岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

恵那山紀行

           恵那山紀行
                       山際 うりう

 いつも見上げてばかりいた山だった。旧中山道の馬籠近辺を歩くたびに。雲ひとつない日の、雄大な、どっしりと落ち着いた男らしい山容は、幾人の旅人を慰めたことだろう。ゆっくりと味わいながら峰々を眺めていると、心が何かを感じる。自分の軽率さや虚栄を求める心などもその大きな懐に包み込まれ、なだめられ、許されるような気分になる。いつかは行かねばならないという思いと行けるだろうかという思いとの間で、私はこの数年何度旧中山道を歩いただろうか。
 念願の初登頂だった。2007年8月26日(日)、午前10時16分、私は四囲の樹木のため展望のきかない恵那山頂に立った。「嬉しい」という平凡な感情に疲れた身を委ねながら、山頂で空を見上げた。手が届くような高さで、渦巻状の薄い雲が、緩やかに舞ったかと思うと、急に素早く流れたり、くねくねと動いたりしながら、だんだんと青空の中に溶けていった。雲が一粒一粒の粒子になって消えていくのが見えるのだ。標高2,190m。朝の日射しを浴びながら、私は恵那山頂を踏み付けた。暑くも寒くもなかった。頂上は輪になって盆踊りができるほど広く、木製の展望台があった。展望台の上から周囲を眺めても樹木が邪魔をしてほとんど何も見えなかった。どうせ作るのならば、あと1m高いものを作ってほしかった。作った時は樹木の方が低かったが、その後伸びただけなのか。
 力六分の鍛錬を、私は旧中山道で試みた。雷のない晴天の日を、毎日待った。好機は到来する。山は逃げない。前の晩、8月25日、小さな紙切れに持ち物リストを作成した。品目の詳細は、ここに書いても誰の参考にもならないだろう。ただ、持って行って良かったと思ったものはある。蜜柑4個、冷えた水で薄めたスポーツ飲料(魔法瓶入り)、自分で握ったおにぎり。蜜柑は疲労した身体を甘く癒してくれた。簡単に手で剥いて食べられる。そこがいい。私の必需品だ。夏の登山には、(途中に水場のない場合は特に)、多少重くても魔法瓶に冷たい飲み物を入れて持って行くのがよい。多量に汗をかきながら、ほとんど無風の中を登り下りする場合がある。そんな時、冷たい飲み物は心身をリフレッシュさせてくれる。
 多治見市の自宅を8月26日午前4時30分出発。国道19号線へ。中津川市沖田の交差点を右折し、神坂峠まで走った。そこに駐車し、身支度を行い、6時半頃、細い登山道に足を踏み入れた。一歩一歩俗界から遠ざかる喜びと不安。熊笹の朝露にズボンを濡らしながら、私は進んだ。
 四囲の樹林を見回す。誰にも出会わない。意識的に深い呼吸をする。人は死ねば草や木の根になるのか。俗歌は「千の風」になると言う。一歩一歩高くなる。一歩一歩人間臭が薄れていく。天辺には何もない。それを承知で登る。君は都会の居酒屋で、何があるのかと尋ねた。私には「何もない」と答えるしかなかった。君は「そんなのいやだ」と言った。私は「それがいいんだ」と言うしかなかった、君にではなく自分自身に。死んで草や木の根になる。それでよい。ここは恵那山だった。
 登り始めは、熊の恐怖が心に張り付いていた。その緊張感は、登るに従い、疲れるに従い、薄れていったが、結局、山頂に到着するまで解けなかった。ラジオをザックに付けて鳴らしながら歩くことにした。気が紛れた。電波の受信状態は良かった。イルカの「フォロー・ミー」、久し振りに聞いた。そう、リフレインの多いあの曲だ。気持ちよい俗歌が次々に流れてきた。壁のような、急傾斜の登山道が、目の前に立ちはだかっていても、懐かしいメロディがそこを攀じ登る困難さを忘れさせてくれた。
 神坂ルートは、案内の通り、上下の多い道だった。体力に自信のない人は登るべきではない。見方を変えれば、健脚家にとっては登り甲斐のある山だと言える。眺望のよい地点は、途中、数箇所あった。中央高速の朱塗りの大きな橋(中津川市落合近辺の)も眼下に見えた。遥かに霊峰御岳の姿も雲の上に見えた。その姿には、まさに俗界超脱の雰囲気が漂っていた。俗人はただ木の間から息を飲んで見つめるだけだ。合掌はしなかったが、私の心は遥拝していた。
 神坂ルート、そのほとんどは樹木のトンネルの下を歩く。晴天時でも日射しを浴びずに登ることができる。自分の背より高い熊笹も道の両脇にはあるが、足元の登山道は整備されていた。登ってよかった。百名山の名に恥じない山だった。
 前宮ルートとの交差点まで来た。あと一息だ。自然と足の運びが軽やかになる。最後の詰めを慎重に。いつもの言葉を心の中で噛み締めながら、歩く。人の気配に見上げると、左手の岩場に男が一人座っていた。初めて人間と出会った。少しほっとする。避難小屋に到着。無人。中には薬缶やストーブが置いてあった。その脇にはトイレ設備があった。
 先を急ぐ。いよいよか。いよいよだった。山頂だった。「恵那山」と彫られた木の標識が立っていた。とうとう到着したのだ。見回しても、四囲の樹木のためまったく展望はきかない。何もない。見上げても、雲が流れているばかりだ。達成感は、しかし、じわじわと心の襞から滲み出る。私は困難を乗り越えて登頂した。この事実だけで十分だ。私は三角点の傍の平たい木材の上に腰を下ろし、自分で握ったおにぎりを口に頬張った。その時、噛み締めたのは、他の誰でもないこの自分が一人で勝ち得た喜びだった。本当にささやかな喜び。誰にも上手に伝えられそうにない。


  山頂で空を見上げて見たものは、雲だった。
  手が届くような高さで、渦巻状の薄い雲が、
  緩やかに舞ったかと思うと、
  急に素早く流れたり、
  くねくねと動いたりしながら、
  だんだんと青空の中に溶けていった。
  山頂で空を見上げて見たものは、雲だった。

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