燕のため風花のため

短歌や文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)の文学ボランティア活動(春日井建の蔵書整理)を紹介します

文学ボランティア・メモランダム7

2005-08-31 | 文学ボランティア・メモランダム
2、3日前から、猛暑がおさまって涼しくなり、秋の気配が漂う。
よく見ると、敷地の植栽の椿や楓の木が、みどり色の実をつけている。

8月8日に、ニュースレター「ふたば便り」が創刊された。これによって、文化のみち二葉館をもっと身近に感じてもらえるのではないだろうかと思う。創刊号には、5月にひらかれた、石田音人さんの「玲琴」(玲琴とは大正時代に考案された楽器)のコンサートの様子や6月の城山三郎講演会の記事などが紹介されているほか、井澤知旦さんの「文化のみち物語」の第一回目が掲載されている。また、この秋の催し物が案内されているが、10月18日から12月18日まで、貞奴と花子展が開催されるらしい。花子は、ロダンのモデルとなったことで知られている。貞奴と花子という、日本という枠におさまらず世界で活躍した女性ふたりの展示が楽しみである。


先月につづき、同人誌や結社誌の整理が主であった。結社誌「白珠」は、安田章生追悼号で、「潮音」は、太田水穂生誕百年記念号。また「水甕」は、落合直文の萩寺歌碑記念号で、たぶん通常の歌誌に比べると分厚いのではないかと思われた。

「白珠」は、安田章生の葬儀の詳細な記事が掲載され、追悼文も上田三四二、前登志夫、中野菊夫、生方たつゑといった歌人だけではなく、司馬遼太郎、山本健吉、犬養孝ら、作家や研究者の名前が並んでいる。中でも、興味をひいたのは、作家の田辺聖子が、安田章生の教え子だったことだ。田辺聖子らしい、滋味のある文章で心に残る。小説『しんこ細工の猿や雉』で、どうやら安田章生のことを書いているようだ。機会があれば読んでみたい。この「白珠」の装丁は、表紙絵が、須田剋太。裏表紙のカットが、稗田一穂。扉題字が棟方志功。豪華な顔ぶれによる装丁となっている。

「潮音」は、太田水穂生誕百年記念号ということで、写真も多く掲載されている。その中には、大正十年の、斎藤茂吉渡欧送別会の写真があった。30人くらいの中に、中央の茂吉を囲むように、太田水穂と前田夕暮が写っている。7、8人くらいの女性は皆、和装、また男性にも着物姿があるなかで、この三人が洋装である。

そして、さまざまな人が記念号に文章を書いているのだが、おもしろかったのは、やはり、塚本邦雄のものだった。ちょうど、短歌総合誌などで、追悼特集が組まれていて、塚本の年譜を読んだりしていたところでもあったので興味深かった。年譜によると、塚本は、1941年に、呉海軍工廠に徴用されている。「潮紅いかに」-私の「潮音」体験-と題されたこの文章の書き出しにおいて、呉時代にどのような様子であったかが窺われるのだ。



所は呉、時は太平洋戦争末期、中通りも四道路寄りのさる古書店の奥に、「心の花」「水甕」「日本歌人」「潮音」のバックナンバーが、それぞれ数年分積上げられてゐた。当時私はこの呉郷の町に拉致された一種の囚人であり、休日ともなると九丁目の袋小路の「鳥雄」と呼ぶ茶房でワーグナーやシュトラウスを聴くのと、三、四軒ある古書店、あるいは夥しい貸本屋を巡るのが、わづかに残された楽しみだった。



年譜を読んでいると、こうした日常の姿は浮かび上がってはこない。しかし、ここには戦時下の、青年塚本邦雄の文学と芸術を求めてやまない姿が見てとれるのである。また「貸本屋」の響きには、古き時代がしのばれるし、茶房「鳥雄」は、「トリオ」だった店名を、敵性語使用禁止で、改名したものらしい。


1960年の「詩学年鑑」をチェックしていて、ふと目に入ったのは、寺山修司の住所。新宿区諏訪町43幸荘。今、ここはどうなっているのだろうと思う。

残念ながら、今日は、春日井建関連のものはなかった。こういう日は、会いたい人に会えなかったような気分になって、ちょっとさびしい。

● 本日の蔵書整理(整理順)

「水甕」1963年9月号
「国学院歌人」VOL12、13 1969年
「砂金」1968年 8・9月号
「白珠」1979年10月号
源氏物語(高等学校国語科副読本)1955年
「白い鳥」1987年 NO1
「運河」1987年1月号
「潮音」1 1976年 
「未来」1 1986年
詩学年鑑 1960年
「無名鬼」第11号 1969年
神社祭式行事作法 1950年
「国文学」4月号 1958年
「皇学館短歌」7 1970年
改訂国語漢文学修参考図鑑 1932年
「青炎」8 1983年

短歌と人生の調整

2005-08-28 | 日日雑感
日経新聞の日曜日のエッセイには、これまで、穂村弘さんや水原紫苑さんが執筆されたことがある。まだ少し眠い目のまま開いた新聞に、穂村さんや水原さんのお名前を見つけたときはうれしかったものだ。今朝は、加藤治郎先生のエッセイが、載っている!

「最後の歌会」と題されたエッセイは、先日の東桜歌会についてだった。

エッセイの書き出しを読むと、ああ、やっぱりあの日、加藤先生は、岡井先生最後の歌会のために、無理をしてかけつけられたのだなと思う。そして、長年の岡井先生への崇拝と敬愛の情が伝わってくる。師弟関係を大切にされている熱い気持ちを読みながら、加藤先生のもとでやり直そうと決めてよかったと思った。

私を短歌の世界へと導いてくださった春日井建先生を、昨年亡くしてはじめて、「師」という存在がどんなに大きいものかを思い知らされた。それから一年、心身ともに不調で、歌も書かない日々だった。一周忌を機にもう一度やり直してみようと思ったとき、「師」という存在が欲しいと思ったのだ。

また、エッセイには、こういう一文が書かれてあった。



究極のところ「短歌がめちゃめちゃにした人生」と言い切れる者が歌人なのだ。そういう生き方ができるか。そこでいつも私の思考は止まってしまう。注意深く短歌と人生の調整を続ける日々である。



現代において、「短歌がめちゃめちゃにした人生」から、はたして名歌や秀歌が生まれるものなのであろうか。「短歌と人生の調整」を、繊細にかつ冷静にはかれる視線から、現代短歌の名歌や秀歌は生み出されるような気がする。その視線をもたずに、今の世界や時代を、詠えるはずがないのではないかと思う。

加藤治郎という歌人が、そうした視線を持ち続けてきた現代短歌のトップランナーだと信じて、私は、その扉をたたいたと思うのだ。

夏の終りの朝、新聞がとてもまぶしく感じられた。

「未来」神戸大会

2005-08-20 | 短歌
神戸で開かれる、「未来」の大会に出かける。今まで所属していた会では、こうした全国規模の大会は、一日だけだったけれども、大きな結社である、「未来」は、二日間にわたって開催されるようだ。会場は、六甲アイランドにある、神戸ベイシェラトンホテル。

6月下旬に入会したばかりなので、歌誌にもまだ詠草が載っていないので、二日間のプログラムのうち、初日の、岡井先生と作家の町田康の対談と、「西・うた・ことば」―歌ことばにおける関西―と題されたパネルディスカッションに申し込んだ。

対談は、町田康の詩集『供花』、詩集『土間の四十八滝』からいくつかの詩が資料として準備されてあり、それをもとに岡井先生がホスト役で、町田康から話を巧みに聞き出されていた。こうした形で、岡井先生のお話を伺うのは、はじめてでとても新鮮だった。また、町田康は、その文章の印象から、関西風こてこての人か、とんがった人かなあと想像していたのだが、まるっきり違って、落ち着いた語り口で、時折りシャイな口調が混じり、好印象をもった。詩集『供花』の中の「主題」という詩では、一連が「ずんべらぼになてずんずん」の言葉の繰り返しによって成り立っているのだが、こうした詩のリズム感などを話題にしながら、ロックと詩と小説にまたがって語り合われた。途中からは、司会の小林久美子さんが、町田康に質問される形で、対談に加わられたりもした。小林さんの発言には、歌同様に独自の繊細な感性があり魅力的だなと思う。そして、最後に、町田康が、歌誌「未来」8月号の中から、注目した歌3首を挙げる。


やはらかく畳のへりを踏んでゆく猫の足音(あおと)のなかに覚めたり  大辻隆弘


ソックスをはかず冷えるにまかせたる指をはつ夏の陽にさしいれぬ  源 陽子


連休はわたしの主治医海に向かひ深呼吸せよと何度もせよと  北野ルル


大辻さんのお歌は、歌誌が着いて読んだときに、私も好きと思っていた一首だったので、ちょっとうれしい感じがした。ただ対談では、町田康の詩の社会性について触れられたりしていたのに、そうした内容の歌を挙げられなかったところが少し意外だったけれども。

パネルディスカッションでは、司会が大辻隆弘さん、パネラーが、「玲瓏」から魚村晋太郎さん、小川佳世子さん、水沢遥子さんのメンバーで語り合われる。魚村さんは、「塚本邦雄における関西」、小川さんは、「古典和歌における京都」、水沢さんは、「高安国世における関西」そして、大辻さんが、「釈迢空における関西」というテーマで、各論を発表される。

魚村さんが、師、塚本邦雄について、作品と思想について丁寧に分析されながら話されたのが、特に印象深かった。塚本の作品・作家態度は、コスモポリタン的であり、関西弁はほとんど見あたらないと話される。確かに、用意されていた資料の中では、唯一、次の歌の結句が関西弁だった。


モネの偽(にせ)「睡蓮」(すいれん)のうしろがぼくんちの後架(こうか)ですそこをのいてください  塚本邦雄


また、私は、はたして、このように春日井建の作品について語れるだろうかと、魚村さんが語られるのを聞きながら、反省しきりだった。

加藤先生に、ご挨拶したときに、彗星集のメンバーの、細見晴一さんと鈴木智子にお会いすることができた。これから、歌会などでお目にかかる機会がふえるのが楽しみだ!

帰りも、ホテルから出ているバスで、新神戸へ向かう。途中、ハーバーハイウェーを通るが、一方は海でもう一方は山の景色できれいである。来年の夏は、どこでどんな風景を見ているのだろうと思う。



ルカリオ

2005-08-15 | 日日雑感
おとといから、帰省。いくつかのお墓参りをして、あっという間に、三日目。
今日は、朝から雨で、時折りどしゃ降り状態である。

昨日から実家で、妹と甥と合流する。二年ぶりである。小学校二年になった甥がすっかり大きくなって、驚く。

名古屋にいるときから、電話で、映画「ポケモン」を見に行く約束になっていたので、三人で出かける。いや~、正直にいうと、「ポケモン」じゃなくて、柳楽くんの「星になった少年」くらいを見たいと思ったのだけど、甥のよろこぶ顔を見るためなら、それもよかろうかと・・・・・。

上映中、ポケモンがたくさん出てくると、甥が身を乗り出してよろこんでいる。なるほど、こういう場面が楽しいのかと思う。終わってから、妹に聞くと、途中で寝ていたとか、去年のもののほうがおもしろかったと言う。子供と毎年見ているとそんなものなのかーと思いながら、はじめて見た「ポケモン」だったが、無国籍な風景とかがおもしろく、けっこう楽しんで見たような気がする。そして、今回のストーリーに登場したポケモンのルカリオが、亡くなった主人への思慕と葛藤に悩むところでは、去年、私の春日井先生への想いと、どこか重なるような気がして、ルカリオに感情移入してしまったのだった。

帰りには、ポケモングッズを買ったり、ケーキを買ったり、あげくのはてに、来年も、おばちゃんとポケモン見ようね~と言ってしまう。甥の歓心のために、せっせと、おばバカなことをした一日だった。


エミール・ガレ展

2005-08-07 | 日日雑感
多治見市の岐阜県現代陶芸美術館で開催されている、「エミール・ガレ展」を見に行く。

ガレは、以前、諏訪湖の傍にある、北澤美術館で見たことがある。美術館収蔵のガラス器の写真のカレンダーが気に入って買い、それから数年、年末に取り寄せてもいたりした。

今回はそこで見た、ガラス器が数点あって、懐かしい思いがした。この展覧会では、北澤美術館のもの多くあったが、はじめて見るポーラ美術館や松江北堀美術館収蔵のものに好きなものが多かった。

ポーラ美術館のガレの作品は、化粧に関わるものが多いように見受けられた。美術館の姿勢がうかがわれる収蔵内容だと思った。華奢な形、繊細な絵付けのものが多い。なかでも気に入ったのは、1884年の角ばった香水瓶。サファイアブルーのカボション2個と透明なカボション2個が胴体についている。このカボションが宝石のような美しさである。そして、片手にたなびくリボンをもった車輪にのる運命の女神とラッパを吹く風評の女神がエナメル彩で描かれている。

もう一点は、松江北堀美術館収蔵の陶器の山羊の置物。この置物の主題は、アルフォンス・ドーデの短編集『水車小屋便り』の中の「スガンさんの山羊」からとられているとのこと。胴体には、こおろぎのような昆虫とおみなえしの花を青くしたような植物が描かれている。また、「Ksi Ksi Ksi Ksi 」という文字が書かれている。これは、蝉のオノマトペらしい。物語の舞台がプロヴァンスであるとの暗示になっているようだ。フランスでは、蝉は、南仏にしか生息していないと解説にあった。蝉の声をなんと発音するのか、今度、江村彩さんに伺ってみようと思う。

暑い日だったが、涼しげなガラス器を見てまわり、そのガラスの色に、透明な水、青い水を感じ、また夕暮れの湖、深海の底などにいる感覚を憶えた。水のひんやりとした感触にとらわれているようだった。



短歌を実人生より上に位置づける生き方

2005-08-04 | 日日雑感
6月より参加をはじめた東桜歌会に岡井隆先生がご出席されるのが、今日で最後となることがわかり、とても残念でならない。

先月、岡井先生にテキストは文脈にそって読むようにと、ともすると深読みをしてしまうのを、ご指導いただいたばかりで、まだまだ、学ぶことは多かったはずなのである。

そして、加藤治郎先生が、岡井先生が最後の会ということで、ご出席になる。ただでさえ、緊張する歌会なのにー、とほとんど硬直状態になってしまう。青山みのりさんがいてくれたおかげで救われる。

ふと、加藤先生のブログに書かれていた言葉を思い出す。




この場合、プロであるということは、 短歌を、短歌以外のすべての価値より優先してみずからの実人生の上に位置づける、そのような生き方の選択のことなのである。     

近藤芳美

『[短歌と人生]語録 作歌机辺私記』 (砂子屋書房)




近藤芳美先生の著書よりの言葉である。お忙しいところを駆けつけられた加藤先生は、あの言葉をあざやかに体現されていると思った。短歌と師への思いを最優先させられる姿を見て、身の引き締まる感じがした。岡井先生と加藤先生の師弟の在り方に触れることができたのは、しあわせであり、きっといつまでも記憶に残る歌会のひとつになるにちがいないと思った。