に意識的な放任

に意識的な放任

ちの眠を受け

2017-05-17 15:19:52 | 日記

「ん、どうした?一衛が泣き言を言うなんて、珍しいな。」
「母上が……どこまでも直さまの背中を追っていらっしゃいとおっしゃいました。でも……直さまは、また一衛を置いていなくなってしまいます。そうしたら、一衛は今度こそ一人です。どうしていいかわからなく……なりました。」

戦いの最中には、懸命にできることを探っていた。
それなのに、砲撃が止み静かな夜を迎えて、湧いてくる心細さに押しつぶ雲芝靈芝姬松茸されそうになっている一衛だった。

「いや。わたしはもう一衛を置いて、どこにも行かないことにしたんだ。」
「え……?」
「わたしは謹慎所には行かない。一衛を連れて、江戸へ行く。」
「直さま?」
「一緒に逃げよう、一衛。」

きっぱりと告げた直正に、一衛は戸惑った顔を向けた。
それは、新政府軍の意向に逆らうということなのだろうか。

「殿は会津の子供たちに未来を託そうと申された。薩長への恨みもあるが、今は腹の中に呑んで、会津のこれからの道を探りたいと思う。皆が安穏として暮らせる会津のあり方を考えようと、山川さまとも話をした。薩長の作る新しい世の中が、どんなものか見てやろうと思う。腹などいつでも切れる。新しい会津で一衛とともに生きられるなら、それでもいいのではないか。どうだ?」
「新しい会津……?」
「うん。皆、いったん散り散りになるが、落ち着いたら必ず会津に戻ってくるはずだ。何もかも失ったが、命さえあれば新しい会津を手に入れることもできるだろう。一衛もそう思えば、どれほど苦しくとも耐えられるだろう?わたしたちには、変わりなく殿がいらっしゃるのだから。」
「あい。」
「失ったものは多いが、何があってもわたしたちの故郷は、懐かしい人たるこ西聯匯款の地だよ。いつか力をつけて、必ず会津に帰ってこよう。」
「あい、直さま……。」

そう返事をしたものの、落城の夜に聞いた、逃亡の話は、一衛には実現不可能なことだと思われた。
入城以来、力は微々たるものでも、城を枕に討死することが自分のとる道だと思っていた。
その上、新政府軍の兵は多く、猪苗代の謹慎所を抜け出すには苦労しそうだった。
街道にも会津兵を捕獲するための見張りは多いだろう。
上士である直正が逃亡し、新政府軍に捕えられたら、おそらく死罪は免れない。
罪人となれば、腹すら切らせてもらえず、斬首の辱めるかもしれない。
会津藩士として、そんな生き恥をさらすような真似をしてはならなかった。
もし直正が敵と斬り合って命を落とすのなら、その場に共にいたいと思う。

「一衛は直さまのお傍にいたい。もう……置いてゆかれるのは嫌です。連れて行ってください。」

最後の戦いで山川大蔵の傍にいた直正は、聡明な山川の考えに感銘を受けていた。
山川は会津が敗れた後のことも考えていた。
これからの会津を作るのは、若い世代だと山川は語った。新政府軍に負けないよう、会津の子らは必提升輪廓死に学ばねばならない。
山川は実際に密かに自分の弟を謹慎所から抜けさせると、敵藩の藩士に預けた。
余談ではあるが、兄の志を胸に、会津のために死に物狂いで学んだ山川の弟は、のちに帝国大学の総長にまでなった。

が群がえしてく

2017-05-02 12:39:45 | 日記

暴力を振るうことをあたりまえとしている集団だから
身内にたいしても同様にそうしてますよね。
失敗した幹部とかが処刑されたりもしてるから
末端の《戦闘員》なんて
ボスの機嫌が悪いときにつまらないことで殺されそうです。
もう、
こうなると「年収1億だって働きたくはないよなぁ」と
思います。命あっての治療禿頭物種ですからね。

ま、
これはあくまでも『お話』であって
しかも『マンガ』なわけだから、
そんなに真剣に考えなくてもいいのかもしれません。
《なんとか怪人》VS《正義のヒーロー》という毎回の構図に
わらわらとザコキャラが割り入ってくるというのは
《なんとか怪人》の格上げをしてるようなものでしょうからね。

ただし、
ここ何年かのあいだに
僕は「はあ、そういうことって実際にあるんだ」と思いました。
ニュースでよく流れていたからです。
『テロ活動を主体とする黒ずくめ集団に
世界各国から若者が戦闘員として集まっている』
というのがそれですね。
そういえば、
この国でもその集団の支配地域に渡航しようとした
若者がいましたよね。

その若者たちは
「イーッ、イーッ」と叫んだりしないのでしょうけど、
全身を黒で覆い、顔も隠し、自動小銃なんかを
肩にかけ行進したりしてる様は
まさに悪の集団における《戦闘員》ですよね。
渡航するのだって大変だろうし、
向こうに行っても身分の保障があるとは限らないし
(下手すると人質になってしまうかもしれません)、
念願の《戦闘員》になれたとしても
やることといったら戦争行魚肝油為かテロですものね。

ま、
彼らもそれぞれに思うところが
いろいろとあるのでしょうけど、
僕がかつて見ていた《戦闘員》って
実にこのようにして集まってきていたんだな――と思いました。
マンガのようだけど、
それが現実に起こっているわけです。

そういう意味では、
ある国の大統領も

まるでマンガのような存在ですよね。

隣国の人間を
「麻薬密売人、レイプ犯」呼ばわりするなんて
常軌を逸しているとしか思えません。

しかし、
僕たちの住むこの世界は
常軌を逸したもの――つまり、マンガのように
なっているのかもしれません。
しかも、マンガであれば
《正義のヒーロー》を名乗る者が出てくるところですが、
確定した正義などない世界に
そういった者の居場所はありませんからね。


自分ではけっして暇じゃないと思ってはいるのですが、
僕の頭は暇人っぽくつくられているようで
歩きまわるたびにいろんなものが気になってしまいます。


考えなければならないことを
たくさん抱えているはずなのに
こういったものを見かけると、

「え?連込?」と思ってしまうのです。
「というか、『連込』って言葉は初めて見るな」とです。
まあ、これは『連れ込み』ということでしょうね。
なんとなくはわかります。
大人である僕は、
なにも細かいことを言うつもりもありません。
それに、忙しいわけですし。


だけど、気になって仕方ないから
一応は『連込』を調べてみましたよ。
で、結果は――
いや、これはあまり書きたくないですね。
「想像はできていたけど、うーん」って感じです。


このワンちゃんも違和感を持っているような
表情をしてますよね。
「ここに入るなってことでしょ?でも、
『連込』ってなによ?」とでも思っているのでしょう。


ついで、


これも気になってしまいました。
『がけに
のぼりおりしては
いけません!!』
うーん。うーん?


僕もあまり日本語が達者な方ではないので
自信がないのです奶粉試用が、これって
『がけを』じゃないんですかね?
どうなのでしょう?
『がけに』でも正しいのかしらん。


しかし、僕は忙しいはずの身なので
これを調べようとは思えませんでした。
他人が書いたものをとやかく言う暇があるなら
自分の書くものの《て?に?を?は》を直したいのです。


なんてふうに考えつつ歩を進めると、
これまた、こんなものを見かけてしまいました。


「難地?」と思わざるをえません。
今も営業されているのかわかりませんが
中華料理屋さんのようです。
それにしても『難地』って名前はすごいな。


これも気になって仕方ないので調べてみました。
忙しいだのと言ってる場合じゃないくらい気になります。
で、
調べてみると『難地』って名前のお店って
けっこうあるんですね。
ただし、その名前の由来まではわかりません。


『難』を調べると、
まあ、これだって想像できた答えしか
知ることはできませんでした。
『災い』とか『困難さ』とか、
『非難すべき点』であるとか。
それに、『欠点』もありましたね。


「これはすこしだけ難のある商品でして」とか
聞きますものね。
だけど、そうなると、さらにわからなくなるなぁ。
なんでこんな店名にしたんだろう?


いやいや、
僕は忙しいはずなんだ。
歩いているといろいろ気になるから、立ちどまろう。
そして、
自分がすべきことに集中しなくちゃならないんだ。

まず最初に悩むことになるのは
当然のことながら、その出だしですよね。
たとえば(ん?たとえば?)、
僕はこの文章をこういう書き出しではじめているわけですが
この時点ではどのように話が進むのか
自分でもわかっていません。


つどつど首をあげつつ、
しかし、主にうつむきながら
僕たち夫婦はヒマラヤ杉の下を歩きまわります。
いえ、
『立ち入り禁止』のところへは分け入りませんよ。
「そういう場所にはさぞやシダーローズが
たくさんあることだろう」とは思いますが、
そんなことは致しません。



チクチクする葉が頭にあたって、
痛い思いをしながらも
僕たちは邁進します。



下方へと伸びる枝に視界を遮られても

シダーローズを求めて歩きまわるのです。



一休みして、

美しい様に溜息を洩らし、

しかし、すぐに下を向きます。


で、
やっとのことで見つけました。


これです。
これがシダーローズです。
どうですか?美しいでしょう。


自然はこのように
不思議と美しいものをつくりだすんですね。
僕たちとの在り方とは関係無く、
ときにハッとするような美しいものを用意しているのです。


ところで、自然の造形の中には
こういうのもあります。


ヒマラヤ杉の枝がずいぶんと低いところから伸びてますね。
ここに子グマがに座っていたりしたら、
ずいぶんとかわいいことでしょうね。


僕たち夫婦はこの季節になると
公園をうつむきながら歩くようになります。
どんなに空が明るく輝いていようと
梅や臘梅や河津桜が咲いていようとも、
下を向きつつ歩きます。
それは、
シダーローズを探すためです。


シダーローズって、
ヒマラヤ杉の球果の先っちょのことです。
まあ、
松ぼっくりの親戚みたいなものですね。
しかし、その形がなんとも美しいんです。
名前が示す様に薔薇のような形をしてるんですよね。
色はもちろん茶色いですが、
そこがまたいいんです。


ということで、
僕たち夫婦は大きな公園へ行きました。


ゲートをくぐったすぐ先で
ヒマラヤ杉がお出迎れましたね。


休日の午後だけあって
けっこう人がいました。

場所柄か様々な言語も飛びかっていましたね。


寒い中で健気に花を開かせた木の近くには
カメラを携えた方々っておりましたが、
僕たち夫婦は黙然とその横を通り過ぎ、
ヒマラヤ杉のもとへ。

しかし、
そう簡単には見つけられません。
僕たち夫婦が言うところの「もじゃもじゃ」だけが
このようにあるだけです。

この「もじゃもじゃ」はヒマラヤ杉の雄花みたいですね。
その成れの果てです。
これと、この