ウェネトさまの館

ようこそいらっしゃいました。
ビスうさ・ウェネトと申します。
どうぞごゆるりとおくつろぎ下さいまし。

「みんなのミュシャ」(Bunkamuraザ・ミュージアム)

2019年08月07日 20時13分34秒 | 展覧会・美術関連

観に行ってからちと日が経ってしもうたが、書きそびれておった美術館の展覧会でございます。

Bunkamura ザ・ミュージアム「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ ― 線の魔術」
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_mucha/
(会場内一部のみ写真撮影可)


 

ミュシャは大好きでして、お供のEなぞ小学生の時にミュシャにハマり、おこづかいを貯めてミュシャのポスターなど買ったりして、なんちゃってアール・ヌーヴォーなお部屋にしてたのじゃ。
中学生の時はインドにハマり、部屋もどこぞのインド料理店もどきになり、その後は東南アジアになってしもうたがのw

てな訳で、これまでもミュシャ展はたくさん観て、2017年に国立新美術館「ミュシャ展」で念願の《スラヴ叙事詩》全20点も観て、今回はもう行かずともよいかの・・・と思うたのじゃ。

が、本展は単なるミュシャ展にあらず、ミュシャに影響を受けた日本の少女マンガ、特に大好きな波津彬子の原画も展示されると知ったからには行かねばなりますまい。

前置きが長うなってしもうたが、構成は以下の5章。
1~3章で、これでもかー!とミュシャを見せ、4~5章でミュシャ作品に影響を受けたアーティストの作品を見せるという分かりやすい構成。
気になった作品などもリスト順に(作者名を記載してないものはミュシャの作品)

【1:序 ― ミュシャ様式へのインスピレーション】

ミュシャが独自のデザインを生み出すインスピレーションとなった蒐集品も展示。
手の込んだ日本の有線七宝の花瓶や、中国の刺繍が気になったぞよ。

《磔刑図》1868年
ミュシャ8歳の時の作品。凄いのぅ。

《花模様を施したチェコ民芸品のある静物画》1920年代
この絵に描かれたモラヴィアの民芸品の花瓶も展示されておりました。

【2:ミュシャの手法とコミュニケーションの美学】

イラストレーターとしての仕事に焦点を当て、本のデザインやイラスト、雑誌の表紙絵など展示。

《「クロコディール」誌:タイトルロゴ》1885年
まだミュシャミュシャしてない初期のデザインも色々ございます。
こちらはワニを意味する文字のレタリングとワニを一体化してインクで描いていて、かっちょいい。

【3:ミュシャ様式の「言語」】

この章は、一部を除いて写真撮影可なのじゃ。
ミュシャと聞いて真っ先に思い浮かべるカラーリトグラフの美しいポスターが数多く展示。

ミュシャは写真も利用しておったのじゃな。
動きや時間を絵画で表現する為、動く対象物を連写した写真などは、ミュシャの制作過程も見えて興味深うござります。

《ジスモンダ》1894年
女優サラ・ベルナールに急遽依頼されて制作した等身大のこのポスターが大ブレイクし、ミュシャは一夜にして脚光を浴びる事になったのじゃ。

アドルフ・アルマン・トリュフィエ《ミュシャ作《遠国の姫君》に倣った照明器具》
金メッキしたブロンズの姫君が、マラカイトやアメジストやラピスラズリのイヤリングやネックレスを付けていて、美しゅうござります。
灯りをつけたところを観てみたいものよのぅ。

写真撮影可の作品から一部載せますぞ。

《ジョブ》1896年


 

左《トラピスティーヌ》1897年/右《リュイナール・シャンパン》1896年


 

《黄道十二宮》1896年


 

《夢想》1898年


 

《連作〈四つの宝石〉》1900年


 

上の連作から2点をば。
《トパーズ》


 

《ルビー》ルビーはわたくしの誕生石じゃ。


 

左《崖に咲くヒース》/右《浜辺のアザミ》1902年
ヒースとアザミが、民族衣装を着たブルターニュとノルマンディーの女性として2点1組で描かれておりまする。


 

左《ベネディクティン》1898年/右《カサン・フィス印刷所》1896年


 

《『装飾資料集』(リブレリー・サントラール・デ・ボザール出版)》1902年


 

カラーリトグラフだけでなく、パステルなどで描かれた作品もあるぞよ。
パステルは、手早くスケッチするためにミュシャが好んで使ったそうな。
手前の作品は《歩く女性の習作》1900年頃 木炭、パステル、灰色の紙


 

上の写真の一番奥の作品。
《聖夜》1900年頃 パステル・クレヨン・紙


 

中央の大きな作品は、《闘志(ヤン・ジシュカ):市長ホールのペンデンティブ画のための大型習作》1911年 インク、グアッシュ、銀、紙


 

上の写真の右側の2点。
左《警戒(ホドヴェー):市長ホールのペンデンティブ画のための習作》1911年 油彩、カンヴァス
右《独立(ポジェブラットのイェジ):市長ホールのペンデンティブ画のための習作》1911年 油彩、カンヴァス


 

【4:よみがえるアール・ヌーヴォーとカウンター・カルチャー】

ミュシャの作品は、死後すっかり忘れられていたのじゃが、1963年ロンドンの回顧展で再び大ブレイク。
この章ではミュシャと、よみがえったミュシャ様式に影響を受けた1960~70年代のイギリスやアメリカのグラフィック・アートの展示。

ミュシャ作品は10点以上展示されておるぞよ。
《椿姫》1896年
ミュシャのポスターの中でもお気に入りの1枚。
白い衣装に白椿のサラ・ベルナールが美しく、背景に散りばめられた星も可愛い。

その後には、1960~70年代にアメリカやイギリスで発売されたレコード・ジャケットやロック・ポスターなどがずら~り並んでおりまする。
まるでミュシャなものから、これもミュシャの影響かの?と思うものまで様々。

【5:マンガの新たな流れと美の研究】

日本では、20世紀初頭にミュシャの作品がパリに留学していた日本人学生によって紹介されると、明治30年代の文芸誌や女性誌はミュシャ風の嵐になったそうな。
藤島武二による表紙デザインの与謝野晶子の『みだれ髪』や、「明星」などが展示されておりますが、いかにミュシャの影響が大きかったかがありありと分かりまする。

その後は日本でも忘れられておったのじゃが、1970年代に少女マンガの絵に取り入れられたのでございます。
ここでは水野英子、山岸凉子、花郁悠紀子、波津彬子、松苗あけみ、天野喜孝、出渕裕の作品が展示。
(原画作品保護の観点から一部は複製展示)
各作家のコメントが添えられておるのも嬉しゅうござります。

山岸凉子は、以前に原画展を観た時も驚いたのじゃが、繊細で美しゅうござります。
《真夏の夜の夢》「アラベスク」など、ミュシャですのぅ。

花郁悠紀子は波津彬子の実姉で、1980年に26歳で夭折。
美しい原画を観る事ができて嬉しゅうござります。

波津彬子は大好きでして、本展で観られるのが楽しみだったのじゃ。
《「海神別荘」(「鏡花幻想 波津彬子原画展」ポスター用イラスト》の原画は、やはり色彩も線も美しくてうっとりじゃった。

ミュシャ作品も10点ほど展示。
《花》:習作 1897年
鉛筆、インク、水彩で描かれた美しい女性。

《ヒヤシンス姫》1911年
お馴染みのポスター。お気に入りの中の1枚。

ショップでは、オリジナルグッズが充実しておった。
限定BOXのカステラが欲しかったのじゃが、わたくしが行った時は品切れで涙。
他のお菓子やポストカードなど購入したのじゃが、品切れで買えなかった場合、ショップだけでも再入場できるとよいのにのぅ。

ミュシャもミュシャ以外の作品も、観応えあって楽しゅうござりました。
会期は9月29日まで。
わたくしが行った時は空いておりましたが、ご興味ある方は混み出さぬうちにお早めにの。


 

さて、先週末からお供のEが体調崩して寝込んでおったのじゃが、やっと回復しましたのじゃ。めでたし。
で、本日はギャラリー2つ回りましたゆえ、また後日書きまする。