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支流からの眺め

終戦記念日に思うー日本人からの史観

 8月15日には、あの戦争が話題になる。話題は人道と戦闘と史観に分類される。人道の話題とは、戦争の悲惨さの話である。体験者や遺族の言葉は重く、誰もが心を動かされる。戦闘の話題とは、戦果、作戦、戦意などである。軍事の専門家が分析する事項であるが、戦記物としても広く興味を引く。史観の話題とは、戦争の歴史的位置づけ、戦うことになった理由や経緯である。これは、国民すべてに関係するにも拘らず、今や議論もなく決めつけられてしまったように感じる。

 どういう史観があるか。①東京裁判史観では、米国の民主主義が日本帝国のファシズムに勝った戦争となる。②帝国主義史観では、米英と独日の帝国主義のぶつかった戦争となる。他に③抗日史観とでもいうべきものがあり、わが国が半島や大陸に侵略を試み、それに朝鮮や中国が勝利したという見方である。しかし、肝心の当事者であるわが国の立場からの史観がない。あの戦争が民主主義に抗してわが国が起こした侵略戦争だといわれても、多くの(当時の)国民は納得しないであろう。

 歴史は流れている。先の大戦の発端が真珠湾でないことは確かである。その前では、日支事変、満州事変などとなるが、世界史的には、少なくとも第一次世界大戦後、または日露戦争後まで遡る。その時、米国は日本を仮想敵国に置いた。しかし、わが国から見れば、鎖国中のわが国に対し、西欧諸国や露国が開国要求したことが始まりである。これは、明らかに軍事威嚇であった。ペリーをして開国の祖とするならば、戦争をしかけたのは米国なのである。

 以来、不平等条約など不利な立場を懸命に挽回しつつ、近隣諸国にも協力を呼びかけたというのが実感ではないのか。やられたので、これ以上やられないように踏ん張ったのである。ところが、黄色いくせに大きな顔していい気になっているなと睨まれて、挑発に乗せられて、徹底的にやられて、もう二度と逆らいませんと言わされたのが終戦の日なのではないか。そして今や、再挑戦もあり得ない(実力差は当時より遥かに大きい)のが現実である。

 しかし、敗者であっても、戦った大義は明確にしておくべきである。西欧諸国や近隣諸国の振る舞い、対するわが国の対外交渉だけでなく、国民の抱いた願いや本心を見据えて、日本から見た先の大戦を描く必要があるだろう。前節の印象からすれば、それは日本国防史観、東亜独立史観などとなろうか。教科書には書きにくければ、他の表現型や情報源、口伝えででも、国民が共有すべきことである。来年の今日までには、このことをもう少し詳しく述べてみたい。

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