二つ心 管理人ざんげ室

小夜@管理人の駄文『二つ心』制作ノート。へたれ管理人の言い訳部屋とも言う・・・。

甕覗き。

2005-10-31 11:40:57 | 照葉
色の名前です。
藍染の、一番薄い色。
ttp://www.wanogakkou.com/hito/0080/0080_04.html

前に、小夜の着物は濃地が多いと書いたんですけど、季節が季節なので数少ない中から薄色を選んだってことで(^^;
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初七日の仏事。

2005-10-31 11:37:09 | 照葉
地方によって違うんでしょうけれど、今は大概、葬儀の時に百か日の法要まで全部やっちゃうんですよね。
でもこれは現代の生活事情に合わせて簡略化された形なので、昔は初七日、四十九日、百か日の法要ぐらいはちゃんとその当日に親族が集まってやったんでしょう。
本来は四十九日までは七日毎に法要するべきもの・・・だと思ったなぁ(^^;違ってたらご指摘下さい!
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喪服。

2005-10-31 11:28:31 | 照葉
照葉さんの初七日に小夜が着ているのは絽の色無地に黒の帯。
たぶん葬儀の時もこれを着てたかな。

今は血縁者も友人も勤め先の上司も同僚も、上から下まで真っ黒な格好ですけど、本当は違う。着物も帯も黒を着るのは家族だけ。血縁が遠くなるにつれ、着物の色は薄くなるものなんです。薄くなるというか、格が下がって行くというか。
ま、着物の時代の話ですけどね。

もっとも、江戸時代、親族以外の参列者は喪服を着なかった。しかも喪主は白を着たみたいです(親族全部が白だったかどうかは・・・調べきれてません。すいません)。ごく最近までそういう習俗の残っていた地方もあるみたいですし。男の人は白の裃姿だそうな。
子供(親族)は喪服なんて無いので正装したようです。結婚式並みの晴れ着を着た。意匠云々より「格」が物を言うんですね。

なので、初七日に色無地という小夜の格好はちょっと仰々しいのかな?親族代わりという意味合いもあるのかな。薄い色であるのも白を思わせてちょっと気負ってるよね(笑)。
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遊女の墓。

2005-10-30 20:02:48 | 照葉
お墓の話ばっかりですいません(^^;

遊女の墓って共同墓地だと思ってたんですけど、地方によってはちゃんと個人個人の墓を建ててる所もあるようです。
地方と言うよりは遊郭によって違うのかな?
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お詫び(滝汗)。

2005-10-26 11:13:30 | 照葉
沖田氏縁者、土葬だったみたいです(爆)。

なので、「骨を預かる云々」は大嘘!
確定してないことを好きに書くのはまあ許される範囲でしょうけど、事実を曲げちゃイカンですねぇ。
すいません(平伏)。

でも、昔はそういうことも判らなかったんだよ!(逆ギレかよ)
だって土葬で墓が無いってどうなのよ!寺の敷地内のどこかに埋めたってか?(怖)。やっぱり共同墓地なのか?とすれば、やっぱりそれって墓が建てられなかった理由があったってこと?

謎だ。
ていうか、ますます謎が深まったな。
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沖田氏縁者。

2005-10-26 10:52:13 | 照葉
光縁寺の山南さんの隣にある墓の戒名は「真明院照誉貞相大姉」。新選組ファンなら「沖田氏縁者の墓」として知られるものです。
もともと墓は無くて、今建っているのは昭和51年(ホラ、私がはまったTBSの「新選組始末記」の放送された年じゃない?笑)に建てられたものなんだそう。

沖田氏縁者・・・ってことはつまり恋人じゃないか、とは昔(=私が若い頃)から言われていた事です。
でも今はもっといろんな説があって、山南さんの恋人=明里の墓なんじゃないか、とか沖田さんの内縁の妻の墓なんじゃないかとか。

沖田さんには秩(「ちづ」と読むのかな?)という妻が居て、彼女との間にはキョウという娘が居たとか・・・。墓はその秩さんのものらしい、という話です。
秩さんとは病の看病してもらって仲良くなったとかいう良くある話。
彼女の出自も判っているし、娘の子孫も居るらしいんですが、そこまで調べがついているならなんで新事実として広まらないんだろ?
やっぱ事実として確定させるほどの証言やら物証が無いんでしょうな。

なので、20年程前に考えたこの話、今更設定変えるのも面倒だし(それかい!)通説のまま沖田さんの恋人だということで書いちゃいました。

あ、通説では医者の娘だったけど、そこは変えたんだ、通説のままじゃないや


追。
TBSの「新選組始末記」は昭和52年の放送でした。
でもその前年には有名な新選組の老舗同好会さんが結成をみているので、沖田氏縁者の墓が建ったのもなにか関係あるんじゃないかと思います。
いずれにせよ、その当時は戦後何回目か(たぶん2回目)の新選組ブームだったんでしょう。そのブームに後押しされて・・・ということなのじゃないかと。
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照葉他殺疑惑と沖田さんの恋情。

2005-10-25 14:42:23 | 照葉
そういうつもりは無かったんですけどねー。最後の最後に遊んじゃったよ(爆)。
いや、書いてるうちに自然とそういう流れになったんだよね。
沖田さんとしては、幸と小夜には、悲惨であろう照葉さんの最期を見せたくなかったんじゃないかと思ってさー。ひいては、自分の手にかけても、安らかな最期を迎えさせてやりたいと思ってたんじゃないかとさー。照葉さんもそれと知りつつ望んでいたんじゃないかってさー。

きっと彼がそれを決心して、彼女がそれを察知した時、この二人は本当に気持ちが通じあったんじゃないだろうか(うわ、なんか歌舞伎の世話物みたい・爆)。
幸も小夜も、この二人の間には友情しかなかったと思ってますけどね。判りませんよ~、男と女なんて。一瞬で恋に落ちることも可能ですもの。そういう意味では幸も小夜もまだまだ子供。そこまで読めてません

自分の手にかけることが、沖田さんの愛情の表し方だったんだろうし、照葉さんにはそれが判って、きっと嬉しかったろうな。
それを手助けしたのは幸の読み通りに山崎さんだったんでしょう。

読まれているのを、山崎さんは知ってたんだね。
でもそのことをどう受け止めてもらえるかって辺りが彼としては心配だったんじゃないかな?察しの良い幸だとて、彼からみればまだ子供だもの。
だから、照葉さんは病死かと幸に問われて「もちろんそうです」と答えるのは山崎さんの思いやり。子供に余計な詮索(心配)させたくない、という。

それを即時に理解して、彼の笑顔を信じる幸はもう大人。嘘も信じれば誠になると判っている。
ていうか、大人の優しさの前には、真実を暴くことが正義だなんていう青臭い価値観は陳腐なものだと、幸もそう思ったのかもしれない。
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大人な沖田さん。

2005-10-24 15:33:33 | 照葉
大人の優しさって、大人にならないと気付かないことが多いですよね。
大人になってから自分が子供だった頃を思い返してようやく「あれはこういうことだったのか」と気がつくことが多い。

幸を「プライベートに拘束した」沖田さんもそういう意味で大人かなと。
幸は聡い子なので、状況が判るにつれ、気がついて行きますけど。

問いただされても認めないところがまた、大人のはにかみでもありますしv

沖田さんはねぇ、それぐらいの大人ではあると思うんだよね、うん
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土方さんの保護者意識。

2005-10-24 15:09:47 | 照葉
小夜達を照葉さんには近づけたくなかったはずなのに、結局協力しちゃってるってのはどうなんだろう(笑)。
看病に通うのを黙認して、最後にはぐずる小夜に喝を入れてるってのは

危なげない場所に保護しておくよりは、放り出してやって経験値を上げてやる・・・ってことなんでしょうけどね。どこら辺からそういう風に方向を変換したのか。
その心境の変化を考えるのも面白いかもなぁ(って自分が書いてるくせに!)。
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甘~い土方さん(笑)。

2005-10-24 11:05:33 | 照葉
びびっている小夜の背中を押してあげる土方さん・・・甘~い!(笑)。

土方はこんな大人じゃない!またはこんなに甘くない!という意見もあるかと思われますが(笑)、私がこの話(「二つ心」というタイトルはまだ無かった)を書き始めた頃はなんせまだ17、8の頃でしたので、30過ぎの男の人なんてみんな大人に思えたわけですなので、大人の表現方法のひとつとして、子供には多少甘いかな?と。希望的観測ですけどね
それがいつの間にかデフォルトになっちゃったってのも確かにあるんですが。

恐怖政治を布いただけでは人は付いてこないと思うんですよ。
まあ京都時代、この人は(近藤さんを立てるために)敢えてそうしてるんでしょうけど、それは表立ってのことなんじゃないかなぁと思うわけです。
でなきゃ箱館に渡ってから「赤子が母を慕う如く」なんて言われるわけ無い。そんな急に人格を180度転換できようとは思わないですもん。素地はあったんだよ。それを表に出さなかっただけなんだろうと思うわけです。

京都時代にだって例えば腹心と呼べるような人達が居たはずで、私はそれを監察の人達(全部ではない)だと思ってるんですが、そういう人達を陰で動かすのにはお金や力だけでは無理だと思うんです。身を挺して動いてくれるような人ってのはそういうものでは動かない。それなりの信頼関係が無いとね。
それはやっぱりお互いの人格的なつながりがモノを言うのじゃないかと。

それを考えた時に、土方という人は京都時代も内輪的には普通に優しい人だったんじゃないかと思うんですよ。
照れ屋だし不器用なので、そんな素振りも見せないけどね。特に小夜の前では。ヤツは優しくするとどこまでもつけあがるので
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