囲碁マニアの詰碁ブログ

囲碁の話が中心の愉快なブログです

tsumebloの大相撲以外の趣味!

2021-05-26 14:16:48 | 趣味

 

<詰碁解答コーナー>

問題図(再掲)

黒9オク(7)

初手は、黒1と出るしかないところ。白2とアテてきたら、黒3ハネが常用の手筋。黒5とこの辺りをゼロ眼にし、黒五子を捨て、最後は黒9と抜き跡にオイて白死となりました。

白2とサガってくることも考えられます。こちらも捨て石を使い、黒7のコスミが好手で白死となります。この後白Aと黒三子を取られたら、黒3と取り返して白死です。

 

捨て石詰碁第二弾、いかがでしたか?

まあ天下の張栩様に張り合ったところで勝てるわけがないのですが、楽しんでいただけたのであれば幸いです。


 

皆さんこんにちは、tsumebloです。

今回は、tsumebloの「大相撲観戦」以外の趣味について、紹介させていただきたいと思います。

数年前まではたくさんありましたが、このところ囲碁に集中しているので、かなり絞られてきています。

まあ、tsumebloの趣味を知りたがる人なんていないか…?

あ、「囲碁」は「趣味」よりワンランク上なので(注・仕事ではない)!

 

まずは…

 

  • 初期ウルトラシリーズ

 

「初期」が好きです(ここ大事!)。

具体的にはウルトラQ~帰ってきたウルトラマン、そしてウルトラマンレオぐらいでしょうか。

エース、タロウはどんどん助っ人が登場して面白さに欠けるので、除外させていただきました。

 

特に好きなシリーズは「ウルトラセブン」ですね。奥が深いです。

セブンの中で一番好きな回は、マイナーな回になりますが、第6話「ダーク・ゾーン」です。

ネタバレしてしまうと面白くないので、あらすじなどは書きません。

機会がありましたらぜひご覧ください。

 

初期ウルトラシリーズに出演されていた方がコロナ脳だったりすると、結構ショックだったりします

その他の特撮作品だと、ウルトラシリーズと同じ円谷プロが手がけた、「ミラーマン」(1971年放送)なども好きです。

最近の特撮作品はCGが多くなり、全体的にダサくなっており残念です。

 

子供向けではありますが、大人が見てもなかなか理解できないかもしれません。

昔のテレビは素晴らしいですね。

 

  • マンガ

 

大相撲観戦に次ぐ趣味です。

好きな漫画家さんは、画像の通り藤子・F・不二雄一強ですね。

手塚治虫などもまあまあ好きですが。

 

F先生(最近、「先生」と呼ぶようになりました)の作品の中では、全般的に好きですが、やはり「ドラえもん」が一番好きです。

「ドラえもん」の中で一番好きな回は、コミックス35巻に収録されている、「ドラえもんに休日を!!」です。

これもネタバレしては面白くないので、機会がありましたら読んでみてください。

 

他には、SF短編集がすごいです。

たとえば、「気楽に殺ろうよ」などは、これから来る未来なのではないか…と思います。

早くに亡くなられてしまい(1996年、62歳没)、非常に残念です。

5Gの広告にドラえもんが使われていて…

 

どの作品も非常に面白いです。

最近の人気マンガといえば、「名探偵コナン」「ワンピース」「進撃の巨人」「鬼滅の刃」などで、ドラえもんなどの藤子F作品は時の流れとともに置いて行かれた感じですが、今の時代になっても面白さは色あせません。

 

今の子どもたちにも、もっと読んでほしいです。

 

いつか藤子・F・不二雄大全集を全巻揃えることが野望のひとつ…だったりします(全巻普通に買うと20万以上)。

 

えっ、tsumebloは字だけの本は読まないのか、ですって?

うーん、最近あまり読んでいなくて…。

好みは星新一のショートショートです。

 

  • YouTube

 

「趣味」と呼ぶには物足りないかもしれませんが。

 

よく見るチャンネルは、「ゆっくりドラちゃんねる」です。

 

OGPイメージ

ゆっくりドラちゃんねる

【チャンネル紹介】 ドラえもんに関するアレコレを ゆっくりが面白おかしく紹介するチャンネルです! 気ままに動画作ってます!投稿時は19時更新...

YouTube

 

 

主に、ドラえもんの雑学を紹介・考察・解説されているチャンネルです。

ものすごいドラオタクで、おそらくドラえもんに関する書籍はほとんど持っておられるようで、ドラえもんを連載していた昔の雑誌にも手を伸ばし始めているようですし、アニメもほとんど見ているようです。

 

いつも知識・考察力に感心して見ています。

 

他には、ネット碁に負けた気晴らしに「トムとジェリー」を見たり、音楽を聴きながら何かをしたり…というところでしょうか。

 

 

今持っている趣味はこのぐらいでしょうか。

囲碁や大相撲の話以外に、こういったその他の趣味の話も混ざってくるかもしれません。

よろしくお願いいたします。

 

<詰碁出題コーナー>

黒先です。鮮やかに決まります。

 

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【祝大関復帰】照ノ富士関特集!後編

2021-05-17 15:49:26 | 趣味

 

<詰碁解答コーナー>

問題図(再掲)

黒1ハネは、白の形の不備を衝いたかに見えますが、軽率な一手。白4の抜きで黒△の1子がアタリになるため、手になりません。

白12コウ取る(8)

初手は2の一の急所、黒1のオキ。白2のアテは先手で打てますが、まったく状況は変わりません。黒5の急所から、黒7ハネ、白8ホウリコミはどちらも覚えておきたい手筋で、白12まで、コウが正解です。白10で11と打ってもコウです。


 

皆さんこんにちは、tsumebloです。

前回、前々回に引き続き、照ノ富士特集です!

なお、この記事は……この文句はもう飽きたのでやめます(笑)。

 

2017年3月場所、左膝の悪化で優勝を逃した照ノ富士は、場所後、モンゴルへ帰国し入院、治療・リハビリに専念し、その後4月17日から春巡業に参戦しました。

 

5月場所は初日、二日目の連敗がありましたが、その後11連勝。しかしここでも膝は悪化してしまい、十四日目は白鵬と熱戦を繰り広げたものの最後は体力負けか寄り切られ、優勝を決められてしまいました。

千秋楽は左膝の痛みをこらえて勝ち、12勝に乗せました。

場所後、左膝の遊離軟骨除去手術を受けました。

 

7月場所はまったく調整ができないまま臨み、結局五日目の取組でまたも左膝を悪化させ、1勝4敗となり翌六日目から休場となりました。

7月場所を全休しておけばかなり違ったと思いますが…。

 

9月場所の出場は無理と見られていましたが、厳しい治療・トレーニングにより、本人は「動ける体になってきた。膝もほぼ治ったし、この2年で一番いい」と言い、さらに「優勝を目指して頑張る。順調に上げていきたい」と、復活を宣言しました。

 

膝の状態は非常に良かったそうなのですが星はあがらず四日目まで1勝3敗、さらに五日目の取組で、前に出た時に「膝がズレた」と、左膝を痛めてしまい(もう何回目…?)、1勝4敗となり六日目から無念の休場、再出場は出来ず1勝5敗(1不戦敗)9休で2場所連続の負け越し、ついに大関から関脇へ陥落してしまいました。

 

「大関から陥落した場所で10勝を挙げれば大関に復帰できる」という特例があり、11月場所はそれを目指しての土俵となりましたが、状態が相当悪かったようでまったく力を出せず初日から4連敗となり、五日目から休場となりました。

 

2018年1月場所は東前頭十枚目まで番付を落としての戦いとなりましたが状態は悪く、初日、二日目と連敗、三日目から休場となりました。ただ、この休場は膝のけがによるものではなく、糖尿病によるものでした。イケイケだった頃、タニマチのおごりで毎晩のように飲み明かしていたことがたたりました。

 

1月場所五日目の1月18日にはインフルエンザにまで罹るなど状態は最悪でしたが、0勝のままだと十両に陥落してしまうため十一日目から再出場。

しかしまともに相撲を取れず、0勝8敗7休に終わり、無念の十両陥落となりました。

 

3月場所は西十両五枚目で迎え、膝はかなり良くなっているものの糖尿病が重症で、状態は非常に悪く、なんとか十五日間皆勤したものの6勝9敗と負け越しに終わりました。

 

5月場所も初日から3連敗となり、四日目から休場(これは左膝負傷によるもの)。十一日目から再出場したものの勝ち星を挙げられず、幕下陥落が確定的となってしまいました。

この頃は糖尿病の影響で筋肉がどんどん落ちてしまい…、はっきり言ってしまうと「ブヨブヨ」になってしまっていました。

 

過去に大関経験者、幕内最高優勝経験者が幕下以下に陥落した例はなく、ほとんどの人は「ここで引退するのではないか」と言っていましたが、師匠の伊勢ケ濱親方は現役続行を明言していました。

tsumebloはずーっと「次の横綱は照ノ富士」と言っていましたよ!

 

なかなか完治しない左膝のけが、重症になってきていた糖尿病のほか、C型肝炎(肝炎は存在しないらしいが…?)、腎臓結石も患い、状況は最悪でしたが…。

 

6月25日、7月場所番付が発表された日(照ノ富士は東幕下六枚目)に、両膝の手術を受けました。同時に7月場所の全休も発表し、さらに9、11、2019年1月場所も全休し、3月場所はなんと「西序二段四十八枚目」まで番付を落としました。

2017(平成29)年7月場所~2019(平成31)年1月場所までの照ノ富士の地位と成績

 

その裏では、数回手術を受け、治療とトレーニングを積み、四股などの基本運動も徐々に再開、地道な努力でふたたび土俵に立つ日をうかがっていました。

 

しかし、さらにその裏では(?)、3度目の膝の手術をした頃には(明確な時期は不明)洋式トイレに自力で座れないほどの状態で、「これ以上みっともない姿は見せられません、引退させてください」と師匠への引退直訴はなんと5回に及びました。

しかし、師匠の伊勢ケ濱親方は「まずはけがと病気を治してから考えよう」と引き止め、5回にわたる引退直訴をすべて退けました。

 

よく、照ノ富士の復活について「よく腐らず…」などの称賛を多く目にしますが、実はこれは間違いです。

実際は何度も腐りに腐っており、「引退させてください」に師匠が「今までお疲れ様」などと返事をしていれば、その時点で照ノ富士の力士としての人生は、終了していたわけです。

 

ついに土俵に戻ってきた3月場所は、もちろん状態がけしていわけではありませんでしたが、序二段ではさすがに地力が違い、まるで稽古場のような相撲内容で7連勝(幕下以下は1場所7番相撲を取ります)。もう1人の序二段7連勝、狼雅との優勝決定戦は敗れましたが、それでも三段目復帰を決めました。

2019年3月場所初日、若野口(現・若龍星)を破り、354日ぶりの勝ち名乗りを受ける照ノ富士

 

また、序二段まで番付を落としたことで照ノ富士は変わりました。

やんちゃだった性格は影をひそめ、今までぶっきらぼうだった報道陣への対応にも敬語を使うようになりました。

糖尿病などの病気の原因になってしまった大好きな酒もほぼ飲まなくなり、「やんちゃ」から「真面目」へと転身しました。

 

場所ごとに膝の調子は少しずつですがよくなり、5月場所は三段目で6勝1敗、7月場所は幕下まで番付を戻し6勝1敗、9月場所は最初の相撲から6連勝でしたが、7番相撲で自身と同じように番付を落としてしまっている幕内経験者、千代の国に惜しくも敗れ幕下優勝を逃しました。

 

11月場所は西幕下十枚目で迎え、見事に7戦全勝で幕下優勝、関取復帰を確実としました!

幕下優勝・関取復帰を果たし、万感の…

 

そもそも大関・幕内優勝経験者が幕下以下に落ちたことが前例のないことですから、そこから戻ってきたというのは、もうとんでもないことです。

こんな経験をして、いったい何歳なのか?

ベテランかと思ってしまいますが、上がるスピードがものすごかったので、実はこの時、まだ28歳になる直前だったんですね。

場所後、11月27日の番付編成会議にて、正式に照ノ富士の関取復帰が決まりました。

 

2019年1月場所は西十両十三枚目で迎え、初日から盤石の十三連勝。早々と十両優勝を決めましたが十四日目、千秋楽と錦木、大奄美に連敗してしまいました。

十両になると1場所十五番、毎日相撲を取るので、まだ体力が戻りきっていない照ノ富士は最後の2日間は疲れで大変だったのだと思います。

14勝以上ならばすぐに幕内に戻れそうだったので、少し残念でしたが、まあ調子があまり戻っていない状態ですぐに番付を上げてしまうと、相手のレベルが上がり大変厳しくなるので、これでよかったのだと思います。

 

3月場所は東十両三枚目で迎え、場所前に少し肘を痛めた(右だったか左だったか忘れました…)ため、10勝5敗と「照ノ富士にしては」イマイチな成績でしたが、それでも幕内復帰を確実としました。

 

5月場所の番付は東前頭十七枚目の幕尻(幕内で1番下の番付。一応この場所は西前頭十七枚目が一番下だったのですが、数字が同じなら西でも東でも幕尻と呼ぶようです)にしこ名が載り、ついに幕内まで戻ってきましたが、コロナ騒動により5月場所は中止。

 

7月場所、ついに幕内の土俵に立ち、順調に白星を重ねます。

優勝争いは十日目終わって全勝・白鵬、一敗で新大関の朝乃山、関脇正代、そして照ノ富士という状況でしたが、独走かと思われた白鵬が十一日目、十二日目と連敗して首位から転落したトタン、右膝を負傷したとのことでさっさと休場してしまいました。

白鵬のことですから、右膝負傷は休むためのウソではないか?とtsumebloは思います。

 

正代も十一、二日目を連敗し、3敗に後退。

朝乃山、照ノ富士は星を伸ばし、11勝1敗どうしで十三日目、直接対決が組まれました。

両者ともに右四つを得意としており、立ち合いで両者同時に左上手をつかみ右四つがっぷりに組み合う展開となりましたが、照ノ富士がうまく朝乃山の上手を切り、寄り切りで勝利、単独先頭に立ちました。

 

しかし十四日目は少し硬くなったか正代に敗れ、2敗に後退。

朝乃山が照強に勝つと、朝乃山に12勝2敗で並ばれてしまう展開でしたが、照ノ富士の兄弟子・照強(年齢は照ノ富士が上ですが、照ノ富士は高校卒業後間垣部屋に入り、その後伊勢ケ濱部屋に移籍してきたので、中卒で伊勢ケ濱部屋に入門してきた照強の方が兄弟子となる)が足取りで朝乃山に勝利。

 

千秋楽は12勝2敗照ノ富士VS11勝3敗御嶽海、11勝3敗正代VS11勝3敗朝乃山という、優勝争いに残る4人はすべて直接対決が組まれ、照ノ富士勝てば優勝、敗れれば照ノ富士・御嶽海・正代VS朝乃山の勝者による優勝決定巴戦となる状況でしたが、照ノ富士が両上手を取って引き付ける万全の内容で御嶽海を寄り切り、30場所ぶり(5年ぶり!)2度目の幕内最高優勝を果たしました!

 

膝の状態は場所ごとに少しずつよくなっているよそうです。

中編で照ノ富士が初優勝し、師匠の伊勢ケ濱親方から優勝旗を受け取る写真を載せました。優勝旗を優勝力士に渡すのは審判部長の役目で、優勝力士の師匠が渡すわけではありません。

初優勝した場所はたまたま、伊勢ケ濱親方が審判部長だったのですが、その後「貴の乱」に巻き込まれ、審判部長辞任。

7月場所の表彰式ですが…?

どの写真を選んでも理事長のハ○頭が…

 

実はこの場所が、伊勢ケ濱親方が審判部長に復帰した最初の場所。

偶然とは思えない、すごい偶然ですよね!

 

いや~、改めてすごい復活ですよね。

しかし、復活劇はまだまだ完結しません。

 

9月場所の番付は、tsumebloは西前頭二枚目を予想していましたが、優勝したのが大きく、一気に東前頭筆頭へ。

初日貴景勝、二日目御嶽海にいいところなく連敗し、まだ上位ではキツイか~、と思いましたが、三日目から7連勝。

この場所は八日目で全勝・1敗が消える大混戦で、7勝2敗とした照ノ富士も優勝争い先頭の一角に入っていました。

しかし十日目隆の勝に敗れ、十一日目に勝ち越したものの、十二日目に阿武咲に敗れ優勝争いから脱落。

この頃から、押し相撲に苦戦する姿が散見されるようになります。

 

しかも左膝に痛み(毎場所終盤になると痛みは出るそうなので、この場所はかなり激しい痛みだったと思われる)が出てしまい、残念ながら十三日目から休場となりました。

 

それでも勝ち越したので、11月場所は三役に復帰、東小結に就きました。

番付を駆け上がる時も落ちる時も小結をすっ飛ばしたため、照ノ富士が小結に在位するのは初めてです。

 

初日から7連勝と好調(七日目の若隆景戦は珍しくまともに下がる相撲でしたが)でしたが、八日目、九日目に連敗。

十日目以降は立て直し、千秋楽、1差を追い、単独首位貴景勝との直接対決に臨み、浴びせ倒しで勝利、優勝決定戦に持ち込みました。

しかし膝の疲労があるため、千秋楽に2番取るのはきつく、優勝決定戦では一方的に敗れてしまいました。

優勝は逃しましたが、13勝2敗は立派な成績、大関再昇進への大きな起点となりました。

 

今年1月場所は、成績次第ではこの場所で大関に戻れる可能性もありました。

東関脇で迎えましたが、序盤は押し相撲に苦戦し、六日目まで3勝3敗。

七日目からは自分の相撲を取り切り、十日目に隆の勝相手に土俵際の逆転を喰った以外は朝乃山、正代の2大関も破って星を伸ばし、11勝4敗で大関再昇進への足固めとしました。

 

また、今年1月にNHK・総合テレビで放送された「逆転人生 傷だらけの天才力士~照ノ富士 奇跡の復活劇~」にて、モンゴルからの留学生、3歳下のツェグメド・ドルジハンドさんと、2018年2月に結婚していたことが、3年越しで明らかになりました。

 

復活の支えになったのは、伊勢ケ濱部屋の仲間達や、番付を落としても応援し続けてくれるファン(tsumeblo?)はもちろんですが、奥様がの存在が一番大きそうですね。

 

1月場所後の2月11日、富岡八幡宮にて結婚式が行われました。

 

3月場所での活躍は、前編に記した通りです。

照ノ富士の土俵復帰~大関再昇進まで

 

一気に番付を駆け上がってきた2014,5年頃にはあまりなかった緻密さで、再び大関の座を掴みました。

「特例なしでの大関再昇進は魁傑以来2人目」と各メディアは報道していますが、魁傑の大関から陥落した後の最低地位は前頭六枚目。

照ノ富士は序二段四十八枚目なので、比べるのは間違っていますよね。

 

3月場所後の3月31日、正式に大関再昇進が決定し、同日、大関昇進伝達式が行われました。

照ノ富士は「謹んでお受けします」とシンプルに口上を述べたのですが…、なんだかこの伝達式に出ていた力士は、照ノ富士に見えないんですよね。

あんなデヘデヘしたしまりのない顔ではなかったと思うのですが。興味のある方は調べてみてください。

 

現在、大関として迎えている5月場所が進行しています。

先場所膝を悪化させたので、心配して観ています。照ノ富士は膝の状態がいいとやや強引な相撲を取るのですが、今場所はよく前に出ているので、やはり膝の状態はあまりよくないのだと思います。

それでも8勝0敗の単独トップで、期待してしまいますよね。

 

今日、直近10番で1勝9敗、復活後も4戦全敗、難敵中の難敵、髙安との大一番です。

今場所こそは勝ってほしいです!

 

復活劇はこれにて一旦完結し、これからは再び横綱を目指すことになります。

怪我があるので無理はせず、頑張ってほしいですね!

 

以上、3回にわたってお付き合いいただき、ありがとうございました。

ここから更新頻度を上げていきたいです!乞うご期待!

 

<詰碁出題コーナー>

黒先です。「張栩の捨て石詰碁」に再び対抗すべく、載せました。前回の捨て石詰碁はひどかったので。

「張栩の捨て石詰碁」はあの後入手し、上・下巻を2周しましたよ!

 

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【祝大関復帰】照ノ富士関特集!中編

2021-04-28 18:15:08 | 趣味

 

<詰碁解答コーナー>

問題図(再掲)

初手は黒1ツケが正解。白2のヒキには俗筋のようですが、図のように黒7まで白死となります。黒5では7から打っても問題ありません。

白2ブツカリは自然な応手ですが、黒7までダメヅマリで白死です。

白2アテが最強の抵抗。黒3のアテは軽率でした。続いて白10ツギなら前図に戻るとのもくろみですが、白4抜きでダメヅマリを避けられ、以下白10までウッテガエシで白生き。アトギリの形にはなりません。これを避けるために黒5などで黒10のアテを利かそうとすれば、白はかまわず白6などと守り、白二目取りには黒一子を取り返せば、セキより悪くなることはありません。黒7か9のタイミングでも同様の考え方で白生きです。

余計な利かしを打たず黒3とハネ出し、じっと黒5とツナぐのが絶妙の手順でした。やむをえない白6に対し、黒7と矢吹丈なんて問題にならないぐらいの見事なクロス・カウンターが決まり、白死となりました。

どうです?なかなかよくできているでしょう?

黒1のハネダシから黒3のコスミツケも、今まで見てきた正解コースと同じ考え方で有力なのですが、黒1ハネダシと白2切りが余計な交換となっており、コウとなっては失敗です(白10は△のところにコウ取り)。

 

いやー、それにしてもこの問題は奇跡的によくできました。

 


 

皆さんこんにちは、tsumebloです。

前回に引き続き、照ノ富士特集です!

 

なお、この記事はこのまま読まれても大変ありがたいのですが、前回の「【祝大関復帰】照ノ富士関特集!前編」を先に読んでいただけると、

すごーくおもしろいんだ!すごーくゆかいなんだ!

【祝大関復帰】照ノ富士関特集!前編 - 囲碁マニアの詰碁ブログ

 

※前回の記事では「○月場所」との表記方法を用いたあとに「秋場所」と書いてしまい、ちぐはぐな表記となってしまいました。今回の記事では「○月場所」に統一して書いていきます。

 

2013年7月場所後に新十両昇進を果たし、「関取・照ノ富士」が誕生。その後の活躍を見ていきます!

 

新十両として迎えた9月場所では12勝3敗で、いきなり新十両優勝を果たしました。

その後も勢い止まらず2014年3月場所で新入幕。

そこからも勝ち越しを重ね、同年9月場所では東前頭筆頭まで番付を上げました。当時22歳、そのころtsumebloはようやく大相撲を観始めたところでしたが、「こりゃすごい若手が出てきたな」と多くの相撲ファンが思っていたことでしょう。

 

その場所は6勝9敗と負け越しましたが、翌11月場所は上位で勝ち越し、2015年、激動の年を迎えます。

 

1月場所は東前頭2枚目で2大関を破る活躍もありましたがそれほど星は伸びず、千秋楽の玉鷲戦に勝ってなんとか勝ち越し。

しかし敢闘賞を受賞、初の三賞受賞となりました。失礼ながら、横綱に勝てずの8勝で敢闘賞受賞は非常に珍しいことです。

なぜそうなったのか。以下はWikipedeiaからの引用です。

 

「三賞制度発足以来初となる全三賞該当者無しの危機に瀕していた。三賞選考委員会で、千秋楽の白星を条件に殊勲賞は宝富士、敢闘賞は宝富士、照ノ富士、玉鷲が候補に挙がったが、19人の選考委員の挙手により受賞に値するとされたのは、敢闘賞の宝富士だけであった。宝富士が佐田の海に敗れれば、1947年の三賞制度制定以来、初のすべて該当者なしとなるところであった。そこで伊勢ヶ濱親方が『(三賞ゼロは)厳しい審判部と言われる』と意見をし、別の委員から『照ノ富士―玉鷲の勝者』も候補にと提言があり、再投票で認められて該当者なしの危機を脱した」

 

同場所の幕内力士の勝敗表ですが、横綱白鵬が一人星をかっさらい、他の力士が激しくつぶし合う大変厳しい場所でした。

小結・関脇の4人全員が負け越し、たいていの場所なら三役に上がることのできない成績の力士がどんどん上がっていきました。逸ノ城・栃煌山などを三役に据え置いてもよかったと思いますが…。

 

翌3月場所は番付運よく初めての三役昇進、小結を通り越して関脇に昇進しました。

 

初日から7連勝するなど絶好調でしたが、腹の不調で十一日目の魁聖戦をあっさり敗れ、2敗目を喫したのが痛かった。

しかし十三日目は、ここまで5場所連続優勝、36連勝中で、この日照ノ富士に勝てば十三日目にして優勝が決まる横綱白鵬戦で、先に上手を取るうまい攻めで寄り切り、4度目の対戦で初めて白鵬を破りました(tsumebloはこの辺りで照ノ富士ファンになりました)。

 

十四日目の逸ノ城戦は1月場所に続き2場所連続で水入りとなる大珍事。1月場所の対戦では敗れましたが、結果は照ノ富士の勝ちとなりました。

千秋楽も勝ち、13勝2敗。白鵬は1敗を守り抜いたので優勝は逃しました。やはりあの○○○が出そうで…あの一番が惜しかったですね。

 

それでも、もはや誰が出てきても倒せないのではないかと見られていた、当時全盛期(八百長とも言われていますが)白鵬を倒しての優勝次点は大きく、殊勲賞・敢闘賞受賞となりました。

3月場所の大活躍で、5月場所は三役2場所目にして、結果次第では、早くも大関昇進があると言われていました。

 

ところが初日に「油断した」(本人談)と佐田の海に敗れ、二日目から7連勝したものの、九日目は徳勝龍相手に取りこぼし、十一日目に白鵬に敗れ早くも3敗となり、優勝争いトップから星の差を2つつけられた時点では、tsumebloが読んでいた当時の朝日新聞の記事では「照ノ富士 大関消えた」の見出しが躍り、記事本文は「来場所頑張れ」的な内容でした。

 

ところが翌十二日目から白鵬が急失速し、十四日目を終えた段階で白鵬、照ノ富士が3敗で並ぶ展開に。

千秋楽、照ノ富士は碧山を破り、照ノ富士の兄弟子・日馬富士が白鵬を倒し、照ノ富士が逆転で初優勝!場所後の大関昇進もほぼ決まりました!

初優勝を果たし、師匠の伊勢ヶ濱審判部長から賞状・優勝旗を受け取る照ノ富士

 

初めての平成生まれの大関誕生です。

新三役から所要2場所での大関昇進は史上最速記録で、現在も破られていません。

なんだかこの場所の白鵬・照ノ富士と、今年3月場所の髙安・照ノ富士が重なりますね。

 

場所後の5月27日の番付編成会議・理事会で正式に大関昇進が決まりました。同日の大関昇進伝達式で照ノ富士は「謹んでお受けいたします。今後も心技体の充実に努め、さらに上を目指して精進いたします」と述べました。

 

大関昇進伝達式を終え、騎馬に乗って笑顔の照ノ富士

 

まだ大関に昇進した段階であるにもかかわらず、あまりの強さに「次の横綱」ともてはやされ、本人もまんざらではなかったようです。

照ノ富士は現在、この頃を「なんでもうまくいって、イケイケだった」と振り返っています。

 

ただ、この頃の相撲は、差されるとすぐに下がりながら強引に小手に振る、パワーだけでねじ伏せる相撲が多く(それでも勝つ相撲が多いのですが)、膝に負担をかけ、のちの大けがにつながりました。

 

新大関として迎えた7月場所は十一、二日目に白鵬、鶴竜に連敗したことが響き最後まで優勝争いに絡むことができず、千秋楽は7勝7敗の成績だったカド番大関・琴奨菊の注文相撲に屈し、11勝4敗に終わりました。

 

9月場所は初日から日馬富士、三日目から白鵬が休場する中、初日から自身最高の11連勝で単独トップに立ちましたが、十二日目に栃煌山にうまい相撲を取られて連勝ストップ。

さらに十三日目は稀勢の里に完敗、寄り倒された際に膝が逆に曲がってしまったのか(ちょうどいい画像見つからず。スミマセン)、右膝前十字靭帯断裂の大けがを負ってしまい、強行出場の十四日目は豪栄道に力なく敗れ3連敗、鶴竜に首位を明け渡してしまいました。

 

しかし千秋楽結びの一番では右膝の痛みをこらえ、寄り切りで鶴竜戦初勝利、優勝決定戦に持ち込みましたが、大けがを負った中での1日二番は負担が大きく、鶴竜の出し投げにあっさりと土俵にはいました。

 

11月場所以降はけがをした部分をかばおうとすることで、どんどん別の場所を負傷していく悪循環で思うような成績を残せず、少し勝ち越しては大負けするパターンが続きます。

照ノ富士の大けがをした2015年9月場所~2017年1月場所までの成績

 

すぐに昇進するだろうと見られていた第72代横綱の座は稀勢の里に奪われ、「弱い大関」のイメージが定着してしまってきていました。

 

復活のきざしを見せたのは、2017年3月場所でした。

十二日目では遠藤の寄りを土俵際でこらえるなど、膝の調子がかなりよくなっているようで、最後は浴びせ倒して11勝1敗。

圧倒的強さを見せ12戦全勝としていた新横綱稀勢の里を1差で追う展開でしたが、十三日目の鶴竜戦の取組中、以前痛めた左膝の状態が悪化

なんとか寄り切ったものの、十四日目はこの場所、大関から転落してきている琴奨菊との取組が組まれていました。大関から転落した翌場所で、10勝を挙げると大関に復帰できる特例があるのですが、琴奨菊は十三日目まで8勝5敗、もう負けられない状況での照ノ富士戦でした。

 

しかし、照ノ富士はまともに相撲を取れる状態ではないと、立ち合い変化を選択。決まって13勝目を挙げましたが、琴奨菊の大関復帰を阻んだことと、前日に稀勢の里も大けがを負っていたことがあり、館内はブーイングの嵐。

 

照ノ富士は取組後、SNSでどういうことを言われているのかチェックしたそうですが、ここでもブーイングの嵐。

この後の転落は、ここで気持ちが沈んでしまった部分も大きかったそうです。

 

千秋楽は13勝1敗の単独トップで迎えましたが、結局は皆さんご存知の通り、稀勢の里の劇的な逆転優勝の引き立て役となってしまいました。

tsumebloは当時照ノ富士のけがを知らなかったので、まさか優勝を逃すとは思わず、テレビの前で呆然としました。

優勝決定戦、照ノ富士(左)は小手投げで稀勢の里に敗れる

 

しかし、照ノ富士が十四日目に変化した時は大ブーイングだったのに、稀勢の里が千秋楽の本割・決定戦で見せた変化は誰も何も言いませんでした。理不尽ですよね。

 

表面だけ見ればドラマチックな、素晴らしい場所だった…と思いますが、裏を覗いてみれば、稀勢の里はこの強行出場で力士寿命を激しく縮め、照ノ富士も強行出場、ブーイングでの心の傷が転落の大きな一因となり、何かとあと味の悪い場所でした。

 

照ノ富士は翌5月場所も優勝次点の成績を残しましたが、そこでも膝が悪化し、7月場所からついに転落が始まり……

転落と復活の軌跡は次回に!

 

 

最後に、本当に更新が遅くなり申し訳ありません。

この特集が終わったら、内容を軽くして更新頻度を上げていきます!

毎回このぐらいの内容だと、途中でしんどくなってしまうので……😅

 

<詰碁出題コーナー>

黒先です。自然に打てば、正解に辿り着けます。

 

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【祝大関復帰】照ノ富士関特集!前編

2021-04-11 15:06:58 | 趣味

 

<詰碁解答コーナー>

問題図(再掲)

一本道できわめて変化が少ないので、正解手順のみ示します。

無条件で取りにいくには黒1しかありません。黒3、5とひたすら目つぶしに専念し、

やはりひたすら目つぶしに専念し、黒11が先手になったことで、

黒13のアテでオイオトシ、白死となりました。流れる石のようですね。

 


 

皆さんこんにちは、tsumebloです。

あまり更新できずすみません。

なぜ更新できないのかというと、パソコンに向かうとついついネット碁を打ってしまうからです。

申し訳ありません。

 

前々回予告させていただいた通り、今回は照ノ富士特集です!

 

まずは春場所の展開を簡単に振り返ります。

 

↑千秋楽の放送で流れたエンディングです

 

今場所は出場を明言していた横綱鶴竜がドタ休し、白鵬が一人横綱として4場所ぶりに土俵に立つことになりました(去年7月場所は12日目まで出場していた)。白鵬は初日、二日目と連勝したものの内容にあまり白鵬らしさが見られず、右膝の状態が思わしくないとのことで三日目から休場となりました。

 

序盤の土俵で輝いたのは前頭四枚目、34歳ベテラン妙義龍でした。ただ一人初日から5連勝として単独先頭に立ちましたが、残念ながら翌日からの連敗で失速しました。

 

妙義龍に代わって主役に躍り出てきたのは小結髙安です。照ノ富士同様大関返り咲きを目指す髙安、場所前の合同稽古から好調が伝えられていました。場所前にお子さんも生まれたとのことで元気いっぱい(勝手にそう決める)、二日目から大関朝乃山、貴景勝なども破って9連勝十日目終了時点で後続になんと2差をつけ、圧倒的優位に立ちました

しかし十一日目に大関正代に敗れた一番から堅さが見られ、十四日目の翔猿戦は大逆転を食いとうとう首位から転落、十一日目~十四日目の4日間で1勝3敗と大きく崩れ、10勝4敗で千秋楽を迎えることになりました。

 

三大関は序盤からポコポコと星を落とし、優勝争いからは大きく後退してしまっていました。

 

あれ?簡単にするつもりが…

 

抜きつ抜かれつが派手に進む中、着々と星を積み重ねていたのが関脇照ノ富士です。ただ、序盤から少し強引な相撲を取っているのがtsumebloは心配でした。八日目に苦手の髙安に敗れて首位を明け渡し、十日目には志摩ノ海に逆転負けを喫して髙安に2差をつけられ、さらにはこの一番で膝の調子が悪くなってしまうという向かい風がビュービュー吹く厳しい展開となりましたが、十一日目から急激に内容がよくなりました。

強引さはまったく見えなくなり、十二日目の玉鷲戦の白星で9勝、大関昇進の目安となる「直近3場所を三役で33勝」に到達。十三日目に正代を圧倒して2ケタに乗せ、大関復帰がほぼ確実に。そして優勝争いでも首位髙安に並びました。十四日目も朝乃山を破って11勝3敗、今場所初めて単独先頭に立ちました。

こんなことを書くと照ノ富士に張り飛ばされそうですが、まさに「怪我の功名」だったかもしれません。

 

十一日目には横綱鶴竜の現役引退と、年寄「鶴竜」の襲名が発表されました。寂しいです……。

 

千秋楽を迎え、4敗・髙安VS4敗・碧山4敗・貴景勝VS3敗・照ノ富士と優勝の可能性を残す4人は、直接対決が組まれることになりました。碧山は八日目まで4勝4敗の成績でしたが、そこからの6連勝で急浮上してきました。

 

髙安-碧山は優勝争い生き残りを賭けるとともに、勝った方が敢闘賞受賞という大きな一番でしたが、両者の勢いの差が相撲内容にもはっきりと表れ、はたき込みで碧山が勝利しました。

 

結び前に組まれた貴景勝-照ノ富士は照ノ富士勝てば優勝決定、貴景勝勝てば貴景勝・照ノ富士・碧山の3人による優勝決定巴戦となる一番でした。立ち合いから貴景勝が押し込んでいったかに見えましたが、照ノ富士の左おっつけが効き、押し出しで照ノ富士が勝って4場所ぶり3回目の幕内最高優勝を果たしました!

貴景勝(右)を押し出しで破る照ノ富士

 

膝は毎日の治療で乗り切ったそうです。さすがの集中力!!

 

三賞は照ノ富士殊勲賞碧山明生敢闘賞若隆景技能賞受賞となりました。明生・若隆景は三賞初受賞です。

後列が照ノ富士、前列左から明生、碧山、若隆景

 

うっっ、ここでもう5,000字か……。

もう少し行きましょう!

 

ここからは照ノ富士のこれまでのあゆみを見ていきます!

 

ガントルガ・ガンエルデネ(照ノ富士の本名)は、2009年に鳥取城北高校に相撲留学してきました(モンゴル出身)。

そのまま、2010年に高校卒業を控え元横綱二代目若乃花の間垣部屋に入門し、2011年5月技量審査場所で「若三勝(わかみしょう)」のしこ名で初土俵を踏みました。

類まれな才能でどんどん番付を上げていきましたが、幕下だった2013年3月場所後、師匠が体調不良のため間垣部屋が閉鎖されてしまい、元横綱旭富士の伊勢ヶ濱部屋に移籍しました。移籍によって稽古環境が充実したこともあり、同年秋場所で新十両昇進、しこ名を「照ノ富士」と改めました。

その後の活躍は次回に!

 

雑な文章ですみません。

…しかし、こんな記事面白いかなあ…。

 

<詰碁出題コーナー>

黒先です。この詰碁は難易度それなり、筋のよさ抜群、形もコンパクトで、昨年10月からtsumebloが作ってきた詰碁50数問のなかでは最高傑作です(創作歴半年が言うな)!!!

 

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2021-03-31 15:23:27 | ブログ

 

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