貧しい工員が暴力で従わせられ、命を軽んぜられる過酷な労働についに立ち上がるが軍隊に弾圧されるという、1929年発表のプロレタリア文学の傑作、とは知ってたがそんな昔の辛気臭い文学なぞ、、、と読まずにきた。
今回はアルツハイマーにも良く分かる待望のマンガ化ってことでわくわくドキドキしつつ30分くらいで読んでしまった。
舞台は函館で「おい地獄さえぐ(行く)んだで」と、食い詰めた文無しのオトコたちが「周旋屋」・・・つまり現代の労働者派遣業者・・・に蟹工船「博光丸」に送り込まれる。
・・・道内、南部、秋田の出身者、悲惨な夕張炭鉱から逃げた者などが、船倉の「糞壺」に放り込まれ、留萌沖から宗谷海峡を経てタラバガニの豊富な魚場カムチャツカ沖でカニを捕り、缶詰に加工する・・・という労働者たちの過酷な労働と、耐えかねての反抗が大日本帝国海軍によって国家への反逆者として弾圧される、その不屈の闘いを描く。
露西との戦い、ニポン国内の行き詰った食糧問題のための国家的使命・・・と鼓舞されながら、実態は人権無視、漁獲高を上げるためには働く者の命を軽んじる操業、午前2時に叩き起こされ16時間働きづくめ、もちろん休日なんか無しという毎日の過酷な肉体労働を強制された姿をリアルに描く。
蟹工船に付属の「川崎船」に乗せられ、荒れる海・時化の悪天候でも駆り出され、冷たい海に投げ出されても見捨てられる非情、人を人とも思わない使い捨ての労働現場は、
労災隠し、ケガと弁当は自分持ちの人材使い捨ての現代の派遣・請負にも通じるものがある。
いまさらながら、だから80年も前の文学が「懐かしく」読み直される。未来は常に懐かしい。
僚船が遭難し、SOSを発しているのに漁獲高が第一と助けにも行かない非情な監督「川崎」
周旋屋に汽車賃や宿代、衣類、周旋料(つまり斡旋料)を前借すると、蟹工船に乗り込んだときにはすでに借金漬けとダマされて、弱そうな従順そうな学生や食い詰めたオトコたちがタコ部屋に送り込まれる。
人を人とも思わぬ監督は漁夫を雑夫を工員を競わせ成績の悪いものにはヤキを入れるという拷問虐待は、最凶のパワハラ。殴りつけ銃で脅すやり口は、北海道の鉄道建設現場や炭鉱でコキ使う「タコ部屋」逃げる者にはリンチ、死ねば生き埋めの使い捨て。
北海道の「入地百勝」「移民百勝」・・・「北海道開拓」「移民成金」人口食糧問題解決」、などとうまい言葉で、食いつめた内地の農民を扇動しておきながら、荒れた開墾地に薄い表土の下の土壌は粘土、米どころかイモも取れずに雪と厳しい寒さに飢え死させられる悲惨は、
その後の国家的な満州開拓、ブラジル移民など悲惨な歴史のプロローグ。ここでも「未来は常に懐かしい」歴史が繰り返す。
その後の蟹工船の漁夫たちの悲惨な労働現場、サボタージュとストライキと、地獄の船倉の遥か上階のサロンで夜毎繰り広げられる役人や、命を賭けた働く者の抵抗を銃で弾圧する軍人たちのどんちゃん騒ぎを描き、
軍隊の正体が実は、金持ちたちの手先であり、国家の一大事を名目にそうした権力者たちが儲けるシクミであると喝破する。
なるほど、これでは小林多喜ニが国家に憎まれ、官憲に眼を付けられ、捕らえられ拷問の果てに殺されるのも良く理解できる。
当時の時代背景は良くわからなかったが、第一次世界大戦当時は、鮭、鱒、蟹などの缶詰類は保存食として貴重。北洋で獲ったタラバガニを陸の工場へ運ぶまでに鮮度が落ちてしまうのなら、と老朽船などいろいろな船を改造して船内に加工場を作ったのがを蟹工船とか。
高価な蟹の缶詰を生産しているにも関わらず、蟹工船の持ち主である会社の資本家たちは大儲けしているのに、末端の労働者は安い賃金でコキ使われる。これを「搾取される」という。
鬼のような浅川監督は、今で言う中間管理職か。
船長を脅し、業績を上げるため冷酷無比な行動で労働者たちをコキ使い、逆らったり働きが悪いと「懲罰」という暴力や拷問、虐待に曝して恐怖で支配する姿はヤクザと同じ。
そうした惨状に、過酷な日々を諦めていた者たちも、やがて怒りが頂点に達して、蟹工船に乗り込んだ仲間のうちのリーダー森本のもとに団結して、人間的な待遇を求め立ち上がって監督を叩きのめすが・・・。
帝国海軍が介入して指導者達は検挙され殺され、国民を守ってくれるはずの軍隊は実は金持ちたちの側、と目覚めた労働者たちは、再び不屈の闘争に立ち上がる・・・・・・・。
古臭い作品とあんまり気にも留めてなかったが、現実に蟹工船で働いた人たちから取材し、生き生きと「糞壺」のような船内の漁夫の日常を活写し、
なにより、当時の検閲をかいくぐって綿密に練られた文章で、当時のニポンの資本主義・帝国主義とそれを支える精神的支柱としての天皇制の正体を暴き出し、鋭い批判を加える。
帝国主義の暗部を知らずか知ってか語らず、権力の側にこびへつらうかのような小林よしのりには分からない・観たくも無いだろう帝国主義ニポンの歴史の事実の断面に触れることができる。
原作者小林多喜ニは、1903年、秋田の大館生まれ。
子供のときに小樽に移住し、小樽高等商業学校、現小樽商科大学卒業。
おいらが以前に小樽を訪れたときには、ミーハーにも下らぬイシハラゆうじろう記念館だのガラス館だのを観光してサッポロに戻った程度だったが、マジに旭展望台で小林多喜ニ文学碑を訪れなくては。
人が人として、まっとうに汗水たらして働いて暮らしていける社会を目指す熾烈な戦いは、
難民化する若者たち、企業による殺人・過労自殺や抵抗する人々を描きだした「生きさせろ」と訴える雨宮処凛に通じるものがあって未来どころか過去も懐かしい。
今回はアルツハイマーにも良く分かる待望のマンガ化ってことでわくわくドキドキしつつ30分くらいで読んでしまった。
舞台は函館で「おい地獄さえぐ(行く)んだで」と、食い詰めた文無しのオトコたちが「周旋屋」・・・つまり現代の労働者派遣業者・・・に蟹工船「博光丸」に送り込まれる。
・・・道内、南部、秋田の出身者、悲惨な夕張炭鉱から逃げた者などが、船倉の「糞壺」に放り込まれ、留萌沖から宗谷海峡を経てタラバガニの豊富な魚場カムチャツカ沖でカニを捕り、缶詰に加工する・・・という労働者たちの過酷な労働と、耐えかねての反抗が大日本帝国海軍によって国家への反逆者として弾圧される、その不屈の闘いを描く。
露西との戦い、ニポン国内の行き詰った食糧問題のための国家的使命・・・と鼓舞されながら、実態は人権無視、漁獲高を上げるためには働く者の命を軽んじる操業、午前2時に叩き起こされ16時間働きづくめ、もちろん休日なんか無しという毎日の過酷な肉体労働を強制された姿をリアルに描く。
蟹工船に付属の「川崎船」に乗せられ、荒れる海・時化の悪天候でも駆り出され、冷たい海に投げ出されても見捨てられる非情、人を人とも思わない使い捨ての労働現場は、
労災隠し、ケガと弁当は自分持ちの人材使い捨ての現代の派遣・請負にも通じるものがある。
いまさらながら、だから80年も前の文学が「懐かしく」読み直される。未来は常に懐かしい。
僚船が遭難し、SOSを発しているのに漁獲高が第一と助けにも行かない非情な監督「川崎」
周旋屋に汽車賃や宿代、衣類、周旋料(つまり斡旋料)を前借すると、蟹工船に乗り込んだときにはすでに借金漬けとダマされて、弱そうな従順そうな学生や食い詰めたオトコたちがタコ部屋に送り込まれる。
人を人とも思わぬ監督は漁夫を雑夫を工員を競わせ成績の悪いものにはヤキを入れるという拷問虐待は、最凶のパワハラ。殴りつけ銃で脅すやり口は、北海道の鉄道建設現場や炭鉱でコキ使う「タコ部屋」逃げる者にはリンチ、死ねば生き埋めの使い捨て。
北海道の「入地百勝」「移民百勝」・・・「北海道開拓」「移民成金」人口食糧問題解決」、などとうまい言葉で、食いつめた内地の農民を扇動しておきながら、荒れた開墾地に薄い表土の下の土壌は粘土、米どころかイモも取れずに雪と厳しい寒さに飢え死させられる悲惨は、
その後の国家的な満州開拓、ブラジル移民など悲惨な歴史のプロローグ。ここでも「未来は常に懐かしい」歴史が繰り返す。
その後の蟹工船の漁夫たちの悲惨な労働現場、サボタージュとストライキと、地獄の船倉の遥か上階のサロンで夜毎繰り広げられる役人や、命を賭けた働く者の抵抗を銃で弾圧する軍人たちのどんちゃん騒ぎを描き、
軍隊の正体が実は、金持ちたちの手先であり、国家の一大事を名目にそうした権力者たちが儲けるシクミであると喝破する。
なるほど、これでは小林多喜ニが国家に憎まれ、官憲に眼を付けられ、捕らえられ拷問の果てに殺されるのも良く理解できる。
当時の時代背景は良くわからなかったが、第一次世界大戦当時は、鮭、鱒、蟹などの缶詰類は保存食として貴重。北洋で獲ったタラバガニを陸の工場へ運ぶまでに鮮度が落ちてしまうのなら、と老朽船などいろいろな船を改造して船内に加工場を作ったのがを蟹工船とか。
高価な蟹の缶詰を生産しているにも関わらず、蟹工船の持ち主である会社の資本家たちは大儲けしているのに、末端の労働者は安い賃金でコキ使われる。これを「搾取される」という。
鬼のような浅川監督は、今で言う中間管理職か。
船長を脅し、業績を上げるため冷酷無比な行動で労働者たちをコキ使い、逆らったり働きが悪いと「懲罰」という暴力や拷問、虐待に曝して恐怖で支配する姿はヤクザと同じ。
そうした惨状に、過酷な日々を諦めていた者たちも、やがて怒りが頂点に達して、蟹工船に乗り込んだ仲間のうちのリーダー森本のもとに団結して、人間的な待遇を求め立ち上がって監督を叩きのめすが・・・。
帝国海軍が介入して指導者達は検挙され殺され、国民を守ってくれるはずの軍隊は実は金持ちたちの側、と目覚めた労働者たちは、再び不屈の闘争に立ち上がる・・・・・・・。
古臭い作品とあんまり気にも留めてなかったが、現実に蟹工船で働いた人たちから取材し、生き生きと「糞壺」のような船内の漁夫の日常を活写し、
なにより、当時の検閲をかいくぐって綿密に練られた文章で、当時のニポンの資本主義・帝国主義とそれを支える精神的支柱としての天皇制の正体を暴き出し、鋭い批判を加える。
帝国主義の暗部を知らずか知ってか語らず、権力の側にこびへつらうかのような小林よしのりには分からない・観たくも無いだろう帝国主義ニポンの歴史の事実の断面に触れることができる。
原作者小林多喜ニは、1903年、秋田の大館生まれ。
子供のときに小樽に移住し、小樽高等商業学校、現小樽商科大学卒業。
おいらが以前に小樽を訪れたときには、ミーハーにも下らぬイシハラゆうじろう記念館だのガラス館だのを観光してサッポロに戻った程度だったが、マジに旭展望台で小林多喜ニ文学碑を訪れなくては。
人が人として、まっとうに汗水たらして働いて暮らしていける社会を目指す熾烈な戦いは、
難民化する若者たち、企業による殺人・過労自殺や抵抗する人々を描きだした「生きさせろ」と訴える雨宮処凛に通じるものがあって未来どころか過去も懐かしい。