光縁寺の山南さんの隣にある墓の戒名は「真明院照誉貞相大姉」。新選組ファンなら「沖田氏縁者の墓」として知られるものです。
もともと墓は無くて、今建っているのは昭和51年(ホラ、私がはまったTBSの「新選組始末記」の放送された年じゃない?笑)に建てられたものなんだそう。
沖田氏縁者・・・ってことはつまり恋人じゃないか、とは昔(=私が若い頃)から言われていた事です。
でも今はもっといろんな説があって、山南さんの恋人=明里の墓なんじゃないか、とか沖田さんの内縁の妻の墓なんじゃないかとか。
沖田さんには秩(「ちづ」と読むのかな?)という妻が居て、彼女との間にはキョウという娘が居たとか・・・。墓はその秩さんのものらしい、という話です。
秩さんとは病の看病してもらって仲良くなったとかいう良くある話。
彼女の出自も判っているし、娘の子孫も居るらしいんですが、そこまで調べがついているならなんで新事実として広まらないんだろ?
やっぱ事実として確定させるほどの証言やら物証が無いんでしょうな。
なので、20年程前に考えたこの話、今更設定変えるのも面倒だし(それかい!)通説のまま沖田さんの恋人だということで書いちゃいました。
あ、通説では医者の娘だったけど、そこは変えたんだ、通説のままじゃないや
追。
TBSの「新選組始末記」は昭和52年の放送でした。
でもその前年には有名な新選組の老舗同好会さんが結成をみているので、沖田氏縁者の墓が建ったのもなにか関係あるんじゃないかと思います。
いずれにせよ、その当時は戦後何回目か(たぶん2回目)の新選組ブームだったんでしょう。そのブームに後押しされて・・・ということなのじゃないかと。