今日秋葉原から金座方面に来るまで走っているときに、ホームレスの方がたくさんいるのを見ました。私は移動はいつも車なのでふとしたときに目にすることしかないのですが、なんともいえない気分になりました。
人間がたいした苦労も無く、皆が仲良く笑って暮らせる社会、ユートピアがあれば一番言いのでしょう。私も会社など経営していますが、車で走っているとき、大企業の看板の入った営業車でコンビニで仮眠している営業マンを見ていると「いいなあ~」などと思うことがあります。
私も以前サラリーマンだったので、それはそれで大変なのは分かります。知っていますし体験もしています。でも、経営者ほどの切実なプレッシャーは無いので、その部分だけよく見えるわけです。
よく批判する公務員もそこそこ仕事をしていれば給料がもらえる部分がうらやましいのかも知れません。
私たち経営者が毎日受けるプレッシャーを一般の人が受けていたらきっとうつ病になるのでしょう。だからそのプレッシャーが無いところをうらやましがっているわけです。
他人から見れば1000万を超える外車を2台も転がし、自宅を持ち、少なくとも今まではお金の心配の要らない生活をしている私も「そこだけが」うらやましいのかも知れません。
「他人の芝はよく見える」ということでしょうか。
ホームレスの方々を見ていて気楽に見える「そこだけを」うらやましく思う反面、なぜ働かないのかなあ。とも思うのも事実です。何でもやればできるもので、今の日本で厚生施設等を利用して職を探すのはさほど難しいことではないでしょう。
そこで邪魔をするのは「~したい」「~の仕事をしたい」という希望と「~じゃ働けない」「~なんかやってらんねえ。」という不満でしょう。
ホームレスを支援する人は自己満足にも思えるし、また人を助けるのが人間の本分のようにも思えるし、難しいところです。
でも私のがんばった成果は、社員とその家族、そして私の家族にまず享受させたいし、そうするのが当然だとも思います。社会貢献は税金と年金で・・・とも思います。
結局何をしてもどうなっても人間は満足することはありません。案外、出家でもするのが一番安定した精神を得られるのかも知れませんね。
ホームレスの人がすべて怠け者だということではないでしょうが、怠けた割合が他人より多かったのも事実でしょう。「自業自得」も真実だし、それだけではなかったのも事実でしょう。
でもやっぱり彼らも「死ぬ気」で努力してみるべきでしょう。あの年になると無理なのかな・・・・それも甘えだと思うんだけどな。
人間がたいした苦労も無く、皆が仲良く笑って暮らせる社会、ユートピアがあれば一番言いのでしょう。私も会社など経営していますが、車で走っているとき、大企業の看板の入った営業車でコンビニで仮眠している営業マンを見ていると「いいなあ~」などと思うことがあります。
私も以前サラリーマンだったので、それはそれで大変なのは分かります。知っていますし体験もしています。でも、経営者ほどの切実なプレッシャーは無いので、その部分だけよく見えるわけです。
よく批判する公務員もそこそこ仕事をしていれば給料がもらえる部分がうらやましいのかも知れません。
私たち経営者が毎日受けるプレッシャーを一般の人が受けていたらきっとうつ病になるのでしょう。だからそのプレッシャーが無いところをうらやましがっているわけです。
他人から見れば1000万を超える外車を2台も転がし、自宅を持ち、少なくとも今まではお金の心配の要らない生活をしている私も「そこだけが」うらやましいのかも知れません。
「他人の芝はよく見える」ということでしょうか。
ホームレスの方々を見ていて気楽に見える「そこだけを」うらやましく思う反面、なぜ働かないのかなあ。とも思うのも事実です。何でもやればできるもので、今の日本で厚生施設等を利用して職を探すのはさほど難しいことではないでしょう。
そこで邪魔をするのは「~したい」「~の仕事をしたい」という希望と「~じゃ働けない」「~なんかやってらんねえ。」という不満でしょう。
ホームレスを支援する人は自己満足にも思えるし、また人を助けるのが人間の本分のようにも思えるし、難しいところです。
でも私のがんばった成果は、社員とその家族、そして私の家族にまず享受させたいし、そうするのが当然だとも思います。社会貢献は税金と年金で・・・とも思います。
結局何をしてもどうなっても人間は満足することはありません。案外、出家でもするのが一番安定した精神を得られるのかも知れませんね。
ホームレスの人がすべて怠け者だということではないでしょうが、怠けた割合が他人より多かったのも事実でしょう。「自業自得」も真実だし、それだけではなかったのも事実でしょう。
でもやっぱり彼らも「死ぬ気」で努力してみるべきでしょう。あの年になると無理なのかな・・・・それも甘えだと思うんだけどな。