セルフハンター:自分探しの旅ガイド

心の底に眠り続ける本当の自分があなたの迎えを待っている

誰かを『嫌だな』って思ったら? ー 絶好の心の学びの機会でもある!

2017年06月18日 23時15分26秒 | その他
誰かを嫌だなって思ったら、その思いに苦しむことに時間とエネルギーを浪費するだけじゃなくて学びの機会にもできる。学んで成長してゆくことで苦しみは減少してゆくはず。スピリチュアル的な観点では、世の中のものすべては天からの贈り物。嫌だと感じる時こそ最大の成長のチャンス。

「嫌だな」と感じるのは動物の防衛本能として自然の反応。その反応を利用し自分や大切な人達を守るよう作戦を練ることができる。問題は、嫌な気持になることが無意識の癖になり、嫌な気持ちから抜け出せずに長期間ストレス下にあり続けることで心身に支障をきたしてしまうことや、相手を懲らしめたいといった悪意が心に育ってしまい邪悪に利用されやすくなること。そうした場合の嫌な気持ちは過去の経験や思い込みといった幻想から発するものが多い。嫌だなって感じる理由は様々だけど、心を成長させ、今までの自分と他人との付き合い方を変えてゆく必要性があるってサインでもあるよね。

ブッダやその他世界中の「永遠の哲学」(オルダス ハクスレー著)と分類される古代からの様々な教えでは、現実をきちんと捉え自分に起こること全てを自分で責任を取るべく無意識を意識化して清く強い心を育て全知を求めてゆくことが基本。つまり、世の美しい調和を目指しより良い言動を選ぶべく自分を自分で躾け、心の中心にいつでも自力で戻れる力をつけることでで苦しみから離れてゆくことが可能。気持ちを押し殺したり、無視したり、人のせいにしてては決して苦からは逃れられない。

どんな状況でも事実を把握しつつ動じない「中道」の境地に至れたらストレスから自由になれるのだろうけど、実に難しい。感情を押し殺すとか無視することとは違う。己の過去に囚われずに清らかに生き心を開くことで「道(タオ)」つまり真理につながる。

感情を押し殺してばかりの人は感情の暴走に対応する方法を身につける機会を得られなかったため、限界を超えると「切れて」しまい、衝動的な行動を取り大変な問題になってしまったり、またその間の記憶を失うこともある。とても危険だから感情を開きながらコントロールする方法を身につけよう。こうした心の訓練は女優訓練みたいなもの。喜怒哀楽に深く浸り意図して瞬時に感情を変えられるようになる。女優訓練とスピリチュアル訓練の大きな違いはその意図や演じるのではないという点。

現実に起こっている「事実」は変えることはできないが、それをどのように自分で認知するのかは自分の責任。嫌な気持ちになるのは自分の責任。誰かや物事がトリガーとなって自分の嫌な気持ちに火がつく。だから自分が変わらない限りはどこにいっても誰といても嫌な気持ちは繰り返し永遠に自分に襲いかかってくる。自分を知る、つまり火種を見つけ、トリガーとなる条件、状況、プロセスを知ることで気持ちが燃え始めたことに気がついたら早急に消火活動に当たれる。

嫌な気持ちを根底から解消してゆくには?


1「変わりたい」という切望

長年の無意識の癖となっている感情の反応に対応してゆくには本気にならないとまず無理。変わりたいという目的が強ければ強いほど人生で最も難しい「自分との戦い」を乗り越えてゆくことが可能になる。

2 自分の気持ちに責任を持つ

人や何かのせいにしない。何がきっかけとなったのか(誰かの言動や状況等)も分析してゆくことも自己理解を深めるに必要だが、嫌な気持ちを持つことは自分の責任だと「納得」することで自分で気持ちを変えることが可能になる。

3 嫌な気持ちになった自分に気がつく

「嫌だと思ってはいけない」と自分の気持ちを押し殺し続けるのは危険。気持ちに気がついて認めない限りは改善は始まらない。嫌だと思う自分を責めるのではなく、学びの絶好の機会として捉えよう。

4 嫌な気持ちの理由を探る

この世のもの全てに必ず理由がある。無意識であっても必ず何かしら理由がある。また、表面的な理由の奥に深い理由が潜んでいるので忍耐強く様々な角度から検討し、これだ!と思ってもそこで止めない。ある程度の理解にたどり着かないと、何かしらの問題が生じ理解を助けようとする。つまり、取り組まない限りは問題は無くならない。

怒りや悲しみを十分感じることは自分を奮い立たせる動機付けになるが、抜け出せないと動き出せない。抜け出す際は「理由」が必要となり、その理由に納得できるかは己の目的の明確さとそれを達成したいという思いの強さ。

5 自分の中にある様々な人格達を統率するリーダーとなる

自分とは過去に体験して拾い集めてきた様々な人格のパッチワーク。大半の人はそうした人格達から形成された自分ではないキャラクターになりきって過去の経験から誘発する感情に振り回されて生きている。意識して自分を嫌な気持ちにさせている自分の中の人格の存在を知り、そいつと対話をしながら躾けてゆくことで感情の暴走を抑えてゆくことが可能になってゆく。

自分の中の様々な人格は特に大きく分けて「分離したがる」と「つながりたがる」を基盤としている。これは世を構成する基盤でもある。この二つのパワーのバランスで全ての存在が可能となっている。嫌な気持ちは分離を促進する。人々が幼稚さから成長できず、魂の成長のための学びを避け、人同士がより分離しバランスが崩れ世界はバラバラで様々な問題が発生し続けている。分離を最小限に留められるように人々の心の成長が急務とされている。それには環境が変わらないとで、環境を変えるには”普通”や”常識”や不公平を生み出してきた物質主義に疑問を投げかけ日々魂の修行に励んできたあなたのような「年上の魂達」が立ち上がらないと。

6 自分の心の中心を見つける

穏やかで澄み切った心の状態。始めはシンプルだけど嬉しかったこと等を思い出しながら、笑顔を保って深呼吸しながら全身をリラックスさせるといい。その心身の状態を覚えておくことで、ネガティブに陥っている自分に気付いた際に切り替えやすい。「自分は守られている、愛されてる」とより深く信じられることで自分の中心に戻って行けやすい。それには日頃から自分を信じられるよう自分に嘘をつかないように、また周りの人に思いやりを持ち正しく生きようと努めることが必要。

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心の中で少しでも相手が変わることを望み続けている間は他人への嫌な気分から自由になることは難しい。自分で操作が可能な自分の心といった範囲だけをまずは集中したほうがいい。そして、その人との今後の関係について検討し深く付き合ってゆきたいのならば指摘をし、そうでないなら己の身の安全を最優先しながらも相手から悪い影響を与えられない距離を見つける。離れるべきなら先を見越し計画をたてる。身の危険があるのならまずは避難する。そうした場合は誰かに相談することも躊躇してはならない。

深い自信を持つことで他人に振り回されにくくなり嫌な気持ちも少なくなる。周りや流行に合わせて善悪の判断や言動を選び続けるようでは自分を見失い自分で判断する能力が養われず周りに頼り続けることから深い自信は伴わない。自分は深い部分で真実とつながっているから、自分が正しくない言動を取っていることは心の底では必ず感知してて、自分を信用することができず、自分を信用できないと人を信用することはとても難しく、宇宙から与え続けられる愛を信用し受け止めることは無理。

正しく生きようと努めることが必要なのは、人類は文明を発展させる過程で自然とのつながりを失ってきたことで動物として自然と持ち合わせるはずの善悪のセンスを喪失してきたから。自然にとっての正しさとは、この世の美しい調和に貢献してゆけること。無知から愚かなことをして、自分や周り、地球、宇宙に被害を与えないように生きるには善悪のセンスを取り戻すことが必要。取り戻せるまでは徹底して正しく生きようと努めなければ容易に道を踏み外す。気をつけるべきことは、社会の正しさが自然界やスピリチュアルでの正しさと沿わないことが多いって点。

深い自分探しで心身を清らかにしてゆくことで真理と繋がり始め、複雑な状況においても正しさの判断がよりクリアに迅速になってゆく。古代からのスピリチュアリティーの最終目的は神との一体化。神の道具となり美しさを世に齎す手伝いをすること。自分だと思わされていた自分から自由になってゆくことで見つけてゆく境地。

誰もの心の底に美しい魂が存在するが、誰もが混乱した社会に傷ついた被害者でもある。スピリチュアリティーはそうした傷を癒して魂(本当の自分)に戻ってゆくプロセス。人との出会いはそのプロセスの為に天から与えられる計算されつくされたギフト。必要だから与えられる。必要なくなるまで与えられ続ける。嫌な気持ちに囚われている真っ只中では難しいけど、どんな人との出会いでも成長の機会だと思い出して感謝できたら成長は促進するよね。


そうだね
誰もに魂として果たすべき
重要な役割があるんだよね

本当の自分を思い出してゆく
その美しさを体験したら
後戻りなんて考えられない

Ryoko

Twitter @SelfHunterJapan