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変形性膝関節症の経緯と乳癌手術

2020-04-07 22:23:22 | 乳癌
4年前、変形性膝関節症と診断されMRIを撮り、ヒアルロン酸注入治療等に通いました。
いくら頑張っても、注射はその時だけ、リハビリも続きません。
変形性膝関節症の本を読み、自分なりに続けられそうな運動で、自分で治すしかないと結論しました。
あれから4年。今では正座はきついけれど、階段の昇降は普通に出来るようになり、ウオークも2万歩以上大丈夫です。
変形性膝関節症は自分で治すものだと思います。

乳癌の手術手記。

乳房。。それは女性の美しいシンボル。42歳。まだ若いんだ。未練はたっぷり余るほどある。
何故、悪性の腫瘍が住み込んだんだろう。
性の目覚めは遅かったけれど、一番敏感に反応したのは乳頭だった。弄りまわした乳頭から黴菌が入ったのだろうか。
5月ころ赤く腫れあがって痛かった。1週間程すると治るので又痛めつける。そんなことが原発巣の原因だろうか。
7月初め乳頭にニキビの親玉のような膿がついていた。何だろう、ニキビを潰す要領で指で押し出すと2ミリ位の膿がポロっと採れた。
チーズの臭いがした。お乳が知らない間に出て腐ったのかなあ、それともあまり弄り過ぎて化膿したのかなあ、病院へ行った方が良いかなと迷った。
まさか、こんな2ミリ位の乳頭の傷で笑われるのじゃないか、ちょっと神経過ぎると思った。
膿がつぶれた後はぽかっと1ミリ位の穴が開いて、乳腺に続いているような気がした。1ミリ位の傷はチクチク痛かった。3日程少量の膿が出た。
オキシュールで消毒しお風呂にも入った。オキシュールで消毒しても治らないし傷口が痛むので赤チンをつけバンドエイドを貼った。
「お母さんどうしたのそんなとこにバンドエイド貼って?」と中2の娘が笑う。
「そんなん、ほっておjていいんか?病院へ行って来いよ。」「だって、こんな位で格好悪いやん。ちょっと化膿してるんですけどって言うんか?
そんなん恥ずかしいわ。こんなちょっとで。」
お母さんな、見せるのん嫌やねんて。俺かて尻がただれた時、尻見せんなんかって、女医やって、2度と行くかと思ったもんな。」
傷は1週間くらいで治り、痛くも痒くもなく、何ともなかった。
乳癌は必ずしこりがあると信じていた。どこを触ってもしこりらしきものはない。乳癌は痛まないと聞いていた。あの傷は痛かったから乳癌では
ないと思った。でも気になっていた。あんな敏感だった乳首が片方と比べると反応が鈍く、はっきりとしない痛みが朧気にあるような気がした。
一時不感症になってしまったのだろうかと一人悩んだ。傷がすっかり治りながらも、膿の出たこと、臭いが悪臭だったこと、感度が鈍ったこと、
乳腺に繋がるような穴が開いたこと、色々考え併せて不安な日々を、忙しさに紛らわせた。
その不安は日ごと大きくなり自分で抱えられなくなった。二人いる姉の下の姉に相談した。検診をしきりに勧めてくれた。
毎年T町でも検診して100人中2~3人、早期乳癌の発見で乳房切除術で元気に暮しいておられるという。
恥ずかしいも何も順番やから、さっさっさやから受けなさいよと言われる。
そうこうして子供たちの夏休みが終わった頃、親類の悲報が入った。小学生の子供のお母さん。38歳で胃癌で亡くなられた。
翌日の告別式で若くして逝くことの悲惨さ、名残惜しみの情景を涙に受診の決心を新たにする。

9月1日。やっとT病院で診察を受けた。何もありませんと言われたら、1年安心して暮らせるじゃないかと。
前に乳癌の検診を受けて来月で丁度1年になる。
受診の恥ずかしさは杞憂だった。かなり丁寧な触診だった。しこりはなかった。
両方の乳頭から分泌物が出たので、小さいガラス板4枚ずつに分けて細胞検査をしてもらった。
普通乳頭から分泌物が出る事がなく、出るということ自体、。乳腺のどこかになんらかの原因がある。それを調べるという。
急に不安が堰を切ったように一瞬私を襲った。結果待ち2週間。急に心配になりだしたので。薬剤師の友に聞いた。
乳頭から膿が出たら、すぐ検診を受けるべき大切なことだったと言われた。2カ月の空白が取り返しがつかないのではと、
図書館で乳癌に関する本を2~3冊借りて読んだ。そこにはしこりのことしか書いてなかったので安心した。
9月20日の結果は私を恐怖のどん底へ突き落とされた気がした。左は何の反応も出なかったが、右は悪性と出ました。と。
もしかして、切ることになるではと思わず涙が流れた。午後から左右の乳房のレントゲンを角度を変えて3枚ずつ。
又涙ぐんでしまった。9月22日。レントゲン検査は異常なしだった。まだMRIのない時代です。
9月26日。造影剤を入れて悪性の分泌物を出している乳腺を探し出す検査をする。レントゲン室の前で座っていると、
ドキドキし心臓がキュッと締まった。初めてなのでドンの事をされるのか不安で大変怖かった。
レントゲン室に仰向けに寝て乳房に麻酔をされた。痛さに思わず涙があふれた。大きなため息が何度も出て胸の動悸を抑える
のに苦労した。1回目の造影剤の入った乳腺の現像はこの腺ではなかった。2回目。次は間違いないから我慢してと言われた。
成功。造影剤の入った乳腺はうずくような痛さだった。造影剤を抜いてもらうとスーッと痛さが消え終了した。
この時点で薬で治る程度だと思っていた。
朝から採用された保母の健康診断を受け、保育所に挨拶に行った程である。

造影剤の結果、悪性の分泌液が出ている乳腺を全部大きめに切除して組織検査をし、結果全部切除するかどうか決めます。
全部切除する確率は五分五分です。と。ショック。脚が震えてどうしょうかと思う。旦那に泣きながら電話して、そんなん大丈夫や
と励まされる。姉にも電話して、「きりなさい、きりなさい。乳癌なんて大勢いてはる。間だ早いから切ったら完全に治るんやから
大丈夫。しっかりしなさい。あんたがクヨクヨしてたら家の中の者も心配して、家庭が暗くなるやろ。」と言われ泣いてしまった。
上の姉にも電話する。「ふーん。良かったやんか。早期発見やから。近所の人なんか胸板の肋骨までバサッと切って、もう見られ
へんほど掘れたという感じで凄いよ。乳癌は皆その位切らはんねんで。」「えっつ。そんなに切らはんの、どうしょう、お玉みたいに
掘れるん。」「そうや。がばっとえぐったみたいに掘れて、そらあ凄いでえ。それでも今バレーボールして貼って元気、大丈夫やわ。」
「そんのんいらんわあ」とまた泣いてしまう。「元気出しなさいよ。乳癌なんて大丈夫やから。」
働く意欲に燃えやっと探した仕事だが涙をのんだ。健康診断の結果は異常なしだったのでびっくりされた。
続きはまた後日。