雲の間にまに

日々想うこと感じたことをありのままに・・・

私の興味はここ!

2008-09-03 21:52:42 | Weblog
ありがとうございます、元気の森もりです。

8月31日

ジーニーさんのアドバイス通り
某大学の通信教育部の講演会に行ってきました。

『入場無料・一般来聴者歓迎』で
通信教育を受けている学生さんの出前授業って感じだったので
『公開授業』にぴったり!!


ほんまに私の興味の対象が見つかりました。

というよりも、やっぱりそれだったかって感じなのですが・・・


講演の一人目
田中〇彦先生は、その大学の副学長でもあるのですが
すごくおもしろかったです♪

話し方もとても上手でおもしろく
もっと聞いてみたい気持ちでいっぱいになりました。

私の興味はここなんやと、鳥肌たちそうでした。


忘れないように、ここに書いておきます。




田中先生には、二人のお母さんがおられるそうで、一人は、生みの母親であり、もう一人は、平成9年9月6日に亡くなられたのだそうです。

平成9年9月6日、その頃亡くなった方って・・・
そうです、マザーテレサさんですね。

マザーテレサは、マケドニアに生まれ、インドの子ども達のためにインドで暮らし活動を始めたそうですが、インドの国民栄誉賞をもらった次の日にも、マザーテレサとお話をされたそうです。



もう、その話だけで、私的にはです♪


その時のマザーテレサの話は、「ここにいる外国人だけ集まってください」ということで、「インドで暮らすのにかかせないこと」としてインド人の心・インド人の思想について語られたそうです。

その頃のインドは
  「カルカッタの裏どおり いくに歩けば 人生わかる」
といわれたとおり、少し歩けば産声が聞こえ、また少し行けば人の死に目にあうといった感じだったそうです。


その中で、田中先生は、インド人の心・インド思想を捉えながら考えた時、常に私を捉えようとする、私追及だとわかったようです。


例えば、『人間ってなんですか?』と問われた時、自分を抜きにして「人間ってなんやろ?」と考えることが多いのですが、実はその『私』というものが問題になるのだそうです。

『人間って何?』
『なんのために生きるの?』
『なんのために働くの?』

自分が生きていることの意味と値打ちを求めているのだそうです。


小学校4年生の女の子に「私はなんのために生きているのですか?」と尋ねられて「答えられなかった」という教師の話を揚げ、
「小4や中1の頃には、このように子どもは疑問をもつのです」
「聞かれたら、大人は大人の責任として答えてあげてほしい」
「自分の生きてきた道を振り返りながら」
「間違っていてもいいから」

そのために「大人が心を豊かにしないといけない」とおっしゃていました。


そして、「自分の心の中をそ~っとのぞいてみてごらん♪」
「そ~っと のぞいてみてごらん♪」
「そこには、めだかもフナもいませんね」
「そこにいるのは、タイだけです」



仏陀さんかお釈迦様かどちらがおっしゃたのかは聞き忘れましたが


『人間だけなのじゃ。
 心一つで 飲みたいもの・食べたいもの・行きたいとこ・したいことを
                         決めることができるのは』

ほらっ!
タイがいっぱい!


人間の心は
 〇人間と人間のかかわりの中に、経験を積み重ねることができる。
 〇したいことを決定できる。→人間だけが自分の人生をつくっていける
       ↓
  自分の心一つで、自分の人生をつくっていける。

「シャバ」という言葉がありますが、サンスクリット語で「サハーヤ」といって
「あなたの心の向きと反対の結果が、往々にやってくる世界」のことなのだそうです。

   年はとりたくない
            →苦
   死にたくない


   苦しいこと
            →どんどんやってくる
   悲しいこと


だから
『人生とは生きる修行である』


一度、目の玉を引っくり返して考えてください。
残念ながら、目の玉はひっついているので取り出せませんが
引っくり返して、みて下さい!

目の玉は外を向いてついているので、人のことはよく見えるんです。
だから、人のことをいいたくなる。
だからこそ目を引っくり返して、自分の心をみてください。

自分の心は、どっち向きについていますか?


みんながやっているからやってる
      ↓
   では、心がない。
しかし、これが日本人の心である。
しかし、欧米人からみれば、「信念がない」と笑われる。

このような内容でした。
これが、私にフィットする話なのです。


田中先生の話、もっともっと聞いてみたいです。

やっぱり、この大学をめざすぞ