写真は、
これでもDIPS 11シリーズでは小型の機種にあたる
日立製作所担当のDIPS11/10です。
運用も日立製作所のグループ企業が担当しておりました。
とはいうものの、
その実態は下請け孫請けと数社の社員さんが仕事をしていたそうです。
私は日電系列の社員でしたので、
当初は、日立担当のDIPS 1LHやDIPS11/10
それにあとで紹介する予定の富士通担当のマシンルームに
お邪魔することはありませんでした。
ですが、
配属されて三年後に
某研究室に派遣されてからは
日電、日立、富士通各社担当マシンを横断した
仕事をすることになったものですから、
なんとか撮影に協力してもらえたというわけです。
(写真で見ると、彼等の表情がイヤイヤなのは明らかですが…)
ただ、BLOGで紹介している一連のDIPSの写真の撮影を行った'81年3月には
横須賀通研にはDIPS1LシリーズはDIPS1LNしか残っておらず、
DIPS 1LHやDIPS 1LFを収められることができなかったのがとても残念です。
私は、先輩と一緒に通研の地下一階にある
食堂で朝食をとるのが日課でしたが、
御同輩に日立担当のDIPSの運用を担当していた会社の
課長さんがいらっしゃいました。
毎朝お会いするので
いつのまにか会話を交わすようになりましたが、
その課長さん、
和定食につけた納豆と卵に醤油をかけず
そのまま召し上がるのです。
どうしてかと尋ねると、
過去に色々あって体調を崩され
塩分を控えておられるとのこと。
このころ…
というより、
それ以前からそれ以降を含めて
コンピュータ業界って
人を簡単に
短期間で廃人にする産業でした。
仕事の環境は、
気温や湿度それに防塵がされて清潔だが
仕事の内容は
炭鉱と変わらん!
と誰かが言っていたような
そんな気もします。
*DIPS(Dendenkosha Information Processing System )
その昔電電公社(現:NTT)が主体となって、日本電気、富士通、日立製作所の四社で開発された、我が国オリジナルの汎用コンピュータ。
1967年 ~1991年まで開発が行われ、2002年にピリオドをうった
これでもDIPS 11シリーズでは小型の機種にあたる
日立製作所担当のDIPS11/10です。
運用も日立製作所のグループ企業が担当しておりました。
とはいうものの、
その実態は下請け孫請けと数社の社員さんが仕事をしていたそうです。
私は日電系列の社員でしたので、
当初は、日立担当のDIPS 1LHやDIPS11/10
それにあとで紹介する予定の富士通担当のマシンルームに
お邪魔することはありませんでした。
ですが、
配属されて三年後に
某研究室に派遣されてからは
日電、日立、富士通各社担当マシンを横断した
仕事をすることになったものですから、
なんとか撮影に協力してもらえたというわけです。
(写真で見ると、彼等の表情がイヤイヤなのは明らかですが…)
ただ、BLOGで紹介している一連のDIPSの写真の撮影を行った'81年3月には
横須賀通研にはDIPS1LシリーズはDIPS1LNしか残っておらず、
DIPS 1LHやDIPS 1LFを収められることができなかったのがとても残念です。
私は、先輩と一緒に通研の地下一階にある
食堂で朝食をとるのが日課でしたが、
御同輩に日立担当のDIPSの運用を担当していた会社の
課長さんがいらっしゃいました。
毎朝お会いするので
いつのまにか会話を交わすようになりましたが、
その課長さん、
和定食につけた納豆と卵に醤油をかけず
そのまま召し上がるのです。
どうしてかと尋ねると、
過去に色々あって体調を崩され
塩分を控えておられるとのこと。
このころ…
というより、
それ以前からそれ以降を含めて
コンピュータ業界って
人を簡単に
短期間で廃人にする産業でした。
仕事の環境は、
気温や湿度それに防塵がされて清潔だが
仕事の内容は
炭鉱と変わらん!
と誰かが言っていたような
そんな気もします。
*DIPS(Dendenkosha Information Processing System )
その昔電電公社(現:NTT)が主体となって、日本電気、富士通、日立製作所の四社で開発された、我が国オリジナルの汎用コンピュータ。
1967年 ~1991年まで開発が行われ、2002年にピリオドをうった
DIPS 1Lの行方ですが、Fは電電公社の鈴鹿学園にHは芝電話局で商用機になってます。