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支流からの眺め

岸田首相の予想に反した活躍ぶりーG7を終えて

 岸田文雄氏の首相職は2021年10月からでもう2年近い。コロナ対応や安倍晋三氏の国葬儀、統一教会、子息の人事などで苦戦し、決断力に欠けるとも批判されていた。しかし2023年になり、4月に安部氏と似た襲撃に遭いながらも幸い大事には至らず、その直後も予定を変更せず街頭演説を続けた。この強い意思は称賛される(これで運が回ってきたのかも?)。そして5月にコロナを5類に移行させた。
 国際的には、親中とされていた下馬評に反して中共国には強硬な姿勢を示している。例えば、半導体製造装置の対中輸出を規制強化し、慣例であった在日大使の退任時の面会を拒否した(但し、拘留された民間の日本人の奪還や、尖閣諸島付近での領海侵犯の阻止は未達であるが)。親中派の代表と目される林氏を外相に任命したことも、親中・反中の党内バランスを取った故という解釈になりつつある。
 今や日本は、専守防衛の堅持を放棄して敵基地攻撃能力を獲得し、日米同盟を基軸とした安保協力を一段と深化させた。NATOやオーストラリア、インドとも連携を強めている。習近平が訪露したその時(を狙って?)、ウクライナを電撃訪問して国際的な注目を浴びた。極めつけが、G7サミット広島会議である。今回のサミットは、ゼレンスキー大統領の飛び入り参加もあり、近来になくインパクトの高い会議になった。
 岸田首相は議長の大役を無事に果たした上で、その宣言で「核の使用はもちろん、核による威嚇も許されない」と述べた。この発言は、被爆国日本の、人類初の被爆地広島を地盤とする宰相が、その地で開催されたサミットの議長として発出した言葉として、世界の人々に重く受け止められた。露国が核の脅威をチラつかせ、中共国が独裁体制を強めつつある時に広島に開催地が巡ってきたのは、時機を得たともいえる(これも運か)。
 G7以外の国々(特にG20議長国インド、各地域の代表国、中共国に遠慮している国)の首脳も招待し、核爆弾の脅威を改めて知ってもらい、ゼレンスキー大統領との面談の機会を設けたのも意義が大きい(ゼ氏が現地に来ることが事前にわかっていたら、参加を見送った元首もいたのではなかろうか?)。このサプライズが、日和見、または様子見に終始していた国々の態度を変えさせ、潜んでいた世界の潮流を揺り動かすかもしれない。
 懸念されるのは、中露をはっきり敵に回したことである。世界平和のための勇気ある行動という一方、無謀の挙ともなりかねない。だからと言って態度を緩めろとはなるまい。氏の聞く力(言うことは聞くがその通りにはしないで済ませる力)が中露相手に発揮されることを願う。日本国民が現実に被害を受けた時の対応が、真価を測る試金石となろう。一国民としては、第百代目の首相としての健闘と身の健康・安全を祈るに留まるのだが・・。


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