その19日土曜、午前6時半、3合目駐車場から登攀開始した。
駐車場には先客の車が10台程並んでいた。太陽は登る山の裏側から昇る。登山道は林の中。陽が当たらず、木陰の中を歩くことになる。木の根が登山道に網の目を編んでいるような箇所もあるが、湿地帯には切り株が敷き詰められ、全体的に整備済みの感がある。ありがたいことに、道端に一箇所だけ水場がある。当たり前だが、冷たくて気持ちいい湧き水だ。ちょっと疲れた頃、途中で振り返ると、鳥甲山が屹立しているのが見える。鳥甲山のことは、ここまで一度も書かなかったが、実は、秋山郷に到着して、最初に気付いたのはこの山の威容であり、最後まで存在感を示していたのはこの山だけだったと言ってもいい。この山に向かって「空を返せ」と叫びたいくらいに、この山は、秋山郷から空を奪っている。どこに行っても目の前に立ちはだかっている。私は4日間、この秋山郷で過ごしたが、この鳥甲山があまりに大きく高く圧倒的に迫ってくるので気が欝になりそうだった。「とりかぶとやま」ではなく、「とれ!かぶと!やま」と名付けたい。お前の向こう側が見たいのだ。この鬱陶しい山も、しかし、苗場山から展望するとうっとりするほど美しい。天気の良い日は、同じ方向に妙高山も見えるそうだが、私は、鳥甲山さえ見えるのならばそれで満足だ。麓の部落から見上げると憎いが、遠くから見ると惚れ惚れする。忘れられそうもない山だ。
その鳥甲山が、しかし、登山者の視野からも心からも消える所がある。7合目辺りから9合目手前の急坂だ。胸突き八丁だ。四つん這いになって登る箇所もある。誰もが苦しむ難所だ。1歩1歩登って、息が切れそうになる頃、ほぼ直立していると感じる壁の前に、「後40分」という標識が目に入った。最後の頑張りと思い、気合を入れ直す。黙々と登る。と、まさしく突然、拍子抜け状態になってしまう。まるで梯子で二階に昇って見たら、急に草原が現れ、それが見渡す限り広がっているという感じなのだ。急坂が40分続くという意味ではなかったのだ。嬉しい気分だった。しかし、何だ、という意外な幕切れの感もあった。そこから先は、ずっと笹の海に掛け渡された木の橋を歩くハイキングコースの趣きだ。拍子抜けは、もう一つあった。頂上だ。ここが頂上か。そう言いたくなる。輪になって盆踊りが出来るような平らな地面に「苗場山山頂」と刻まれた標識が1本立っている。すぐ脇には「遊窟館」という小さな山小屋がある。回りは樹木で展望がきかない。頂けない頂だった。あっけらかんのかんだ。
山小屋は、もう1軒あった。かなり立派な大きいヒュッテだ。展望さえきくならば、宿泊してもよいと思ったが、回りは野球場みたいに広い原っぱだ。池が点在し(「池塘」と言う)、写真に撮りたいような高山植物も幾つかあるが、私は、天辺から山並みや眼下の村々を展望したいのだ。それができなければ、星空だけでは、泊まれない。私は、下山することにした。
帰り際、茂みに囲まれた「見晴台」という場所で男と会った。長野県上田市から来たと言う。30分程山の話をして時計を見たら、午前10時30分だった。男は、なぜか「じゃ、また」と言った。
帰りは、楽だった。少しでも展望を得ようとして、途中で寄り道して、「龍の峰」と名付けられた小高い峰に登ろうとした。遠くから見た時は、楽に登れそうだったが、近くまで行くと、藪が胸の高さ辺りまで生い茂っていた。藪漕ぎをする元気はなかった。諦めて素直に下山することにした。
その夜は、切明温泉の「雪明り」という宿に泊まることにした。まだ午後2時前だった。宿の周辺に折りたたみ椅子と本とを持ち出して時間を過ごすことにした。
私は、中津川の水の音に耳を澄ました。
どこから聞こえてくるのか。
水の流れは、大小の岩石にぶつかって音を出す。
ぶつかりがなければ、水音は出ない。
私は、林の中で風の音に耳を澄ました。
どこから聞こえてくるのか。
風は木の枝や葉にぶつかって音を出す。
ぶつかりがなければ、風音は出ない。
酒に酔いながら、うとうとしながら、
そんなふうに根も葉もないことを思いついては、
風の通り道に投げ捨てた。
私は、中津川の水の音に耳を澄ました
8月20日、日曜早朝。秋山郷最後の日。
素裸に浴衣姿で、下駄を履いて、中津川の野天風呂に出かけた。河床から温泉がプクプクと自噴する無料の場所だ。まだ5時だった。10分程歩いて、「雄仙閣」という旅館の横の細い道を川の方へ下り、橋を渡り、温泉の自噴する地点に行った。
先客はいない。一番乗りだった。わざわざスコップで穴を掘り、自分だけの露天風呂を作る気にはならなかった。すでに先人の掘った穴に足を突っ込み、一番湯加減のいい穴に入ることにした。
湯は高温で、すぐ脇を流れる川の水で薄めないと入れない。周囲は、無論、山の緑。聞こえるのは、鶯の鳴き声と川の音。どんな温泉でも人が多いと気分が壊れる。人が来る前に来たことが良かった。しばらく、天地を、渓谷を湯の中で独り占めした。
鳥海山登山は諦めた。宿に戻り、朝食を済ませた後、天明の大飢饉で全滅したという大秋山村跡を訪ねた。本当の空や風や川があっても、人々は生き延びられなかった。山中に一列に並べられた墓石を見た。四角い窓が二つ、その上方に家の形象のような五角形の窓が一つ。誰が作った墓なのだろうか。苗場山の見晴台からここを見ようとする人は、おそらく誰もいないだろう。
20日、夜、自宅に戻った。糠漬けの様子を見た。誰も世話をしてくれていなかった。茄子の皮が堅くなっていた。包丁で切ろうとしたが切れなかった。包丁の刃が鈍っていた。研がねばならない。糠漬けをする胡瓜も茄子もなかった。掻き混ぜるだけは掻き混ぜて冷蔵庫に入れた。ふと気付いた。苗場山を自分は見ただろうか。確かに登頂した。登山道は見た。木や笹や池塘は見た。しかし、山の全体の姿は、一度も見なかった、と。一体、秋山郷からは苗場山を見上げることができるのだろうか。
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ぷーはる
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