岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

宮古島 その1

宮古島
                    海際うりう
 海の中に入るつもりは毛頭なかった。砂浜の木陰で冷えたシャンペンを飲んで、ザザザァと打ち寄せる波を見ているだけで幸福感を味わえるはずと目論んでいた。宮古島は、特に行きたかったわけではなかった。与那国島に対する漠然とした憧れは何年も前からあった。屋久島の縄文杉も見に行きたかった。実際に、今回出掛けたのは、宮古島だった。成行きというものは、人生において、ある。就職にも、結婚にも、旅にも。一つの球が偶々もう一つの球に衝突する。ぶつかられた球は、自分が望む方角とは必ずしも一致していないと分かっていても動かざるを得ない。そんなことがあるものだ。
 平成18年9月24日、午後。他のどこでもない宮古島に到着。思ったほど暑くはなかった。宮古空港から島南部にあるホテルシギラまでの間、迎えの車に乗る。痩身で傷心の持ち主なのか、運転手は、ニコリともせずに挨拶をした。車に乗り込む。出発前に彼から冷えた御絞りを受け取った。その気配りに対して、嬉しいような嬉しくないような感情を味わった。真面目な仕事振りは、すぐ窺えた。私が社員教育を担当する立場にいたら、しかし、そこにもう一色の暖色系の要素を帯びさせるだろう。もっとも作り笑いなどは要らない。そんなもので人は心を打たれない。
 窓外に走り去る景色を眺める。ここが宮古島か。コンクリート製の建物、赤茶色の土の畑、Jの字に生えているサトウキビ。何もかも殺風景だった。山もなければ川もない。透き通った海が回りになかったら、誰がこの島に行くだろう。情熱の花、ハイビスカスがたとえ咲き誇って、手招きするように風に揺れていても。
 ホテルのスタッフは、ほとんど島外の若い男女だった。関東圏の女性が多かった。私は、何かが間違っていると感じた。地元の人々を雇用すべきだろう。東京のホテルの中にいるのと同じ雰囲気しかなかった。確かに快適この上ない空間だった。ロビーにもプールサイドにも客室にも可憐な花と優雅な時間があふれていた。宮古島の人と言葉と心とを探しに来た私には、しかし、欠乏感があった。所謂リゾートホテルに、素顔の宮古島を探すこと自体が間違いなのだろうか、この世間知らずの私の。
 9月25日、レンタカーが来た。体験ダイヴィングの予約を取ろうと幾つかの店にホテルから電話をした。予約で一杯だ。北風が強いので、きょうは船を出せない。そういう断りばかりだった。最後に、半分諦めと投げ遣りな気分で、ある店に「明日、海で遊びたいのですが、どうですか」と尋ねると、男がおっとりと「いいですよ」と答えた。
電話を切り、翌日の予定を立てた後、10時過ぎ、いよいよ車で海に向かった。島の最東端、天狗の鼻のような形で海に突き出している岬、東平安名崎の灯台に昇った。340度の水平線だ。見下ろせば、海の青の濃淡がそこかしこに。絶景だった。確かに、吹いていた北風は強かった。
 灯台に続く遊歩道の入り口に車を置いて商売をしている男がいた。灯台正面まで人力車に客を乗せ、途中で三線を弾き、島歌を歌う。片道500円。歩いていると、若いカップルがその人力車に乗っていた。二人とも両手に鈴のようなものを持ち、振って鳴らしていた。三線を弾きながら歌う男の伴奏をしている場面だった。三線も歌声もなかなかいいものだった。灯台からの帰り際に、その男に軽い声で呼び止められ、手作りのアクセサリーを勧められた。私が、「心に沁みるような歌でしたね」と褒めたら、「まだ修行中です。どちらからいらっしゃったんですか」と聞いてきた。岐阜だと答えると、「私も各務原に住んでいました」と応じてきた。私は、初め地元の人間だろうと思っていたので、意外だった。よく見れば、日に焼けた色の黒さは似ていたが、顔立ちは地元の人間のものではなかった。彼の言動には、しかし、「一色の暖色系の要素」があった。彼の人生は、潮風に散る三線のように果敢なく南の島の岩陰に朽ち果てることになるのだろうか。
 吉野海岸へ行った。シュノーケリングをして、熱帯魚を追いかけた。駐車場からビーチまでは車で数分だった。海の家の人が無料送迎してくれた。ライフジャケット着用を勧められた。海は侮れない。私は、この夏、丹後半島の漁協で見掛けたポスターを思い出した。ライフジャケットを着た若い女性が、半開きの唇のまま、不安そうな目付きで左方向を見つめている写真だ。私は、迷わず借りることにした。マリンブーツとフィレは、予めホテルで借りていた。海には、色々な魚がいた。人気のミモには出会えなかった。
 その後、海岸沿いに北上し、島尻のマングローブ林を見に行った。蛸の足のような独特な呼吸根に目を奪われる。自分は、確かに、亜熱帯地方にいる。そんな思いが泥土に生じる気泡のように湧き上がった。木製の遊歩道から汽水域を覗き込む。この世にある食物連鎖は、見ないわけにはいかない。見ていると、寂しさが心をよぎる。ふと近くの畑を見回すと、サトウキビは、私の背より高かった。
 夜、宮古島の繁華街に行った。居酒屋巡りだ。「あぱら樹」には地元の人間も飲みに来ていた。げその唐揚げを注文した。油でべとべとしていた。気持ち悪くなり、すぐ出ることにした。「さんご家」は、若い客が多かった。なぜか気分が改善せず、一皿だけ注文して、ここもすぐ出た。

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