昨日、「和楽」という雑誌をちょっと読みたくて、近所の本屋へ行った。興味があった記事にさっと目を通して、ほかの雑誌も「Domani」とかをぱらぱらと読む。ふっと、「クロワッサン」の表紙の写真に気がつく。
あれ、城山三郎さんだ、と本を手にとる。ちょうど去年の今頃だったか、文学ボランティアとして、城山三郎さんを囲む会に行ったのは。その時は、痩せられてお年をめした感じがしたけれど、クロワッサンの写真は、頬のあたりがふっくらとされている。お元気そうでよかったなと思った。
講演会でお目にかかったあと、城山さんの小説をひとつ読んだ。『粗にして野だが卑ではない』という本である。三井物産に勤め輝かしい業績をあげた後、78歳で国鉄総裁となった、石田禮助の生涯を書いたものだ。企業人ものなのかなという感じで読み始めたのだけれども、いろいろとおもしろく思いながら読むことができた。
昨今は、さほど商社のイメージは華々しくないが、私が二十代の頃の商社は、就職先として絶大な人気があった。(結婚相手としても)そうした商社の明治から大正、昭和にかけての動向がとてもおもしろかった。タフな男たちが、日本経済のために働いていた躍動感が伝わってきた。高度経済成長期に、城山三郎が作家として人気があったというのがよくわかる筆致である。
そして、この石田禮助という人は戦後、神奈川の国府津に住むようになるが、ここでの生活がなんとも優雅な田舎暮らしなのである。最近はやりの田舎暮らしを先取りしているような感じだ。ただ農園の規模とかはふつうの人には真似のできない規模だけども。このところ人気の白洲次郎にしても、昔の気概ある男の人がこうした田舎暮らしを選択すると、ますますそのダンディズムが素敵に見えてしょうがない。
また、石田禮助のつゆ夫人と嫁の志寿子さんというのが、ふたりとも屈託のない明るい女性として書かれていた。そしてこれが、去年の城山さんの講演で聞いた、亡くなられた城山夫人のイメージと重なるように思えてならなかった。作家の書く女性像というのは、案外こうして身近な女性に影響をうけているのだろう。クロワッサンの記事の写真にも小さく奥様の遺影のスタンドが写っていた。それを見て、家内のことを書きたい、と話されていた城山さんのお顔がふっと浮かんだ。
あれ、城山三郎さんだ、と本を手にとる。ちょうど去年の今頃だったか、文学ボランティアとして、城山三郎さんを囲む会に行ったのは。その時は、痩せられてお年をめした感じがしたけれど、クロワッサンの写真は、頬のあたりがふっくらとされている。お元気そうでよかったなと思った。
講演会でお目にかかったあと、城山さんの小説をひとつ読んだ。『粗にして野だが卑ではない』という本である。三井物産に勤め輝かしい業績をあげた後、78歳で国鉄総裁となった、石田禮助の生涯を書いたものだ。企業人ものなのかなという感じで読み始めたのだけれども、いろいろとおもしろく思いながら読むことができた。
昨今は、さほど商社のイメージは華々しくないが、私が二十代の頃の商社は、就職先として絶大な人気があった。(結婚相手としても)そうした商社の明治から大正、昭和にかけての動向がとてもおもしろかった。タフな男たちが、日本経済のために働いていた躍動感が伝わってきた。高度経済成長期に、城山三郎が作家として人気があったというのがよくわかる筆致である。
そして、この石田禮助という人は戦後、神奈川の国府津に住むようになるが、ここでの生活がなんとも優雅な田舎暮らしなのである。最近はやりの田舎暮らしを先取りしているような感じだ。ただ農園の規模とかはふつうの人には真似のできない規模だけども。このところ人気の白洲次郎にしても、昔の気概ある男の人がこうした田舎暮らしを選択すると、ますますそのダンディズムが素敵に見えてしょうがない。
また、石田禮助のつゆ夫人と嫁の志寿子さんというのが、ふたりとも屈託のない明るい女性として書かれていた。そしてこれが、去年の城山さんの講演で聞いた、亡くなられた城山夫人のイメージと重なるように思えてならなかった。作家の書く女性像というのは、案外こうして身近な女性に影響をうけているのだろう。クロワッサンの記事の写真にも小さく奥様の遺影のスタンドが写っていた。それを見て、家内のことを書きたい、と話されていた城山さんのお顔がふっと浮かんだ。
いい本ですよね。
おっしゃる通り、昔の日本人は気骨があって爽快ですね。
どこかの日銀総裁などとはえらい違いで。
トップにたつ人には、気骨をもっていてほしいですよね。この言葉が死語になってしまうような世の中にはなってほしくないのですけど・・・。