カメラを持って出掛けよう

仕事と音楽の合間に一眼レフとコンデジで撮った写真を掲載しています。

幾つになっても

2021年05月02日 | 音楽
コロナの影響でオーケストラ活動休止となり全体練習が先送りとなることが多くなった今、日頃では出来ない基礎練習を
繰り返しています。
前回の緊急事態宣言時も同様でひたすら管楽器奏者としては基本中の基本であるロングトーンを行いました。
そうすると練習再開時にすごく音程、音色が安定して演奏が今までになく楽しく感じられ、プラスアルファで表現を加えることが可能になりました。
幾つになっても基礎練習は欠かせないと実感しました。




小説「Obralmの風」

 


当日岳は朝から妙に緊張して落ち着かなかった。
果たして昔の二人になってまともに話ができるのだろうか。
様々な憶測を脳裏に描きながら彼女の住む宝塚へ向かった。
岳は競馬場のある阪急仁川駅で降り、進から説明してもらった川沿いの道を競馬場とは反対の方向に向かって歩いた。
今は知らないが、昔はこの川の上流にピクニックセンターがあったのを覚えている。
若かりし日に何度かはこの道を歩いたことがあり、以前とは変わらぬ景色を懐かしみながら歩いた。
川沿いから少し右に逸れ、閑静な住宅街を歩くと道は上り坂になる。
樹木に覆われた丘の手前に明子の住むマンションはあった。
やや古いその建物は落ち着きを感じさせ、ロビーには涼やかに緑風が吹き抜けてゆく。
建物に品位あれば、そこに住まう人々の品位も感じずにはおられないような佇まいである。
明子の部屋は三階であった。
表札に書かれた「石田明子」の文字を見て岳は子供の頃の彼女を思い浮かべたが、くっきりとは心に描き出せなかった。
岳は緊張を抑えきれず震える手でインターホーンを押した。
果たしてどのような声が聞こえて来るのか、岳の動悸は急に早くなり始めた。
「はい石田ですが、どちらさまでしょう?」
その声は想像していたより透明感ある響きであった。
「久保です、久保岳です」
「しばらくお待ち下さい」
岳の高鳴る動悸はドアーが開けられるまで治まらなかった。
やがて施錠を外す音がしてドアーが開けられ細身の女性が会釈をした。
「いらっしゃい」
背丈は岳よりやや低く、黒髪はやや短いボブスタイルで子供の頃からの活発性は変わりがないように見える。
顔立ちは清楚で子供の頃の面影が残っている。
「突然お邪魔して申し訳ありません」
「おひさしぶりです。さあ、こんな所では何ですからどうぞお入り下さい」
部屋の方からほのかに生活臭が漂って来る。
それは嫌な臭いではなく、家具や芳香剤がブレンドされたようないい香りであった。
岳は玄関に用意されたスリッパに足を入れた。
しっかりした形状のスリッパに岳は彼女の堅実な生活ぶりを直感的に想い描いた。
リビングの大きな窓からは丘の樹木が風にそよいでいるのが見える。
岳はソファーに掛けて部屋を見回した。
女性の一人暮らしには広過ぎる、各所に物が整頓されて静寂感醸し出されている。
ダイニングからコーヒーのいい香りが漂って来る。
「岳くんはコーヒーに砂糖を入れるの?ミルクは?」
ごく自然に名前を呼ばれて岳は嬉しく、今までの時間が消し去られたかのように思えた。
「砂糖なしで、ミルクだけ」
明子はコーヒーを運びながら笑顔で詫びた。
「ごめんね、突然名前を呼んじゃって」
「いや、その方が瞬時にして過去に戻れたみたいで嬉しかったよ」
彼女は正面に座ってコーヒーを差し出すと岳の顔を見た。
「ごめんなさいね、飲み物の好みを聞かずにコーヒーにしちゃって。私はコーヒーなしではおられないのよ」
「いや、僕も好きやからええよ」
「岳君は昔と変わらないわね、子供の頃のままよ」
世帯も持たず世間的には半人前の生活が顔に出ているのだろうか、岳は内心素直に喜べずに苦笑した。
「それより僕は、明子ちゃんに会ったら真っ先に謝らなあかんねん」
「どうしたん?急に改まって」
「高校時代に駅まで呼び出しながら、会わずに帰ってしもて本当に申し訳なかったよ」
明子は岳の唐突な話に大きく瞬きしながら首を傾げた。
長年思い悩んでいたことが堰を切ったかのように流れ出し、岳は相手の心の反応を窺う余裕はなかった。
「あの時は三十分も早く駅について、君を待つ間に会うことへの恥ずかしさが募り過ぎて、その場にいたたまれたくなって遠くに君の姿を見た時に逃げ出してしもたんや」
ようやくその時の記憶が蘇ったのか明子は少し意地悪っぽい目になって笑い返した。
「そのことでずっと悔やまれて今になってしまった訳なの?そうやったの、私もあの時遠目に岳君やないかと思ったのよ。後でお手紙でも下さればよかったのに。そうすればそんなに後悔しなくてよかったのに」
岳は彼女の笑顔に救われた気がした。
先程からの様子を見ている限り進から聞いた引きこもりをしているようには思えない。
「あの」
「あの」
次の話題切だしが同時だったので岳は彼女の目を見て笑った。
岳達は聞かなければならない互いの近況をあえて口に出さず、途方もなく長かった時間の隔たりを縮めようとした。
互いに会話の間が空くことに気を遣うかのように会話を続け、たわいもない出来事を思い出しては昔話を繰り返した。
しかし岳はいつまでも彼女の部屋に居座る訳には行かない。
岳は意を決して話を切り出した。
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