国境に到着したのが15時
現地ガイドはここでお別れです。
あらぬ疑いをかけられると困るので
カメラ類はしっかり荷物の中に仕舞いました。
22名、添乗員・U君の後をカルガモの様について行きます。
入り口の門でパスポートチェック
⇩ ⇩ ⇩
建物に入って手荷物検査(スーツケースの鍵は前もって開けてあります)
何人かはしっかり中身を調べられていました。
⇩ ⇩ ⇩
出国審査
こちらは特に問題は無し
⇩ ⇩ ⇩
建物を出て出口の門まで歩く
舗装はしてあるもののスーツケースにはやさしくない状態で
陽射しもきつく疲れる
⇩ ⇩ ⇩
門でパスポートチェック、乗り合いバスを待つ
現地の人も利用する混乗バス
買い出しに行ったらしき荷物をいっぱい持ってる女性たちなど
かなりの数の人が集まっているけど
バスはなかなか来ない・・・
やっときたのはマイクロバス、これではいつになったら・・・
ここでU君が動いた。
「皆さんこれに乘ります」(ええっ、先に来てた人たちは?)
「荷物を入れて、乗れるだけ乘ってください。
先に荷物を運んでしまいます。残りの人は次のバスで出来てください。
チップは言われなければ出さなくていいですからね、頑張ってきてください」
しばらくすると先ほどのマイクロが帰ってきたのか?
まさか、一台しか動いてないの???
ドライバーに「日本人乗って」みたいに言われて
一斉に乗り込んだ。
これは、U君の働きのような。
⇩ ⇩ ⇩
5分ほどで下車。
チップは要求されず。
チップを先渡しして、バスを動かしたのかも
小さな小屋のような建物の窓口でパスポートチェック
個人ではなくU君が全員分をまとめて提出。
これが時間がかかるの・・・
手書きで何やらやっているらしく・・・
まだこれ入国審査ではないからね
パスポートチェックが終わったら
再度、乗り合いバスを待つ
ところがここへ大型バスがやってきた。
現地ガイドと一緒にどういうこと
とうでもいいから早く乗ってサッサと入国したい。
スーツケースを詰め込み全員乗車完了
⇩ ⇩ ⇩
およそ5分後、建物の前で全員下車して入国手続きが始まった。
現地ガイドが入国手数料10ドルとチップ4ドルを是認から集金して窓口へ。
続いて一人づつパスポートを持って入国審査。
両手親指の指紋を取り
手荷物検査に進む。
ここでは全員開けられるという話を聞いていたが
数人が開けられるのみで済んだ。
⇩ ⇩ ⇩
手荷物検査後、パスポートチェックと税関申告書を提出
⇩ ⇩ ⇩
建物を出る前にパスポートチェック
⇩ ⇩ ⇩
出口の門へ地道をスーツケースをゴロゴロ、、、
スーツケースも靴も砂まみれになって真っ白
国境に到着して出国・入国してバスに乗り込むまで要した時間は2時間半
「ご協力ありがとうございました」とU君
お疲れさまでした。
17時半です、今宵の宿はここから4時間。
夕食はホテルということなので
おやつ系を少しお腹に入れて
サマルカンドのバスは少しボロい座席で
シートベルトはあっても使えないようなものだったが
こちらのバスはきれいだし
シートベルトもちゃんと機能するものだったので
安心して眠ることができました。
沈む夕日と満天の星をお供に
午後9時過ぎにホテルに到着:資料画像
ダイニングに直行です。
食事はもうどうでもいい感じなんだけどな・・・
でもこんな時間でも食事を用意してくれてるので
食べないなんて申し訳ないよね
とかなんとか言いながらテーブルにつきました。
サラダは各席に出ていて
フルーツとパンは何カ所かにポンポンと置かれ
何時到着しても大丈夫なようにラップされていました。
食事はいいよと言いながら
やっぱりビール~
無事に入国できたね~ 乾~杯
トマト味のスープ
ビーフストロガノフ
デザートは撮り忘れですねぇ、なんだったのか記憶にもありません。
食事を終えて部屋へ
スーツケースは各自で運ぶんだけど
エレベーターもあるし無問題
ただ、スーツケースが動きにくい?壊れた?
いえいえ、カーペットの毛足で車輪が埋まりそうで動かし辛く力がいるの
そんなだからゴロゴロも聞こえないし、廊下も静か~
部屋も昨日までのところと比べると何気にゴージャス
バスタブは無く、シャワーブース(扉はしっかり閉まる)
お湯も心配なくシャンプーしても最後まで温かかった
明日はゆっくり11時にチェックアウト。
無事到着したことをLINEで知らせようとしたが
Wi-Fiは繋がるんだけど
LINEやブログは繋がらない・・・
ネット検索も繋がるものやそうでないものいろいろ・・・・
ウズベキスタンもトルクメニスタンも独裁国家ですが
観光に力を入れ始めた国と
いまだ国の統計が秘密扱いになってる国の違いなんでしょうか。
そんな、ある意味平和な毎日が有り難くおもわれる今日この頃です。
ともあれ無事帰国されて、ご同慶の至りです。
”ごはん・ごはん”でおじい様の様子を拝見しますと
奈良へ母の通勤介護をしていた頃を思い出します。