めざせ再販!ばかりでも申し訳ないので、SACRAについての小話を少々、書いてみます。
結成以前、私は、大学時代から属するようになった別のグループで、主に札幌のライブホールで歌わせてもらってました。
当時よくあった、対バン形式(…っていう表現でいいのかな?)でやってたライブを、のちにSACRAのリーダーとなる高橋氏が、どこかで見たんでしょう。
なにせ、もう30年ぐらい前のことなので、細かいいきさつは、よく覚えてません。
で、ちょっと一緒にやってみない? という話になり、ギターと歌、っていう、ミニマムなユニットが発生しました。
そのときはまだ「SACRA」という名前はなくて、確か「チャーリー高橋&小畑香」とかいう、そのまんまのユニット名だったような。
ライブもよくやりました。
ただ、やっぱり「対バン形式」で出没したため、私は掛け持ち、っていうこともよくありました。
チケットには3~4つのバンド(ユニット)が書いてあるけど、半分は小畑が歌ってるじゃねーか…みたいなこともしばしばでしたが、音楽性は違っていたので、お客さんは楽しかった…ですか?(急に自信喪失)
私は楽しかったです。
高橋氏の楽曲は実験的な要素が多く、「ついのすみか」とはだいぶ異なる感じの曲もありました。
ボサノバや、ハワイアンもありました。
ハワイアンにいたっては歌っている本人も歌詞の意味がわからないままでしたが、よかったんだろうか?
「ケマカカ~イ ケメア~ ヒイラウェ~」…って、お客さんもどう聴いていらしたのか不思議ですが、そこそこウケていたようにも記憶しています。
ギターと歌だけなので、どこででも練習できて、どこででもライブできました。エコ。
目の前1メートルぐらいのところにお客さんがいるところで生歌と生ギター。エコ。
しかし、いかんせん、二人ですから、音がスカスカです。
それもまたよし、ではあったのでしょうが、ある日、高橋氏が、見たことのない楽器を抱えた男の人を連れてきました。
「ハンマーダルシマー」…?
今でこそ知名度が上がりましたが、当時のニッポンではなかなか、まずお目にかかることのない楽器でした。
はい、小松崎健さんの登場です。
ダルシマー手作りしちゃうんだからエライ人です。
ニッポンのダルシマー弾きの先駆け的な人といってもよいでしょう。
ダルシマー界ではおそらく神様的な扱いに違いない。
台形の箱(貧相な表現で申し訳ない!)に弦がいっぱい張ってあって、それをマレット(スティック?ばち?)で叩いて奏でるのですが、まあそのサウンドの素晴らしく豊かなこと豊かなこと。
健さんも本来の活動母体であるバンドがありましたが、高橋氏に「ちょっと一緒にやってみない?」的に声をかけられて参加することになったのだと思います。
それまでの演奏に大変な広がりが加わりました。
ダルシマーも電源いらずなので、やっぱり、エコ。
そして3人で演奏する機会も増えたわけですが、でもまだ「SACRA」ではなかったと思います。
「チャーリー高橋&小畑香 with 小松崎健」みたいな名前でやっていたような…。
きっかけはおそらく、自主制作のカセットテープを作ろうか、という話になったときじゃなかったかな。
確か、いくらなんでもこれは名前として長すぎるということで、宗教用語?の「サクラメント」からとって、高橋氏が「SACRA」と命名。
よく日本語の「さくら」と混同されますが、語源が違うので「SAKURA」ではなく「SACRA」なんでした。
私も、たぶん健さんも、「高橋氏の企画に参加している」意識だったので、特に反論も代案も何もなく決まったように思います。
SACRAは、そんなふうに、なんかぼんやりしてる間に、発生したのでありました。
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ファンとして、結成までの裏話が聞けたのは、とても嬉しいです!ありがとうございます!(*´∀`*)
SACRAはこうしてはじまったのですね~(*^O^*)
オバタさんの歌われる、ボサノヴァやハワイアン!?
どんなふうだったのか気になります
興味深いお話をありがとうございます♪♪
なにせ昔のことなので、いろいろ前後してたり、錯綜してるかもしれませんが、まあ、だいたい、こんな具合じゃなかったかな、と記憶しております。
ちょっと前後してたり、「そこ違う」ってのがあるかもしれませんが、30年近く前のことなので許してください(笑)