泣きながら、撤退同盟

このブログの半分は、薄情でできています。。。

いろいろあります。

2007-03-07 | PICUP TOPICS
せっかく暖かくなってきたというのに
急に「寒の戻り」ですか。。。。

まぁ、
まだ3月上旬ですから
当たり前といえば当たり前なんですが。



色々話題が出てますね。

The Death Clock - When Am I Going To Die?

DETHナントカとかつけると
みんな飛びつきたくなるのかしら。。。。。


ちなみにわたしの死に時間
Wednesday, September 2, 2043
らしいです。チーン

あと、11億5千万秒しか
生きられない!!!


でも、ちゃんとリンク先を見れば
「ならば、あなたの健康はどうすればいい?」という
サイトに繋がっているのね。
(日本人はそこまで見ないだろう。。。。

【関連】ひらくな!ホンキッキーズ - おくのページ(坂口 億彦)
(過去の岐阜アニメ復活きぼんぬ)




「アブダビのルーブル」誕生へ=仏文化相が署名、契約額1500億円

【パリ6日時事】アラブ首長国連邦(UAE)からの報道によると、フランスのドバーブル文化相は6日、UAEの首都アブダビに建設予定の美術館が「ルーブル・アブダビ」を名乗り、パリのルーブル美術館から美術品の大量の貸与を受けることを認める契約に、アブダビで署名した。
 この契約に基づき、ルーブル美術館はルーブル・アブダビに対し、開館から10年間美術品を貸与し、美術館のコレクションや学芸員の養成に協力する。仏メディアによると、契約額は10億ユーロ(約1500億円)規模。

アラブのルーブル美術館もすごいが、
この愛知県の、
終り名古屋には、すでに
ボストン美術館があることを
みなさん、ご存知だろうか。。。。

名古屋ボストン美術館

 1999年4月17日、米国ボストン美術館の姉妹館・名古屋ボストン美術館が開館しました。
 

 名古屋ボストン美術館は、ボストン美術館所蔵の優れたコレクションを恒常的にわが国に紹介する唯一の施設です。美術鑑賞の場を広く提供するとともに、伝統あるボストン美術館の広範かつ高水準の美術館活動との提携を通じ、日本の文化振興並びに日米文化交流の進展に寄与することを目的とします。



閉鎖の噂が絶えないのですが、
地元トヨタ自動車による延命処置で
生きながらえている状態です。

遠くのルーブルより
近くのボストンを
大切に。。。。。。





小出由華でーす! ☆ウゴウゴルーガ記者発表☆

なんやねん、
その、
ウゴウゴルーガ不完全復刻DVDって。。。。。


ウゴウゴは好きだったし、
小出由華ちゃんもかわいいけど、

う~ん。。。。。
【関連】この日(約1年前か)




Ameba News|タミフル服用中学生転落死 タミフルは原因でない

タミフル関連は
アッチで書こうかなと思ってます。

【関連】タミフル服用後の飛び降り事件/やぶかんぞうの詩―虎の子日記パート2―
信頼できる友人の小児科医のブログより。




Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 長野・トリノ「金」 障害者スキーの第一人者、井口深雪選手、引退決断

 長野と昨年のトリノのノルディックスキー視覚障害で金2、銀1のメダルを獲得した障害者スキーの第一人者、井口(旧姓・小林)深雪選手(33)が、今季限りでの引退を表明した。次期バンクーバーでもメダルの最有力候補だっただけに、突然の引退を惜しむ声は多い。しかし、彼女は決断した。数年後の失明前に「少しでも長く、いずれ生まれてくるわが子を見たい」。その思いからだった。
ry)
 昨年秋のこと。井口選手が所属する日立システムアンドサービス(東京)の荒井秀樹監督(52)と井口選手の結婚後の活動について話していた。
 井口選手の結婚相手は米国で理学療法の研究中。当分は別居結婚と聞いていたのに、妙に荒井監督の歯切れが悪い。
 「続けるのでしょう?」。不審に思い聞くと、荒井監督は一瞬沈黙し、そして吹っ切るようにこう言った。
 「かわいいときの子供の顔を見たいじゃないですか」
 井口選手は先天性網膜色素変性症。物の動きが多少分かる程度の弱視だ。今も「半透明の膜で一枚一枚覆われるように」(井口選手)症状が進み、40歳ごろにはまったく見えなくなると宣告されている。

 井口選手は子供が大好き。もちろん、愛する人との間に子供が欲しい。そして、光が尽きる前に、かわいいわが子を1分1秒でも長く見て、胸に刻んでおきたいというのだ。
 言葉に詰まった。引退は遠くないと確信した。
 障害者スポーツは経済的に恵まれていない。井口選手も蓄えが尽きかける苦境を乗り切り競技を続けてきた。理解ある大企業が支援する今の境遇のありがたみは十分に分かっている。選手層が薄い障害者スキーで、トップ選手として若手を引っ張らねばならない責務も痛いほど感じている。

 それでも、彼女は決断した。

 「ずっとスキーにかかわってはいきたい。将来はクロスカントリースキーの魅力を伝えたい。子供を連れて行ってもいいですね」
 引退後は、研究生活があと数年残るご主人と米アイオワ州で生活するという。

この(小川記代子)なる記者の
文章の下手さ加減には
全く辟易するが、


井口選手の決断は
重たいなぁ~


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (視力回復どっとcom のJun)
2007-03-17 09:23:26
初めまして!

突然のコメント、失礼します。

私のサイトでこちらの記事を紹介させて
頂きましたのでご連絡させていただきます。

紹介記事は
http://yutori123j.blog93.fc2.com/blog-entry-48.html
です。
返信する
Unknown (umiusi45)
2007-03-17 10:23:55
はぁ。
返信する

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