「南冥行」に触れてしまうと、どうしても「蘭の舟」が追っかけてくる気がするのでちょっと前のめり。
ついのすみかでは、「南冥行~蘭の舟~ケシの花」で1曲の扱いになっていて、実際、ライブでもこの流れで演奏していました(と思う)。
3つ合わせて、ずるっと「SACRAワールド」へ連れ込もうという作戦だったのかも。
CDジャケットも多分、この3つを合わせたイメージで描いてくれたのではないかな。
再販されてきたモノが、もし、初盤と同じ装丁で届いたら、ひと目で「おう、なるほど…」と感じていただけると思いますよ。
Sony Music Shop オーダーメイドファクトリー SACRA ついのすみか
「蘭の舟」はスンダ地方の民謡のアレンジのようです。
スンダってどこ?
よくわからないけど、マレーシアやインドネシアあたり…でいいのかな(地理からっきしダメな人)
そのへんはザックリでお願いします。東南アジアです。
琉球音階(多分)の「南冥行」が終わると一瞬インターバルがあり、何調から何調へ移ったのか、聴いてるほうも歌ってるほうもボヤンとしてるうちに、別の音階に入っていきます。
転調しちゃってるのではっきり申せませんが、シとファがない(ドレミソラ)ので、これはヨナ抜きかな?
ヨナ抜きは日本独特の音階なので、そんなにエキゾチックな印象ではないと思います。
内容は、ちっさい舟に一人で寝っ転がって、蘭の花にうずもれながら南へ南へ…、っていう感じ。
最初は川遊びだったのが、「海に出てごらん」と続きます。
「冥土をたどる」とか「涅槃は近い」とか言ってるところを見るとコレやっぱり死出の独り旅なんだろうか?
神様って南にいるのか…。←オバタ的ハテナ
楽曲についての「高橋語り」を珍しくオバタが記憶しているところによると。
記憶が確かならば、ですが。
高橋氏はこの曲を作るにあたり、十文字美信(じゅうもんじ・びしん)さんという写真家さんの、その名もズバリ「蘭の舟」という写真集に、大変インスパイアされたと。
写真集「蘭の舟」は処女作品集であったようですが、十文字さんは今やどこかの大学の教授?すんごいエライ人になっちゃってます、たしか。
オバタはその写真集を見たわけではないですが(見たかもしれないですが)、そういう背景はあったようです。
ただ…写真集「蘭の舟」の舞台は、ハワイだったかと…。
高橋氏の中で、すでにいろいろミックスされちゃってますが、そういうのが高橋氏の音楽性ですね、今思えば。
ゆったりした曲調で、歌のすきまにダルシマーが掛け合い的に響いてきます。美しいです。
柔らかく、包み込むようです。
(ちなみに、次に続く「ケシの花」のダルシマーはもう、天上のものとしか思えないありがたさ)
オケは1番のサビあたりから、ストリングスがものすごく控えめに、さざ波のようにキラキラと鳴っており、なんていうかなあ、これは「ハッピー」とは違う喜びの感覚ですね。
あえていうならば「至福」?
面倒なこと全部わすれて「ああ…オラしあわせだ…むにゃむにゃ…」って、まどろみながら悟っていっちゃう感じ?
そしてですね、歌の点では、あの「わーい」と、実は重大な類似点があります。
2回だけですが、「…でしょ?」って、「しゃべって」ます。
ライブでももちろん同じようにしゃべってました。
アドリブも融通もきかない歌い手に「ハイここしゃべって」イヤーン
不得意のあまり、やはり毎回ニュアンスが違います。
ただ、この部分を普通に根音(多分、レ)で止めてしまうと、確かにちょっと物足りないんだろうな、とは思います。
はい、次は「ケシの花」じゃないかな! 忙しい!
SACRA ついのすみか 南冥行~蘭の舟~ケシの花
気が付くと舟の上で目が覚めて、ぽかぽかした日差しの中で、気がついたら、一面ケシの花畑に立っていた・・・みたいな。
あの世がこんな優しい世界だったら、来るべき「死」をそんなに恐れなくても良い感じがしちゃいます(*´ω`*)
オバタさんのおしゃべりの所は、ホント、「キュンっ」てしますね(*´∀`*)
すごいなあ、聴くだけでわかっちゃうんですか?
なんでなんで?(笑)
歌ってるほうは「今思えば」な感じでして、当時はほんとに、なーんにも考えずに「歌ってただけ」なんです。
ライブのたびの高橋氏のMCもほとんど覚えていないぐらいですから…もしかするとぜんぜん見当ちがいで素っ頓狂なことを書いているかもしれません。
ももも、申し訳ございません…(*_ _)
死ぬときに痛かったり苦しかったりするのはいやだけど、死んだらあんな世界にいけるのだったら…、恐るるは「死」そのものではなく、その手前にあるのですよね。
キュンとかダメですってば!
はずかしい!(。・・。)ポッ