2、3日前から、猛暑がおさまって涼しくなり、秋の気配が漂う。
よく見ると、敷地の植栽の椿や楓の木が、みどり色の実をつけている。
8月8日に、ニュースレター「ふたば便り」が創刊された。これによって、文化のみち二葉館をもっと身近に感じてもらえるのではないだろうかと思う。創刊号には、5月にひらかれた、石田音人さんの「玲琴」(玲琴とは大正時代に考案された楽器)のコンサートの様子や6月の城山三郎講演会の記事などが紹介されているほか、井澤知旦さんの「文化のみち物語」の第一回目が掲載されている。また、この秋の催し物が案内されているが、10月18日から12月18日まで、貞奴と花子展が開催されるらしい。花子は、ロダンのモデルとなったことで知られている。貞奴と花子という、日本という枠におさまらず世界で活躍した女性ふたりの展示が楽しみである。
先月につづき、同人誌や結社誌の整理が主であった。結社誌「白珠」は、安田章生追悼号で、「潮音」は、太田水穂生誕百年記念号。また「水甕」は、落合直文の萩寺歌碑記念号で、たぶん通常の歌誌に比べると分厚いのではないかと思われた。
「白珠」は、安田章生の葬儀の詳細な記事が掲載され、追悼文も上田三四二、前登志夫、中野菊夫、生方たつゑといった歌人だけではなく、司馬遼太郎、山本健吉、犬養孝ら、作家や研究者の名前が並んでいる。中でも、興味をひいたのは、作家の田辺聖子が、安田章生の教え子だったことだ。田辺聖子らしい、滋味のある文章で心に残る。小説『しんこ細工の猿や雉』で、どうやら安田章生のことを書いているようだ。機会があれば読んでみたい。この「白珠」の装丁は、表紙絵が、須田剋太。裏表紙のカットが、稗田一穂。扉題字が棟方志功。豪華な顔ぶれによる装丁となっている。
「潮音」は、太田水穂生誕百年記念号ということで、写真も多く掲載されている。その中には、大正十年の、斎藤茂吉渡欧送別会の写真があった。30人くらいの中に、中央の茂吉を囲むように、太田水穂と前田夕暮が写っている。7、8人くらいの女性は皆、和装、また男性にも着物姿があるなかで、この三人が洋装である。
そして、さまざまな人が記念号に文章を書いているのだが、おもしろかったのは、やはり、塚本邦雄のものだった。ちょうど、短歌総合誌などで、追悼特集が組まれていて、塚本の年譜を読んだりしていたところでもあったので興味深かった。年譜によると、塚本は、1941年に、呉海軍工廠に徴用されている。「潮紅いかに」-私の「潮音」体験-と題されたこの文章の書き出しにおいて、呉時代にどのような様子であったかが窺われるのだ。
所は呉、時は太平洋戦争末期、中通りも四道路寄りのさる古書店の奥に、「心の花」「水甕」「日本歌人」「潮音」のバックナンバーが、それぞれ数年分積上げられてゐた。当時私はこの呉郷の町に拉致された一種の囚人であり、休日ともなると九丁目の袋小路の「鳥雄」と呼ぶ茶房でワーグナーやシュトラウスを聴くのと、三、四軒ある古書店、あるいは夥しい貸本屋を巡るのが、わづかに残された楽しみだった。
年譜を読んでいると、こうした日常の姿は浮かび上がってはこない。しかし、ここには戦時下の、青年塚本邦雄の文学と芸術を求めてやまない姿が見てとれるのである。また「貸本屋」の響きには、古き時代がしのばれるし、茶房「鳥雄」は、「トリオ」だった店名を、敵性語使用禁止で、改名したものらしい。
1960年の「詩学年鑑」をチェックしていて、ふと目に入ったのは、寺山修司の住所。新宿区諏訪町43幸荘。今、ここはどうなっているのだろうと思う。
残念ながら、今日は、春日井建関連のものはなかった。こういう日は、会いたい人に会えなかったような気分になって、ちょっとさびしい。
● 本日の蔵書整理(整理順)
「水甕」1963年9月号
「国学院歌人」VOL12、13 1969年
「砂金」1968年 8・9月号
「白珠」1979年10月号
源氏物語(高等学校国語科副読本)1955年
「白い鳥」1987年 NO1
「運河」1987年1月号
「潮音」1 1976年
「未来」1 1986年
詩学年鑑 1960年
「無名鬼」第11号 1969年
神社祭式行事作法 1950年
「国文学」4月号 1958年
「皇学館短歌」7 1970年
改訂国語漢文学修参考図鑑 1932年
「青炎」8 1983年
よく見ると、敷地の植栽の椿や楓の木が、みどり色の実をつけている。
8月8日に、ニュースレター「ふたば便り」が創刊された。これによって、文化のみち二葉館をもっと身近に感じてもらえるのではないだろうかと思う。創刊号には、5月にひらかれた、石田音人さんの「玲琴」(玲琴とは大正時代に考案された楽器)のコンサートの様子や6月の城山三郎講演会の記事などが紹介されているほか、井澤知旦さんの「文化のみち物語」の第一回目が掲載されている。また、この秋の催し物が案内されているが、10月18日から12月18日まで、貞奴と花子展が開催されるらしい。花子は、ロダンのモデルとなったことで知られている。貞奴と花子という、日本という枠におさまらず世界で活躍した女性ふたりの展示が楽しみである。
先月につづき、同人誌や結社誌の整理が主であった。結社誌「白珠」は、安田章生追悼号で、「潮音」は、太田水穂生誕百年記念号。また「水甕」は、落合直文の萩寺歌碑記念号で、たぶん通常の歌誌に比べると分厚いのではないかと思われた。
「白珠」は、安田章生の葬儀の詳細な記事が掲載され、追悼文も上田三四二、前登志夫、中野菊夫、生方たつゑといった歌人だけではなく、司馬遼太郎、山本健吉、犬養孝ら、作家や研究者の名前が並んでいる。中でも、興味をひいたのは、作家の田辺聖子が、安田章生の教え子だったことだ。田辺聖子らしい、滋味のある文章で心に残る。小説『しんこ細工の猿や雉』で、どうやら安田章生のことを書いているようだ。機会があれば読んでみたい。この「白珠」の装丁は、表紙絵が、須田剋太。裏表紙のカットが、稗田一穂。扉題字が棟方志功。豪華な顔ぶれによる装丁となっている。
「潮音」は、太田水穂生誕百年記念号ということで、写真も多く掲載されている。その中には、大正十年の、斎藤茂吉渡欧送別会の写真があった。30人くらいの中に、中央の茂吉を囲むように、太田水穂と前田夕暮が写っている。7、8人くらいの女性は皆、和装、また男性にも着物姿があるなかで、この三人が洋装である。
そして、さまざまな人が記念号に文章を書いているのだが、おもしろかったのは、やはり、塚本邦雄のものだった。ちょうど、短歌総合誌などで、追悼特集が組まれていて、塚本の年譜を読んだりしていたところでもあったので興味深かった。年譜によると、塚本は、1941年に、呉海軍工廠に徴用されている。「潮紅いかに」-私の「潮音」体験-と題されたこの文章の書き出しにおいて、呉時代にどのような様子であったかが窺われるのだ。
所は呉、時は太平洋戦争末期、中通りも四道路寄りのさる古書店の奥に、「心の花」「水甕」「日本歌人」「潮音」のバックナンバーが、それぞれ数年分積上げられてゐた。当時私はこの呉郷の町に拉致された一種の囚人であり、休日ともなると九丁目の袋小路の「鳥雄」と呼ぶ茶房でワーグナーやシュトラウスを聴くのと、三、四軒ある古書店、あるいは夥しい貸本屋を巡るのが、わづかに残された楽しみだった。
年譜を読んでいると、こうした日常の姿は浮かび上がってはこない。しかし、ここには戦時下の、青年塚本邦雄の文学と芸術を求めてやまない姿が見てとれるのである。また「貸本屋」の響きには、古き時代がしのばれるし、茶房「鳥雄」は、「トリオ」だった店名を、敵性語使用禁止で、改名したものらしい。
1960年の「詩学年鑑」をチェックしていて、ふと目に入ったのは、寺山修司の住所。新宿区諏訪町43幸荘。今、ここはどうなっているのだろうと思う。
残念ながら、今日は、春日井建関連のものはなかった。こういう日は、会いたい人に会えなかったような気分になって、ちょっとさびしい。
● 本日の蔵書整理(整理順)
「水甕」1963年9月号
「国学院歌人」VOL12、13 1969年
「砂金」1968年 8・9月号
「白珠」1979年10月号
源氏物語(高等学校国語科副読本)1955年
「白い鳥」1987年 NO1
「運河」1987年1月号
「潮音」1 1976年
「未来」1 1986年
詩学年鑑 1960年
「無名鬼」第11号 1969年
神社祭式行事作法 1950年
「国文学」4月号 1958年
「皇学館短歌」7 1970年
改訂国語漢文学修参考図鑑 1932年
「青炎」8 1983年