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私の検証①

2022-10-29 10:41:48 | 文芸

  作ってはつぶす 机上の小さな革命旗 庸晃 (2006年8月27日記述)

 終戦、それも敗戦という昭和20年8月15日。その日から始まった過酷な日々との闘いは飢えとの戦いでもあった。終戦前の6月私達は別府港より宇和島港へ、宇和島港より疎開先へ向かうバスの始発駅へ。そこでのすさまじい食料の奪いやいは幼い私のおにぎりまでもとられることになる。そして疎開先の南宇和郡内海村須ノ川(今は愛南町)へ。そしてこの地における食料との戦いは飢えとの闘いでもあった。毎日、草を食べ、木々の皮を食べ、終戦を迎える。こんな田舎村に食料の配給などは届かなかったのだ。…以後復興への懸命な努力がなされてゆくたびに人々は心に小さな願望を持とうとした。何かを求め前進するために机上に小さな革命旗を立て、そして壊しまた作り続けねばならなかった。掲示の俳句は当時を思い回想の句である。

 さて、この頃プロレタリアートの作家たちはこの現実と如何に闘ったのか。

 俳誌「層雲」のなかでは大きな混乱が起きていた。井泉水と「層雲」編集の小沢武二との間には思考する方向が違ってきていたのだ。これは小沢武二の句に対する批判で第3回ブログで書いた「もう目の前の巡査を相手にするほかねいじゃねえか」に代表するものであった。この意見のくいちがいはますます激しくなり、ついに昭和5年には「旗」の創刊となった。この「旗」には夢道、神代藤平を中心とする井泉水に反逆的な江東グループ、「層雲」の林二を含む学生グループ、それに前者のどちらにも属していない一石路、武二がいた。

  みんなきょうの泥靴でだまりこくっている

  何もかも月もひん曲ってけつかる

  冬空のビルディングの資本の攻勢を見ろ

これは当時問題になった一石路の俳句作品だが、ユーモアやアイロニーの強い句を見ていると単なるスローガンではないかという気がした。まことにスローガン的ではあるが根底に流れている精神的なものはやはり疲れきった昭和の背景を多く含んでいて、くさみがある。底辺には時代のくさみみたいなものを持っていた。これを正統にに解釈すれば、これを名指して俳句の象徴とか、暗示とか言うのかもしれない。しかし私はどうもこのくさみが気になってしょうがないのだ。文学という意識にたって物を見る場合、文学本来の必死な人間との闘いが、時代の中へくいこまないで、地球のまわりをくるくる回っている衛星のように見えてしようがないのである。それは生活に追われ俳句どころではなかったのであろう。   



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