「浦島説話」を読み解く

「浦島説話」の時代を生きた古代人の人間観を歴史学、考古学、民俗学、国文学、思想哲学、深層心理学といった諸観点から考える。

馬養の眼

2015-01-18 09:51:15 | 浦島説話研究
奈良県明日香村川原の小山田遺跡で、未知の遺構が発掘され、16日付新聞各紙が大きく報道している。同遺跡からは、1972年に藤原宮期(694~710年)の木簡が出土している。
今回発掘された遺構は7世紀中ごろの古墳であったらしく、出土したのは「方墳の一部」とのことで、「石敷きの濠」は東西約50mの規模に達するという。古墳の場合、被葬者については、舒明天皇(593?~641年)と蘇我蝦夷(?~645年)の二人の人物の可能性が指摘されている。蘇我蝦夷に推されて即位した舒明天皇は、大化改新の立役者である天智天皇と、壬申の乱を経て覇権を手中におさめた天武天皇の父である。
今回発掘された巨大な石張りの溝が方墳の濠の一部だとした場合、「浦島説話」を書き記した伊預部馬養連は、遺構の偉容を目にしていたであろう。当然被葬者も知っていたはずである。

「浦島説話研究所」



「超自然的な力」の背後

2015-01-04 11:04:12 | 浦島説話研究


「自然界の現象は原則として説明可能で、超自然的な力のしわざではない。観察や実験を通じて規則性が見いだされ、いろいろな仮説が生まれる。不十分な仮説は論破されて退けられる。科学的な知識は当初は仮のものだが、試行錯誤を繰り返して、しっかりしたものになる。科学者は、常に仮説に対して異を唱え、議論しなければならない。英国王立協会のモットーは「誰の言葉も額面通りに受け取るな」。科学のよるべはその道の権威の言葉ではなく、観察と実験による実証なのだ。・・・」(ポール・ナース英国王立協会会長の言葉を引用①)

「自然界の現象は原則として説明可能で、超自然的な力のしわざではない。」とそれに続く表現には、今はまだ未解明な謎として残されている問題があるとしても、世界は科学的に掌握することができるはずであるという、科学と科学論理に対する深い信頼が汲み取れる。「原則として」という言葉を添えながらも「超自然の力のしわざではない」という断定的結びに科学信奉ともいえる揺るぎなき信念を思う。
科学的根拠の裏付けのもとに一般化・普遍化をめざすことが、近代の学問に通底する基礎理念といえる。科学的実証主義への信頼は、「客観性」「再現性」が担保されるところにあり、科学信奉の根幹をなしている。科学の成果は、常に目にみえる形で万人が共有・享受することができる。こうした価値尺度が近代社会の成立基盤そのものの土台になっている。
それでもなお、自然界には、今も未知なる謎が数多存在する。未知なる謎は、「超自然的な力」という表現と関連づけることができるかもしれない。一つの未知なる謎は、科学的解明を経ることによって「超自然的な力」との結びつきが引きはがされていく。
問題は、科学論理の範疇から零れ落ちる現象にある。
たとえば、臨死体験時の体外離脱という心的現象がある。臨死体験時に体外離脱(意識が肉体を離れる経験)をするという報告事例は多い。『臨死体験9つの証拠』(著者は医学博士のジェフリー・ロング氏)によれば、臨死体験者(613人)への聞き取りに対して、75.4%が体外離脱経験をしたことが報告されている②。体外離脱という心的現象には、民族や宗教といった違いを超えた普遍性(客観性と再現性)が認められることが知られている。ところが、「臨死体験」「体外離脱体験」を科学論理のもとに把握することには困難が伴う。人間の心が体験する夢や宗教経験、臨死体験、幻視、幻覚といった類が科学の範疇に収まり難いのは、そこでみられる心的現象は、あくまでも個人の内的な体験にとどまるからで、科学的な検証が困難なのである。臨死体験時にみられる体外離脱現象が広く国境を横断する普遍性を獲得しているとしても、科学論理に根差した「客観性」と「再現性」を確保する手立てがないのである。実験と称して人を人為的に臨死状態に陥らせることなどできない。そもそも、現段階では「臨死」の科学的定義すら厳密に定まってはいない。こうした現象は個人が偶然遭遇するもので、観察は患者の体験後に聞き取ることによってのみ可能であり、同時に共有することは不可能だからである。両者の客観性と再現性とは、性質を異にするのである。

「浦島説話」を伝える『丹後国風土記』「逸文」で、主人公は目を閉じさせられて異界へと赴く。現世に戻る時も目を閉じさせられる。異界は、視覚などの五感を通しての認識が困難であることが暗示的に示される。「逸文」が伝える異界描写は、深層心理学の知見に照らせば人間のたましい(Psyche)の内的体験として考察の対象になる。始原の三書が共有する「性的モチーフ」は世界的にみられる神話素で、ここに、この説話の宗教心理学的な主題、時代を超越した普遍的要素を汲み取ることができるのである。人間のたましい(Psyche)の内的体験という意味において、この説話は今現在の心理学的研究課題となるのである。

「浦島説話研究所」

乙未(きのと・ひつじ)

2015-01-01 00:07:15 | 易(陰陽)・五行、讖緯(しんい)思想
今年の干支は、と問われたら、「羊」と答えるのが一般的であるが、十干十二支の略称である「干支」は、「幹」と「枝」との組み合わせを象徴し、旧暦(太陰太陽暦)に照らせば「乙未」となる。
日本では明治時代に太陽暦が導入される以前、長く旧暦が行用されていた。陰陽暦とも呼称される旧暦の干支日付には、古代中国の自然哲学である陰陽五行思想が畳み込まれていた。
十干の第二にあたる「乙」(きのと)は、五行に割り当てると「木」気に属し「木の弟」とも表現する。「干」「支」は「兄(え)」「弟(と)」に照応する。
「太乙」の「乙」は「太一」の「一」に通じる。
「未(ひつじ)」は十二支の第八で、五行では「土」気にあたる。
「乙未」は、抵抗を受けながらも、新しい改革創造の歩を前に進める年回りなのだという。

有能な官人として、また漢籍に通暁した文人としての才にも恵まれていた伊預部馬養連は、暦にも精通していたであろう。自ずと陰陽五行思想にも通じていたであろうことは容易に推察される。
彼が「浦島説話」を書き記したのである。

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