人から耳にしてショックのあまり茫然自失になってしまう。この二つの時間経過が示すことは、異界では時間の進み方が遅くなるということがいえる。この相対時差の問題をどう解するかという点については未だ多くの議論があるようである。

浦島説話研究所

「時間―空間の統合性」

2010-05-29 18:33:59 | 深層心理学
「ユングの許にはライン以外の研究者からも次第に手紙が寄せられるようになる。それらを通読すると、共時性論文にこめられた彼の考え方のポイントがわかってくる。重要な点を以下にまとめておくことにしよう。
(1)時間―空間の統合性について
このモデルの哲学的意味については、1957年10月21日付のエイブラムス宛書簡が注意される。ユングは、プシケ(意識―無意識の全体)には時間―空間の規則に従わない因子が潜在していると言い、それは永遠(時間に関して)と遍在(空間に関して)という性質をもつ、と言っている。彼はここで、プラトンの言う世界霊魂 anima mundi の考え方をあげているが、これはプラトン後期の『ティマイオス』という対話篇にみえるデミウルゴス(工作者としての神)の宇宙創成の物語をさしている。プラトンによると、デミウルゴスは天上の善美のイデア界を仰ぎ見て、それをモデルにして、混沌とした質料に形を与え、その全体(世界)に霊的な息を吹き込んだ、という。プラトンはむろん、これは神話的なお話だと断って語っているのであるが、ケプラーの宇宙モデルの歴史的源流はここにまでさかのぼることができる。つまり、世界は霊的息吹きにみちみちているというモデルである」(湯浅泰雄 ユング超心理学書簡 pp201~202 白亜書房 1999年)

「浦島説話」について語る「逸文」中には、時間に関して興味深い記述がみえる。「意等金石、共期萬歳、何眷郷里、棄遺一時」の「一時」である。一般に、読み下し文では、意(こころ)は金石にも等しく、共に萬歳を期(ちぎ)りしに、どうして郷里を眷(かえり)みて、棄(す)て遺(わす)るることの一時(たちまち)なる。つまり、「一時」は「たちまち」という意味に解する考え方が通説になっている。本論はこの見解に異論をもっている。この説話は宗教経験を含む無意識の体験がベースにあり(それは馬養自身が体験したか否かという問題は考慮しない)、それを物語の形に構成しているという認識をもっている。男女交合の性的モチーフを、陰陽統合の太一(太極)の象徴表現と解する立場である。主人公は宇宙の最高実在の体現者とみている。そうした観点から前述の記述を読むと、「一時」は「いっとき」ではなく、「一なる時」と理解する。これは「たましい(Psyche)」が感得し認識する時間体験であると考える。

浦島説話研究所

物理学と超常現象の関係

2010-05-28 21:18:27 | 深層心理学
「ユングが共時性論文でよりどころにした経験的証拠は、主に占星術と超心理学(ジャーナリズムでいう超能力)の二つである。この他には、中国の『易経』の占い、19世紀末から20世紀初頭に流行した心霊研究、それに最近話題になっている臨死体験などをあげている。(ここでは、これらすべてを超常現象とよぶことにする。)どれをとっても、現代の科学者や知識人からすぐに受入れられるようなテーマではない。
超常現象をめぐる現在の状況は、70年代から出版ジャーナリズムに現われてきた「精神世界」のジャンルに見ることができるだろう。これには大体二つの種類がある。
一つは、科学的素養のある科学ジャーナリストたちの著作、もう一つは実際の超常現象体験についてのべた本である。前者の早い例としては、ケストラーの『偶然の本質』などがあげられる。ケストラーはまず、ラインを始め超心理学者たちの研究を紹介し、さらにユング自伝にみえるユングの超常体験、たとえば彼がフロイトの書斎で語り合っていたときに起った爆発音のことなどについてのべている。彼はさらに、アインシュタインからボームに至る現代の量子論について紹介しているが、物理学と超常現象の間にどんな関係があるのかという点については何ものべていない。ついでケストラーは、ノーベル賞を受けた物理学者や生理学者の中にも超心理学の支持者がいることなどを紹介しているが、結局のところ、ユングの説明はあいまいで何の説明にもなっておらず、「大全鳴動して鼠一匹」の結果に終っていると評し、すべてを将来に託している。パウリについては、その物理学上の功績についてのべているだけで、彼はユングに利用されただけであると言っている(3)。もう一つの例としては、ケストラーから15年後に現われたピートの著作があげられよう。彼は「共時性」という言葉を正面に持ち出し、ユングとパウリの個人的関係をくわしく調べて、パウリが超心理学を支持していたことを明らかにしている。ついで彼はボームやプリゴジンをはじめ現代の科学者たちの考え方について紹介し、さらに現代数学の新しい動向にふれて、それらは共時性の考え方に通じるところがあると言っている」(湯浅泰雄監訳 ユング超心理学書簡 pp155~157 白亜書房 1999年)

ユングが共時性理論によって投げかけた問題の本質は、深く、広い領域に及んでいる。この問題は、未だ解決をみていない。今も、「占い」などという言葉を耳にするや否や、非合理で非科学的でとるに足らぬ迷妄な俗信に過ぎないなどと無視、黙殺、忌避といったあからさまな拒否反応を示す人は少なくないであろう。明治維新を機に国策として積極的に移入された西欧近代合理主義思想は、それまでのものの見方や価値観などをも一変させる破壊力をもっていた。著しい科学の進展によって社会が多くの恩恵に浴したことも確かであろう。しかし、それによって見失われたことも多い。
ユングの功績の一つは、近代主義に基づくパラダイムに対する盲目的信頼への反省と自戒を促したことにある。中世の西洋錬金術を心理学の立場から考察することによって得られた知見などはその好例といえよう。そこから何を学びとるかが今も問われ続けている。

浦島説話研究所

「世界霊魂」と「宇宙の心」

2010-05-27 23:14:20 | 深層心理学
「我々の三次元世界の中でなら、時空は確実かつ不変的に客観的なものです。しかしある条件下では、なんらかの拍子にそれらがあたかも相対的で主観的なもの、つまり相対的に非―客観的なものに変じてしまうようなことがあるのです。我々はたしかにそういった体験をしています。だが、いったいその相対性はどの程度のものなのかは確かではありません。だから、空間と時間が完全に消滅してしまうようなレベルとか世界が果して存在するのかもわかりません。しかし、時間と空間のみかけ上の客観性を相対化するのは「たましい」のなす業だという事実を受け入れれば、我々は人間の経験世界の枠内に留まることが出来るのです。これはかなり安全な結論です。というのも、私が知っている限りでは、「たましい」に予知行為を可能にさせるものは時間と空間の状態であると仮定することには全く根拠がないからです。時空は我々の経験の中にあり、例えば超心理学などからは独立して、不変なものです。
しかしアインシュタインの相対性理論(2)は時空が必ずしも我々の時空観念と同一である必要はないということを示しました。例えば、空間はカーブしているかもしれないし、時間は観察者の立場とスピードに必然的に依存しているというようなことです。こういった考えは、時空の相対的妥当性という考え方を支持します。超心理学的体験は明らかに、心的影響下における時空の不確かな運動を示します。
このことから我々は、「たましい」の中には時間と空間の規則に従わない因子が存在すると仮定せざるを得ません。その因子は(時空に)従属するどころか逆に、時間と空間(の制約)をある程度抑制することすら出来るのです。換言すれば、この因子は時間と空間が欠如しているという特質、つまり「永遠」とか「遍在」という特質を持っていると考えられます。心理学的な体験はそのような因子のことを知っております。それは私が「元型」と呼んでいるものであり、元型は空間と時間の中に遍在しております(もちろん相対的にですが)。それは「たましい」の構造的な要素であり、どこにでもいつの時代にも存在しています。そしてすべての個々の「たましい」がたがいに同一のものとなるのはこの元型の中においてであり、それがあたかも分割されない「大いなるたましい」(Psyche)であるかのように機能している場を、古代人は anima mundi(世界霊魂)あるいは「宇宙の心」psyche tou kosmou(3)と名付けたのでした」(湯浅泰雄監訳 ユング超心理学書簡 pp113~115 白亜書房 1999年)

この記述は、1957年10月21日にユングがスティーヴン・I・エイブラムス宛に送った書簡の一部を抜粋したものである。同書111から112頁にかけた注には「エイブラムスは、ラインのもとでデューク大学に超心理学の研究所を設立しようと企てていた。彼はユングの共時性理論を実験的に立証しようと計画し、ユングのアドバイスを求めたのである。1961年、彼はオックスフォード大学超心理学研究所の所長となった」とある。
本論は、「浦島説話」を深層心理学の観点から考察する立場である。そして、主人公は、道教における宇宙の最高実在「太一」(陰陽統合)の体現者ではないかと考察するが、前述の
「分割されない「大いなるたましい」(Psyche)であるかのように機能している場を、古代人は anima mundi(世界霊魂)あるいは「宇宙の心」psyche tou kosmou(3)と名付けた」という箇所の「大いなるたましい」「世界霊魂」「宇宙の心」といった概念との類似性に留意する必要があるとも考える。
ユングは、時空が「ある条件下」では「相対的に非―客観的なものに変じてしまうようなことがある」と言うが、「ある条件下」とは、夢や幻覚、幻視体験、あるいは宗教経験、また臨死体験といった心理現象が生じる環境が整った時と換言することもできるだろう。

浦島説話研究所