ひろひろの生活日記(LIFE Of HIROHIRO)

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0001於戯 (ああ) 仏法に 値 (あ) ふこと、0001(Ā ) buppō ni atai (a ) fuko to

2020年08月12日 10時58分19秒 | 法華経の一説〔解)

0001於戯 (ああ) 仏法に 値 (あ) ふこと、0001(Ā ) buppō ni atai (a ) fuko to

於戯 (ああ) 仏法に 値 (あ) ふこと 希 (まれ) にして、 喩 (たと) へを 曇 (どん) 華 (げ) の 萼 (はなぶさ) に仮り、類を浮木の穴に比せん、尚以て 足 (た) らざる者か。爰(ここ)に我等宿縁深厚なるに依って、幸に此の経に遇い奉ることを得(う)。

(Reading romaji)

於戯 (Ā ) buppō ni atai (a ) fuko to Nozomi (mare) ni shite, Yui (tato) e o kumori (Don) hana (-ge) no gaku (Hana busa) ni kari,-rui o ukiki no ana ni hise n, naomotte ashi (ta)-ra zaru-mono ka. 爰 (Koko) ni warera shukuen shinkō (jin atsu) naru ni yotte, Saiwai ni kono kei ni ai tatematsuru koto o e (u ).

(Literal translation)

ああ。仏法に値することは稀である。
Oh. It is rare to deserve Buddhist law.

その珍しさを例えるなら、私は「どんげの花」(滅多に咲かない花)で例えさせてもらう。
If you want to compare that unusualness, I would like to compare it to "Dong flower" (a flower that rarely blooms).

類似するものを「浮木」(丁度良い穴の開いた川に浮かぶ木)で表す。
A similar thing is represented by "float" (a tree that floats in a river with a good hole).

なおもって、それを表現するには不足する。
Still, there is not enough to express it.

ここに、私たちは宿縁がすごく深く。それによって、幸せなことに、私たちはこの経に遇うことを出来た。
Here, we have a very deep relationship. So, happily, we were able to treat this sutra.

(解説)(Commentary)

仏法は、時代によって変わる法である。それを「方便」と言う。
Buddhist law is a law that changes with the times. It is called "Expedient(FoBen)".

言葉は死に、また生まれる。
Words die and are born again.

「皆以方便分別(かいいほうべんふんべつ)」。
`Everyone. Use. Expedient. Separate.  (kaī hō be n fun betsu)'.

全ての便法を分別しなさい。そう言うことです。
Separate all expedients.That is what it says.

時代は変わり、人、価値、社会も変わる。
Times change, people, value, and society change.

私たちが法を広める場所は世界であり、目的は社会的価値である。
The place where we spread the law is the world, and the purpose is social value.

精神は低きから高きに流れるのである。
The spirit flows from low to high.

より高い価値の法が求められる。
Higher value law is required.

仏法に値いするとは、二義あります。
There is a double sense that it deserves Buddhist law.

一に法これ仏法に値すること。
First, the law deserves Buddhism.

二に人これ仏法に値すること。
Second, people who deserve Buddhism.

法を「曇華の花房(うどんげのはんふさ)」に譬える。
The law is metaphorically referred to as "Udonge no Hanafusa".

人を「一眼の亀」に譬える。
A person is compared to a "one-eyed turtle".

大悪が起こらなければ、私たちは会い難い法である。
If no Great evil is happening, we are a law hard to meet.

時代は変わり「元初」です。喜ぶべきか憂うべきか。
The times have changed and it is "First Origin".
Should we be pleased or worried?

解説終わり。
End of commentary.

--------
仏法は、時の法である。それを方便と言う。
言葉は死に、また生まれる。
皆を以て方便を分別すべし、それは、全ての思想(法)を以て分別しなさいと言うことである。
時代は変わり、人、価値、社会も変わる。
法を広めるのは世界であり、目的は社会的価値である。
精神は低きから高きに流れるのである。
より高い価値の法が求められる。
仏法に値うとは、二義あり、一に法これ仏法に値すること。二に人これ仏法に値すること。
法を曇華の花房に譬える。人を一眼の亀に譬える。
大悪なければ会い難し法なり。
時は変わり元初である。喜ぶべきか憂うべきか。

終わり。


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