「自分」とは実は様々なキャラクターの寄せ集めで、全ての瞬間の決断時にはそれらのキャラクターらが声をあげてあなたに答えを出させるってことにな気がつているかな?多重人格と言われることはそれらのキャラが極端に暴走してしまって自制不能になってしまっている状態。お酒を飲んだりパニックになると変わったキャラが出てきたりするよね?
それらのキャラ達は生涯を通して日々の生活で拾い集めてきたもの。家庭、学校、テレビや映画。友人として選ぶ人は自分と似た様なキャラを共有する人になる場合が多い。同じような話し方、趣味、考え方、仕草。周りの人がどの瞬間にどんなキャラを演じているのかを観察してみて。
自分の中にキャラがどれだけいて、どのキャラがどれだけ力を持っているのかは個人によって異なるが、同じ社会、環境で暮らす人たちには同様のキャラが心に存在してそれらのキャラがどのくらい権力を与えられたかで性格の違いが出てくる。世界的にも誰もの共通のものは、例えば「怠け者」「自己中」「うそつき」「怖がり」「いいこ」「まじめ」「無責任」「お気楽」「心配性」「いい加減」など。自分の中の鍵となるキャラを知っておいた方がいい。
あなたが「哲学者」のキャラを自分の中に育てる必要性があるのは、基本的に優れた哲学者は自分(エゴ)から離れて状況を判断し、公平で目的に伴った最適の答えを論理と直感で導き出そうとする役割をするからだ。だから、心の中の様々なキャラらの意見を聞き、矛盾を発見し、より論理的な答えを探り、あなたを正しい方向に導いてゆく。バラバラになってしまっている自分を統合する重要な役割を持っているんだね。それはバラバラになった世界を立て直してゆくヒントでもあるんだよね。
哲学って語源的には「知を愛する」っていう意味。思考が人生を左右する。無意識の思考を意識化してゆくことで意識レベルが高まる。言い換えると「覚醒してゆく」「悟ってゆく」。思考をとことん続けよう。それが人間としての重要な役割でもあるのだから。とことん考え続けたら必ず自己中心さから離れざるをえないこと、調和に生きるべきだということがわかる。世界の混乱は人間が考え続ける任務をサボってしまっている点にある。
例えば、明日英語のテストがあるが、今日は大変興味のある3時間のスペシャルテレビ番組がある。
どうする?
あなたの心の中で様々なキャラの討論が行われる。
あなたが無責任や怠け者のキャラに強い権限を与えてしまっている場合、「明日の朝早く起きて勉強すれば十分だよ」といった意見を通してしまう。そして朝寝坊して時間がなくてテストでいい結果が出せなかった、というシナリオとなりがち。 もし自分の中に哲学者がいて実権を握っていればそうしたシナリオを見据えて、優先順位に沿って答えを出す。自分は海外留学したいから英語を勉強している。だから今回のテストではいい点を取ることが必要だから、番組はビデオをとってテストが終わったら見ればいい、今夜はみっちり勉強しよう、ってね。
自分の中の哲学者を育てるには、論理的思考能力をつけてゆくことが必要だ。しかし、現代社会は論理定思考能力を身につけていくのに難しい状況にある。自己中心さ、自己防衛のために論理、事実を曲げる。 論理的とは簡単に言うと「筋が通っている」ということ。誰もが自然に論理的に考えることができる。なぜなら自然は論理的だから、動物である人間も論理的なはず。動物とのコミュニケーションを上手くとるには論理的であることが不可欠ってのはペットを飼っている人にはわかるかも。
それには「目的が明らかで一貫した行動をとること。」
犬がフリスビーをキャッチしたらご褒美をあげることで、犬はご褒美をもらうためにフリスビーをキャッチすることを頑張る。犬が家具を噛むことを止めたらご褒美をあげたら、 犬はご褒美をもらうために勘違いして家具を噛むかもしれない。基本的に、ペットの悪い行動は飼い主の一貫性の無さが原因なのだ。
両親が子供にいい子になりなさい、成功しなさいというが、いい子であるからいじめられたのでは、いい子であることは良いことではないと判断してしまう。また、いい人が今の社会で成功できることは難しい。物質社会の基盤が人との分離をもたらすもので自然の摂理に反するものだから、正しく良く生きようとしたら成功しにくいし、そうした状況を理解していないと心は病みやすい。
また、間違いを認めることで必要以上に怒られたり訴えられるような社会では、自分が間違えないように一貫性のない話をでっちあげる嘘をつき、その嘘を信じることが必要となる。これじゃ論理力は育たないよね。 残念だが、社会状況が変わるのは当分先のことで、社会は個人の集まりだから、個人が変わらない限りはあり得ない。社会、周りがどれだけ自分に影響を与えているのか、与えてきたのかを理解して、それを食い止めることで 論理的思考を取り戻してゆける。
論理力は真の自分を取り戻して人生を向上させるだけでなく、スピリチュアリティーの最終目的でもある「神とのつながり」を達成してゆくにも欠かせない。お釈迦様も「混乱した思考では涅槃には到達できない」とおっしゃった。思考をまっすぐにしてゆくことが人生をまっすぐにし、心の曇りを晴らして自分を取り戻させ、自信を取り戻し、人の目や周りと違ってしまうという恐怖からも自由になってゆけ、すると心が開き天からのメッセージを受け止めやすく創造力が冴え、世界を向上させてゆく為のテクノロジーなどを発展させられる可能性が高まるよね。
あなたはすべての瞬間に決断を行っており未来の方向を決めている。まずは常に自分の目的や思考を明確にしておこう。「正しく生きる」「自分らしく生きる」といったシンプルな方がより良い。また、それぞれの目的を常により深く追求し続けよう。何を正しいとするのか、自分らしくとはどういうことなのか。で、心の中の哲学者が論理的にその目的に応じ全ての瞬間の選択するべき言動を見出してゆく。
自分が何を選ぶのかを判断する際、どのようなキャラクター達の声が聞こえてくるのか意識してみよう。意識することで、そのキャラクターに意識を乗っ取られない。そして、哲学者のキャラに誘導させ論理的に言動の決断を行ってゆく。
はじめは時間をかけたほうがいい。そうしているうちに心の中に哲学者のキャラが育ってゆき、他のキャラクター達に自分の優先順位が何かを説得し、決断をより素早くできるようになる。慣れるとそのプロセスが瞬時に行われるようになる。哲学者のキャラが定着してくると、自分が疲れていい加減になりがちな時に哲学者の援助の声がはっきりと頭の中に聞こえてくるようにもなる。「明日が締め切りだよ」「アイロンの電源はチェックした?」といったような。
「思考」ってとても深く重要で面白いものだよね。
自分探しコンサルテーション「セルフハンター」
self-hunter.com
それらのキャラ達は生涯を通して日々の生活で拾い集めてきたもの。家庭、学校、テレビや映画。友人として選ぶ人は自分と似た様なキャラを共有する人になる場合が多い。同じような話し方、趣味、考え方、仕草。周りの人がどの瞬間にどんなキャラを演じているのかを観察してみて。
自分の中にキャラがどれだけいて、どのキャラがどれだけ力を持っているのかは個人によって異なるが、同じ社会、環境で暮らす人たちには同様のキャラが心に存在してそれらのキャラがどのくらい権力を与えられたかで性格の違いが出てくる。世界的にも誰もの共通のものは、例えば「怠け者」「自己中」「うそつき」「怖がり」「いいこ」「まじめ」「無責任」「お気楽」「心配性」「いい加減」など。自分の中の鍵となるキャラを知っておいた方がいい。
あなたが「哲学者」のキャラを自分の中に育てる必要性があるのは、基本的に優れた哲学者は自分(エゴ)から離れて状況を判断し、公平で目的に伴った最適の答えを論理と直感で導き出そうとする役割をするからだ。だから、心の中の様々なキャラらの意見を聞き、矛盾を発見し、より論理的な答えを探り、あなたを正しい方向に導いてゆく。バラバラになってしまっている自分を統合する重要な役割を持っているんだね。それはバラバラになった世界を立て直してゆくヒントでもあるんだよね。
哲学って語源的には「知を愛する」っていう意味。思考が人生を左右する。無意識の思考を意識化してゆくことで意識レベルが高まる。言い換えると「覚醒してゆく」「悟ってゆく」。思考をとことん続けよう。それが人間としての重要な役割でもあるのだから。とことん考え続けたら必ず自己中心さから離れざるをえないこと、調和に生きるべきだということがわかる。世界の混乱は人間が考え続ける任務をサボってしまっている点にある。
例えば、明日英語のテストがあるが、今日は大変興味のある3時間のスペシャルテレビ番組がある。
どうする?
あなたの心の中で様々なキャラの討論が行われる。
あなたが無責任や怠け者のキャラに強い権限を与えてしまっている場合、「明日の朝早く起きて勉強すれば十分だよ」といった意見を通してしまう。そして朝寝坊して時間がなくてテストでいい結果が出せなかった、というシナリオとなりがち。 もし自分の中に哲学者がいて実権を握っていればそうしたシナリオを見据えて、優先順位に沿って答えを出す。自分は海外留学したいから英語を勉強している。だから今回のテストではいい点を取ることが必要だから、番組はビデオをとってテストが終わったら見ればいい、今夜はみっちり勉強しよう、ってね。
自分の中の哲学者を育てるには、論理的思考能力をつけてゆくことが必要だ。しかし、現代社会は論理定思考能力を身につけていくのに難しい状況にある。自己中心さ、自己防衛のために論理、事実を曲げる。 論理的とは簡単に言うと「筋が通っている」ということ。誰もが自然に論理的に考えることができる。なぜなら自然は論理的だから、動物である人間も論理的なはず。動物とのコミュニケーションを上手くとるには論理的であることが不可欠ってのはペットを飼っている人にはわかるかも。
それには「目的が明らかで一貫した行動をとること。」
犬がフリスビーをキャッチしたらご褒美をあげることで、犬はご褒美をもらうためにフリスビーをキャッチすることを頑張る。犬が家具を噛むことを止めたらご褒美をあげたら、 犬はご褒美をもらうために勘違いして家具を噛むかもしれない。基本的に、ペットの悪い行動は飼い主の一貫性の無さが原因なのだ。
両親が子供にいい子になりなさい、成功しなさいというが、いい子であるからいじめられたのでは、いい子であることは良いことではないと判断してしまう。また、いい人が今の社会で成功できることは難しい。物質社会の基盤が人との分離をもたらすもので自然の摂理に反するものだから、正しく良く生きようとしたら成功しにくいし、そうした状況を理解していないと心は病みやすい。
また、間違いを認めることで必要以上に怒られたり訴えられるような社会では、自分が間違えないように一貫性のない話をでっちあげる嘘をつき、その嘘を信じることが必要となる。これじゃ論理力は育たないよね。 残念だが、社会状況が変わるのは当分先のことで、社会は個人の集まりだから、個人が変わらない限りはあり得ない。社会、周りがどれだけ自分に影響を与えているのか、与えてきたのかを理解して、それを食い止めることで 論理的思考を取り戻してゆける。
論理力は真の自分を取り戻して人生を向上させるだけでなく、スピリチュアリティーの最終目的でもある「神とのつながり」を達成してゆくにも欠かせない。お釈迦様も「混乱した思考では涅槃には到達できない」とおっしゃった。思考をまっすぐにしてゆくことが人生をまっすぐにし、心の曇りを晴らして自分を取り戻させ、自信を取り戻し、人の目や周りと違ってしまうという恐怖からも自由になってゆけ、すると心が開き天からのメッセージを受け止めやすく創造力が冴え、世界を向上させてゆく為のテクノロジーなどを発展させられる可能性が高まるよね。
あなたはすべての瞬間に決断を行っており未来の方向を決めている。まずは常に自分の目的や思考を明確にしておこう。「正しく生きる」「自分らしく生きる」といったシンプルな方がより良い。また、それぞれの目的を常により深く追求し続けよう。何を正しいとするのか、自分らしくとはどういうことなのか。で、心の中の哲学者が論理的にその目的に応じ全ての瞬間の選択するべき言動を見出してゆく。
自分が何を選ぶのかを判断する際、どのようなキャラクター達の声が聞こえてくるのか意識してみよう。意識することで、そのキャラクターに意識を乗っ取られない。そして、哲学者のキャラに誘導させ論理的に言動の決断を行ってゆく。
はじめは時間をかけたほうがいい。そうしているうちに心の中に哲学者のキャラが育ってゆき、他のキャラクター達に自分の優先順位が何かを説得し、決断をより素早くできるようになる。慣れるとそのプロセスが瞬時に行われるようになる。哲学者のキャラが定着してくると、自分が疲れていい加減になりがちな時に哲学者の援助の声がはっきりと頭の中に聞こえてくるようにもなる。「明日が締め切りだよ」「アイロンの電源はチェックした?」といったような。
「思考」ってとても深く重要で面白いものだよね。
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