お金持ちになりたいひとへ

お金持ちになりたい人へ!気が付いたら39歳・・・不景気も乗り越え相変わらず平均所得の○●倍は稼ぐ男の本音のブログです。

堀江被告の顔に隠された真実

2006-04-27 23:04:22 | Weblog
すでにご存知のように、堀江被告が保釈されました。彼の三ヶ月ぶりの顔を見て思いました。「ああ、仕事から離れるとこういう顔になるのだな。」

人によっては、というか大多数の人は彼の顔をみて「拘置所で反省したのかな?」とか「彼も参っているんだろう?いい気味だ」とか「大変だな気の毒に」と思うのでしょう。また表情が違って見えるのは痩せたせいだといったりするのだと思います。

でも私の意見は少し違うのです。おそらく会社経営をされている方ならわかるでしょうが、最初に言ったように、会社経営のプレッシャーから開放された、というより開放されざるを得なかったのでしょうが、ストレスとプレッシャーから開放されるとあのように険の抜けた顔になるのだと思います。

こんなことを書くと、また病気だとかいわれそうですが、会社を経営するのはたとえようもないプレッシャーです。気を抜く暇がないのです。寝ているときださえも・・・・

だから堀江被告が塀の中で何を感じ、何を考えていたのかわかるような気がします。それはおそらく世の中の大多数の人には理解できないかもしれませんが、でも真実でもあるのです。

堀江被告は頭がよく勉強ができるというまれに見る逸材です。彼にはここで挫折することなく、ぜひ立ち直ってほしい。そしてまたTVに出て、厚顔無恥に物を言い放ってほしい。

私は彼はまた来ると思います。それもかなり近いうち、そうですね2~3年くらいのうちに、それこそ血のにじむような「努力」をしてね。

さあ俺もがんばろう!

賛否両論

2006-04-23 20:01:34 | Weblog
しばらく更新をさぼっていたら、常連さん(?)のまあまあさんをはじめさまざまな方にコメントをいただきました。相変わらずまあまあさんは治療とか人をおちょくり台詞を使われますが、お互い病気?のもの同士、人の意見には耳を傾けましょう(笑)しかしこの方のひねくれ度合いも相当のものです。(笑)

さてわからない人にはわからないものですが、きっとまあまあさんをはじめとする私に「批判的」なかたがたは、基本的に「言い訳方」人間なのだと思います。このような方はいくらいっても解らず、以前言ったように「うだつが上がらない」まま死んでゆくのでしょう。しかしそれも自分の選択なら何も悪いことではありませんし、批判する気もありません。ただそのツケを社会や「努力した人」に回さないようにと、いっているだけなのですが・・・・


まあ既得権を持っている官僚と同じで、自分が冷水に投げ込まれそうになると理屈をこねて回避しようとするのは弱い人間の性ですし、直せといってもわからないでしょう。ですから自己責任で怠けてください。といっているだけなのですが・・・・

まあ生ぬるい湯に慣れきった人にはいくら言っても解らないでしょうね。しかし解らなければいつまでたっても、いくらこのブログに批判めいたことを書いても、あなたは「負け組」にい続けるしかないし、誰も助けてくれないことだけは自覚されるべきでしょう。

格差社会を批判するとき、批判されるべきは「機会の格差」のみであり、その他の格差を否定すべきではない。しかしその「機会の格差」ですら、たとえば学歴で差別される、などというのは間違いなく、小学校から自分が怠けていた報いであり、それを覆すためには以前ご紹介したイチローのような潔さと努力、そしてうちの会社の金ちゃんのように、22歳で小学生のドリルを電車の中で開ける真剣さが必要であると説いているだけである。

何度も書きましたが、中国人の留学生に代表される外国人留学生の真剣なこと。それに比べて日本人のなんと甘い、他人まかせな生き方であろうか。自分を令水に投げ込むことをせず、やれ政府が悪い、小泉が悪い、このような人間は本来人を批判する資格はないのであるが、これすらも言い訳で回避する。

いいんですよ。人がどんな生き方をしようと。それを人のせいにするな、といっているのです。

前日のTVでつぶれそうなラーメン屋を繁盛店の店主が救済する番組がありました。つぶれそうな店はといえば、汚い店内、いい加減な調理、悪いサービス、努力のないメニュー、探究心のない仕事振り・・・・・・

これにひきかえ繁盛店の清潔で、ユニークなメニュー、明るい接客、なにより日々探求されたおいしいメニュー


この二つを比べて、あなたでしたらどちらのお店に通いますか?そして繁盛しない店は誰が悪いのですか?政府が悪いのですか?自己責任ではないのですか?


いかに言い訳して詭弁を用いようとも、結果はあなた自身に返ってくるのです。


モリタクさんのブログについて

2006-04-17 17:41:13 | Weblog
先日、私のブログのコメントに、「他人のブログを炎上させる行為は慎むべきでは?」とのコメントをいただきました。コメントをくださった方にもお返事はさせていただいたのですが、私は炎上させているつもりはないのですが・・・・

まあ言葉尻がきついのできっかけにはなっていると思います。まあ他人のブログがどのようなスタンスであっても文句を言う筋合いではないのですが、どうもあのブログのコメント欄を見ているとやれ「・・・のせい」とか「小泉はだめだ。」とか世の中が悪いとか他責ばかりなのでつい、辛口のコメントを書いてしまうのです。するとそれをきっかけにさまざまな人が荒れてくるので悪いなーとは思うのですが、まあモリタクさんのような有名な方のブログに意見を書き込んでもいいかなとも思っています。

大事なのは私のような意見もあるし、それに反対する意見もあるのでそれを読んでなんと思うか?ということでしょうか?別に否定されても頭にはきませんし、他人の責任にしている人に迎合する気もありませんが・・・・

しかし皆さん理屈を言う前に自分が動けないものですかね?素朴な疑問として・・・

他人のせいにしていても何も変わらない。政治について語るのはいいのですが、工作員だとか、チームセコウだとか、わけのわからないことを言っている人たち。

またさまざまな人格を使い分け、人をおちょくっている人たち。まったく解りません。まず、人のせいにする前に、自分の足元を見直し、反省し、改善し、前に進もうとしないのでしょう。世の中に完璧な人間はいません。無論私もです。

でも今の自分の境遇はそのほとんどが自己の歩んできた結果によるものです。当たり前です。ですから自分の境遇が悪ければそれの原因は何かもう一度自分を見直し、そしてその悪い点を今からでも改善すればいいのです。なぜそれができないのか?

たとえばニートやフリーターの問題でもそうです。本来こんな生き方は許されないしできなかった。働かないものは「ぷータロー」といわれさげすみの対象であったのえす。だから寅さんが受けたのです。日本の社会に働かない人間を雇っている余裕などなかった。だから皆必死に働いていたのではないでしょうか?

なのに今はそれが許される。これは朝のニュースで鳥越さんも言っていましたが「社会全体が豊になっているから」許されること。もっと言えばそのニートやフリーターの両親がいて許されることでしょう。しかし本来許されない。自分に合った仕事がないなどと甘えたことを言っている場合でない。「合っていようが合っていまいが仕事には真剣に打ち込まなければならない。」のである。

そのなかで苦しみ、努力し、そしてあがくことによって、自分にあった職業を見つけることができるのです。自分が「やりたい仕事」と「あっている仕事」と「やれる仕事」はまったく違うのです。自分が思いもよらない仕事が合っていたりするのです。

そして仕事とは「合っている仕事」であってもつらいものです。世の中そんなに甘いものではありません。それに耐えられないのであれば、どのような境遇に落ちようとも誰かが助ける筋合いではないでしょう?そんな甘えた人間を社会全体で「飼う」必要はないと思うのですが?なら年収100万円台~300万円でも仕方ないでしょう?努力と能力が足りないのですから。

つまるところ、何度も言っていますが、「自分で努力しなさい。」ということです。昔は当たり前だったんですがね?なにか間違ってませんか?

ライブドアの上場廃止。

2006-04-15 12:41:16 | Weblog
みなさん。九州の出張から帰ってきました。疲れました。さてひさびさの更新なのでなにを書こうかと思ったのですが、ライブドアの上場廃止について書こうと思います。実はライブドアショックのあと、買いました。50万ほど。当時底値でしたので、昨日売れば終値で100万位にはなったでしょうか?しかし売りませんでした。どうせ50万位なのでこのままにしておくことにしました。もし有線との提携がうまくいったら化けるかもしれませんし、ライブドアにはまだ興味があるのでこのまま持っておこうかと思うのです。

来週には小嶋社長の逮捕?があったり、皆が忘れていたことが思い出される週になるのでしょう。その上で、あえてもう一度ホリエモンの功罪について述べてみたいと思います。以前書き込んだような内容で手抜きですが、読んでやってください。

★ 私はライブドアのやり方をいいとは思っていない。「儲けにつながるならばやる」という発想だけでは企業は危うくなる。 堀江社長の言動に、そういうニュアンスを感じることは、しばしばある。(そんなことを言いながら、 私のブログはライブドアのですが…。)

また、ライブドア事件を受けて、「倫理観なき自由経済は破滅に向かう」と、御手洗次期経団連会長が言ったそうだが、確かにその通りだと思う。 ただし、である。 どんな結末を迎えるにしろ、ライブドアが提起し挑戦してきたものまでが否定されるものではないと、私は考えている。

ライブドアが提起したもの、それは所与のものとされてきた従来のやり方や発想に対する、「新たなやり方・発想」である。

昨年、ある議員研修会でライブドアの副社長の話を聞くことができた。この副社長は大学卒業後、某一流企業で働いていたが、そこをやめ、ライブドアに転職したという。

理由は、その会社のやっていることが魅力的に感じられなかったこと。上下関係も含めて、である。 対するライブドアは、自分の能力をややる気を正当に評価してもらえそうな魅力を持っていた、ということであった。

ちなみにこの人は、副社長といっても私より年齢が若い。確かまだ20代の後半である。 現在の若者の多くが仕事に求めているのは、決して「お金」だけではない。お金は尊いものだが、仕事には「やりがい」や「社会への貢献」を求めている。

ある統計でこのような結果が出ているそうだ。 ライブドアは若者に圧倒的に人気が高い。なぜ若者が支持するのか。 同じ若い世代が直面している古いもの、それも理不尽なものに対し、果敢に挑戦する姿勢が見えるからではないだろうか。

  ★  ★  ★ 重ねて言うが、犯罪は決して許されないことだから、犯罪行為があったとしたら、ライブドアはそれに見合った処罰を受けるべきだ。 これまでライブドアが、企業倫理をしっかり持っていたのかどうかも疑わしい。

しかし、今回の騒動において、ライブドアの提示した新しい手法の中のうち、良質な部分までを否定するのは、本質を見誤ることとなるのではないかと思う。 私自身、日本社会の閉鎖性を、まだまだ感じることがある。

能力があり、意欲のある者が、企業や様々な組織を通じて活躍できる、そんな魅力のある社会には、いまだ到達していないのではないか。 ライブドアによる手法が若者から魅力的に映ったのは、お金儲けに走っている姿ではなく、この点だったのではないかと思っている。

これは小泉首相の高い支持にも通じるものがある。総合評価としては至らない内閣であっても、これまで誰もできなかった古い政治の手法に、郵政という切り口から切込みを入れた。

構造改革期とは、もろもろの事情から、これまで先送りされてきた課題の解決に向けて努力する機会である、と言い換えることもできる。 こんな時代だからこそライブドアのような企業が飛び出してきたのかもしれない。

  ★  ★  ★ それにしても多くの報道機関、テレビ・新聞・雑誌の報道はひどい。 180度の豹変振りは目に余る。 現在は、警察・検察の捜査段階であるのに断定的に報道しているような印象がある。

各メディアは、ライブドアに社会的制裁を加える資格を持ち合わせているのだろうか。 それぞれの報道主体が、これまでどのようにライブドアを報道してきたのか、という視点に一度立つべきだろう。これ無しに一方的な報道をすることは、ライブドアのため、というよりも社会のためにならない。 あまりに感情的な観点からの報道が多すぎるという印象を受ける。これでは本質が見えなくなってしまうと危惧している。

挫折

2006-04-12 12:55:33 | Weblog
以前からも何度かコメントで聞かれたのですが、今回も下記のようなコメントをいただきました。「ナツノオトシゴ」さんからのコメントです。

まず、素朴な質問です。
若手経営者さんは、大切なモノを失ったり、必死にあがいて挫折したことってありますか?
厚かましいことかもしれませんが、お答えいただけたなら、私自身も、この質問に答えますので、是非にもご回答お願いいたします。

私はどちらかというと挫折の多い人間でした。たわいもないことから言えば大学受験に失敗したところから始まり、社会人になるときにも第一希望、第二希望には受からず、まあ何とか受かったところに入ったのです。また同期の中でも最初は出遅れたほうでした。まあ子供のときもどちらかといったら威張られるほうでしたかね?

何よりの挫折、そして大切なものを失ったのは、過去の記事でも書きましたが、父親のことでしょうか?今の私の会社とはまったく別の会社を父親は経営していました。しかし経営がうまく言っているわけでもなく、もともと公務員であった父はけして商売上手ではありませんでした。ですから大学のころにバブルがはじけたときは自分で学費も稼ぎました。

その記事を再度掲載します。

サラリーマンの時代もいろいろストレスはありましたが、比べ物にならない緊張感とストレスです。自分はO型な性もありますが、めったに翌日までストレスを持ち越さないのですけど何日か持ち越すこともあって大変でした。

でも会社を興した年が一番大変で、何が大変かというと、起業の苦しみはもちろんのことそれ以外に父親が癌で余命4ヶ月と宣告され、親父のやっていたまったく別の会社の清算作業、親人の医療費や母親の生活費の面倒、家族のケアと、本当にまさに地獄のような日でした。今振り返るとよく持ったものだと思うのです。

なにが大変だったこと言うと、お金の心配もそうだし、起業などしてしまい明日の保証がない中での親父の莫大な医療費もそうだったし、親父が事業をやっていたことによる借金の肩代わりもそうだし、といろいろありましたが、何よりつらかったのは、親父の作った会社を息子の私が整理するということでした。

私が学生のとき、世はバブルの真っ盛り、親父が公務員から独立起業したのもそのころでした。そのころ私は手伝いと称してバイトを親父のところでして、小遣いをもらっていたものでです。仕事が遅くなると二人で終電車に乗りながら、大きなビルを見ては「あれくらいのビルをたてたいなあ。がんばるぞ!」といっていた姿を思い出しました。

しかし景気のよい時代は続かず、バブルは崩壊し、類にも漏れず親父の会社も経営は苦しくなり、私も自分の大学の学費をアルバイトで稼いでいたし、母親も朝5時におきてパートに行っていました。

その後親父はいろいろがんばってやっといろいろ新しい顧客をみつけ、何とか経営が再度安定し始めた矢先のことでした。親父が夢を掛け、人生を掛けた会社を、その夢を一番そばで見ていた私が、親父の会社を買いたいするのです。お金がないので事務所の電気を最低減しかつけず、薄暗い中で夕日を受けながら事務所の整理をしているとき、零れ落ちそうな涙をこらえ、親父がなくなってしまう日まで消してなかないと誓った日のことは、一生忘れないでしょう。親父が膵臓癌で余命4ヶ月といわれた時のこと。後日親父に告知したときの親父の顔は忘れられないし、なくなった日の夜のことは私の人生観に大きな影響を及ぼしたのです。

いつか、今の会社が上場でき、経営に余裕が出てきたら、次は親父の会社を復活させてあげたい。それがささやかな夢なのです。


人間大変最中では解りませんが、今思うとよくがんばれたものだと思います。本当に逃げ出したかった。でも逃げないことによって何が得られるか?何をがんばれがいいのか?を身にしみて最後に父親に教えてもらった気がします。そして会社をやるということは、失敗するとこうなるんだよ。ということを教えてもらったと思い、今では感謝しています。

だから何度でも言いたい、政府や小泉を批判するなとはもう言いませんが、あなたは批判するに足りるだけの努力をしていますか?本当に本当に、自分が逃げた結果を人のせいにしているだけではありませんか?何かをなすときに、諦めないでやり抜いていますか?

これはけしてきれいごとではありません。成功者は皆知っていることです。




怯えている犬?

2006-04-11 16:56:10 | Weblog

昨日、以前の記事へのコメントでこんなものをもらいました。

 記事へのリンク

 

□コメント:よい経営者になるには?
という疑問に答えてくれるのかと思ったら、甘ったれた若者へ怒っているだけにしか聞こえない、ところが逆に良い刺激になりました

怯えてる犬。そんな感じがしました。

なるほど。自分をそのような見方をしたことはありませんでしたが、考えてみると私も怯えているのかもしれません。

毎日毎日プレッシャーと戦い、いい車に乗ってもいいものを食べても、バブリーな遊びをしても消して満たされた感じがしないのは、常に怯えているからかも知れません。

そりゃあ怖いですよ。わたしが一人でやっているとは言いませんが、50名以上いる社員の家族まで考えると50×4で考えても、ざっと200人の人間の生活に大きくかかわっているわけです。

思い返せば、サラリーマンから独立したとき、果たして仕事が来るのか?食べていけるのか?家族を養っていけるのか?という不安と戦って、それに怯えていたころなどまだかわいいもので、今の現状を見ると、たとえどんなに業績がよくても、会社にお金が残っていてもまったく安心できないのです。

ですが自分で選んだ道ですし、自分についてきてくれた人たちです。世の中では変わり者といわれる人が多いですが、みなが個性的で、私のことをよく理解してくれています。そりゃあ中には理解できない人もいます。でもそのような方はやめて行きますし、止める気もありません。

だからこそ彼らを人より豊にしてあげたいし、それぞれの楽しみもあげたい。家の社員はひどい目にあっているような印象を受けている方もいるようですが、当社は残業はほとんどしません。ノルマは自己申告でそれに応じて年に一度年俸改定として契約交渉を私とするわけで、自分で決めたノルマと、他の部署との兼ね合いを見て年俸額が増減するわけです。言ってみれば野球の契約更改のような制度です。ですから働きようは選べますが、当社には「稼ぎたい」「負けたくない」という人の集まりですのでいい給料形態でしょう。

そして社員にはそれ以外に業績に応じた報奨金を支給します。ノルマをきっちりこなすと年俸以外にも500万くらいは軽く稼げる仕組みですので、やりがいはあるようで、休日に出る人間は自己の判断で出ています。ノルマができないからといって叱責されることもありません。すべては「自己責任」です。

しかし今の若者はこれに耐えられる人が減っています。割合でいって10%くらいでしょうか?しかしこの10%の人々は間違いなく「自己実現」のできる人たちであると思います。だからがんばってほしいと思うだけなのです。

ですから確かに「怯えて」います。彼らにうそを付きたくない。責任を果たさねばならない。そう思っています。


何のために働くのか?

2006-04-08 12:55:07 | Weblog
ふとしたことがあって、自分は何のために働いているのか?と考え始めました。こんなことを考え始めると、普段は「自己実現のため」とか「これからの世の中で負け組みに入らないため」などといろいろな考えが頭をよぎります。


しかしよく考えてみました。「お金のため?」「名誉のため?」それもあるのですが・・・それだけでしょうか?それだけではないような気がしました。

「遊びたいから?」「もてたいから?」それもあります。「いい車に乗りたいから?」「いい家に住みたいから?」それもあります。

でもなんか違う気もするんですよ。それでね。よく考えてみたらね。やっぱり自分の欲望なんて限度のあるもので、結局人のために何かをしたいんだな。と思ったわけです。

ただ人のためにといっても、万人を助けることを賛成するほどの偽善者でもないですし、いぜん言ったようにホームレスやニートのような働く意欲のない人、人に助けてもらうのを待っているような人間を救うのは反対ですし、世の中のためにボランティアをやるということでもありません。

この厳しい世の中で、自分の家族と自分の身、自分を頼ってくれる人を守るために働いている。と考えたときに、気持ちが軽くなりました。なるほど。だからこのものすごいプレッシャーの中で耐えていけるのだと思ったのです。

みなが幸せになれるのならばそれが一番でしょうが、それは無理でしょう。だから私は自分の周りだけは守って生きたいと思います。そのためには非情にもならないといけないと思いますが、勝負に負けるわけには行きません。

だからがんばります。その結果として、いい車やいい家やおいしいものが食べられれば言うことないですね。

勝ち組負け組みとは?

2006-04-05 22:43:50 | Weblog
昨日の記事に「勝ち組と負け組みとは?」とのコメントをいただきました。まずご紹介します。


私の価値観 (ナツノオトシゴ) 2006-04-05 14:16:25

私は、「勝ち組」だとか「成功者」といった存在、むしろ、その言葉そのものに疑問を抱くのです。
私は、森永卓郎さんを敬愛していますが、三浦展さんの著書「下流社会」によれば、森永さんの「年収300万円でも楽しく暮らす」といった考え方は、意欲の点では、下流だそうです。
たしかに、ヒルズ族のようにおカネがあれば、何でも買えるでしょう。
しかし、おカネは幸せになるための道具だと私は信じて疑いません。
無論、やるべきことを果たさないのは論外です。しかし、やるべきことをキチンとこなし、また、自分を伸ばし、とした上で、私は、「足るを知れ」と言いたいのです。たしかに、私たちは
The more we have, the more we want.
というように、手に入れれば、さらに欲しくなるでしょうが、お金は、使って、欲しいものを手に入れて、初めて本当の価値を見いだすのだと思います。私はオタクです。実際、DVDだとかグッズだとかをたくさん買います。たしかに、おカネは欲しい。しかし、私は、おカネを使う人間であって、おカネに使われている人間ではないと思っている。
だからこそ、私は、本当の「勝ち組」だとか「成功者」というものは「おカネの魔力に打ち勝つことに成功した人たち」だと思っています。




この方はモリタクさんのブログで意見を交換した方ですが、とても将来に希望のもてるかたです。確かに、この方が言うように「勝ち組」とはお金を持っていることだけではないでしょう。

私は常々このブログを通じて主張しているのは、「がんばる」ということを忘れないでいきましょう。ということを言っています。

今の日本は大きく2つの間違いがあると思います。間違いの1つは、ホリエモンに代表される拝金主義の考え方です。もっと言うと拝金主義がいけないとは言いませんが、お金は額に汗して稼ぎなさいということです。

あぶく銭やマネーゲームをして稼いだお金は本当の勝ち組ではないと思います。経営をするというのは本当に大変なことです。遊び半分やゲーム感覚でできることではありません。ものすごいプレッシャーと責任感と危機感におしつぶされる感じが24時間続くのです。並みの神経でできることではありません。

ですから以前、木村さんのブログにも書いてありましたが、一度経営者をやってもらいたいくらいのことなのです。まあその道を選んだのは自分ですが・・・・・

つまりみんな「がんばって」いないと思うのです。

そして2つめの間違いは、「自分は弱いのだから誰かが助けてくれるに違いない。助けてくれないのはけしからん。」

という考え方です。自分は能力がないのだから、機会がないのだから、才能がないのだから・・・・・ ~がないから仕方ない。だから自分が持っていないものをもっているから成功した人間は成功しない人間を助けるべきだ。という考え方が横行し始めています。

あげくの果てに、自分を鍛えるのではなく、小泉が悪いとか政府が悪いとか・・・・

情けないとは思いませんか?人のせいにするのではなく。なぜ人より少しがんばろうと思わないのか?

前にも書きましたが、あなたは本当に努力していますか?五寸釘を背中に指される
痛みに耐えてがんばれますか?がんばるとは1日や2日のことではありません。昔から言うように「石の上にも三年」です。死ぬ気でなんでも三年やれば必ずトップになれます。保障します。死ぬ気でやるのです。

これができない人間が、人や政府のせいにしても認められないのは当たり前です。なぜこんな簡単なことがわからないのでしょうか?


そしてこのコメントをいただいた、ナツノオトシゴさんは私の価値観と同じだと思うのです。私は自分でできるだけの努力をして自分の納得のいくいき方をしてきただけです。そしてそれが結果として今の状況にあるだけです。私の思う勝ち組とはこのように自分で努力した結果でなるものだと思うし、努力をしないで人に助けてもらうことばかり考えている人こそが「負け組」だと思うのです。みなさんいかがでしょうか?

若者へ

2006-04-04 22:58:12 | Weblog
今日も新人に「どうしたら成功者になれるのですか?」と聞かれました。答えなどはありませんが、若者に話した内容をご紹介します。

この国は「ハングリーさ」がなくなってはいませんか?中国も韓国も若者は将来の自分のために、今の遊びを我慢してがんばっています。アメリカの学生も遊ぶ暇などないくらい勉学におわれています。学生に限らず今の苦しさを明日を信じる糧にできない人間が増えているのです。

甘える前にもう一度自分は本当に力の限りがんばったか考えてみてください。

自民党がどうとか、小泉がどうとか、人や社会のせいにしても何もなりません。

そんな暇があったら自己を高めるために、方法は人ぞれぞれでしょうが、本を読んだり、今の仕事をがんばったり、何でもできるはずです。

私が言いたいのは何かのせいにして中流を維持する時代ではなくなった。ということを言いたいのです。

人は生まれ持った能力や環境が違う以上、差があるのは仕方ないです。しかし資本主義の精神のみに頼るとあまりにも格差ができ、きついので考えられたのが修正資本主義です。

修正資本主義では再低減のセーフティーネットを張りましょう。ということです。

しかしこれ以上のことは自分で努力してみてください。ということです。

もはや総中流社会は終わった以上、あとはどれだけがんばるか?でしょう。

がんばるか?ということは以前イチローの件で書いているように生半可ながんばりのことを言っているのではありません。

厳しいことを言うようですが、どれだけがんばるか?が大事で、がんばるとはそれこそ人並みの楽しみをあきらめる潔さから始まるものです。

人並みの楽しみを享受するということは人並みの人生以下になっても恨み言は言わないという、自己の選択です。

経営者批判をする人は、どれほどの苦労をして会社を興し、経営しているかを理解しているのでしょうか?理解できないと思うのですが、365日社員を養う義務感と、いつうまくいかなくなるかという不安と戦い、人並みに休日などとれず、ひたすらに仕事に打ち込むのが経営者です。

まさかこのような努力もしないまま、やれ政府が悪い、小泉が悪いと批判しているのではないですか?

誰が政権をとっても日本が民主主義で資本主義である以上、結果は同じです。

それを人のせいにしている人は消して成功しません。

一生人をうらやみ、ねたみ、政府の文句を言って下流社会に死んでいくのです。

努力をするというのは生半可なものではありません。人間らしいとか平等だとか言い訳に逃げているとどんどんおいていかれます。

死ぬ気で努力してみてはいかがですか?

自分が甘えているかは自分が一番しっているはずです。

みなさん簡単に個人の努力の限界と言いますが、本当に限界まで努力しましたか?

限界までの努力とは、何度も言うように、人並みの遊びや余暇などはあきらめ、仕事なり勉強なりをすることです。

たとえば受験生が受験しない高校生のように毎日遊んでいていわゆる一流の大学に入れるでしょうか?

中には生まれつき頭がよくて勉強をぜんぜんしなくても入れる人もいるでしょう。

しかし大部分が同級生が遊んでいる時間を我慢して勉強をしたから合格するのです。

事実私の出たW大の同級生は、中学時代から人の倍以上勉強したものばかりです。

自分は勉強しないで遊んでいて、大学に合格しなかったら「大学が悪い」「あそこの祭典はまちがっている」「学長が悪い」といったところで誰が相手にすると思うのですか?

それと同じことです。格差社会を嘆くあなたは、本当に人一倍努力しましたか?

誰かに助けてもらおうという時代は終わりです。自助努力でも自己責任でもなく、自分のやったことは自分にかえってくるという当たり前の世の中になるだけのことです。

なんども言いますが報われる努力が生半可なものであるはずがありません。それ相応の対価が必要なのです。なのにそれを与えろ!と騒ぐのは、合格しない受験生が、大学に落ちたのを大学のせいにしているのとなんら変わらないのです。

がんばれなければ地獄に落ちるしかない。

これ当たり前です。

入社式

2006-04-03 14:57:48 | Weblog
今日は当社も入社式でした。当社も総勢8名の新入社員が入社しました。大卒、専門卒、短大卒、転職組・・・・・

さまざまな人たちがわが社に入社してくれました。これからどのようなはなを咲かしてくれるのか、大変楽しみです。

その反面、これだけ増えた社員たちを食べさせていかなければならないのだなあ、と感慨深くかつ責任の重さを感じました。

思い返せば自分が社会人になったのは13年前、大変厳しい会社であったことはいぜんにも述べたと思いますが、不安と期待が交錯する中、一生懸命でしかなかったころを思い出します。

たしか自分の入社の面接のとき、「あなたの夢は何ですか?」と聞かれ「御社の要職につき、ビルの一番上からワインを飲みながら町並みを見下ろしたいです。」といったのを思い出します。

われながら若気の至りともいえ、恥ずかしいことを言ったものだと思います。

しかし新人たちの笑顔を見て、彼らにお祝いの言葉を述べていると、自分にも力がわいてくるのを感じます。今日は特に、新人たちに話したつもりで自分に話していたのかも知れません。

「もし仕事をしていて、自分の中で「今日やったほうがいいかなー?」と思うことがあったら、何時でも、どこでもできる限りそれをやってください。それはほとんど今やったほうがいいことなのです。今やると不思議にいい結果が待っているものです。それを「明日やればいいや」と思ってしますとそこまでで、その小さな積み重ねが10年たつと大きな格差になるものです。」

といいました。千里の道も一歩から、改めて自分にも気持ちを正される日でした。

経営者側からみた正社員と非正社員

2006-04-01 00:46:10 | Weblog
最近は正社員と非正社員の格差が問題視されています。確かにさまざまさな部分において正社員と非正社員の格差は開くばかりです。

ここで経営者としてのこの格差についてのべてみたいと思います。「雇う側」としては正直、どれだけ少ない人数で大きな成果を挙げるか?を考えます。つまり一人当たりの生産性を重視するのです。これを判断するのが売り上げの一人当たり金額と、利益の一人当たり金額です。

一般に建設業界では売り上げパーヘッド(PH)で1億円、経常利益で700万円を得られれば、まあ健全な会社だといえます。というか優秀な会社ですね。

これを達成するためにどうするか?まず一番いいのは「少数精鋭」による経営です。これは3人~せいぜい10人くらいの優秀な人材、つまりその気になれば会社の1つくらい経営できるクラスの人間が集まって何か事業をやるということです。すると非常に優秀な成績が残せます。

このタイプの経営のいいところは、全員が優秀なため、会社に必要な内部留保を残しても、みなが納得できるだけの配分ができることです。しかし、このタイプの経営の最大の欠点はなかなかそれだけ優秀な人間ばかり集めることは難しい。ということです。だから何人かの優秀な人間が集まって前の会社を辞めて新会社を設立する場合などしかありえないタイプなのです。

ちなみにわが社はこのタイプからスタートしました。

さてもう少し会社が大きくなって30人規模になってきます。そうすると凡人という感じの人間も雇わないと会社が回らなくなってしまうので、雇い始めます。じかしコノ次期はまだまだ優秀な「少数精鋭」の考え方が強いため、凡人レベルでは会社の中にいずらい感じなので社員の定着率はあまりよくありません。しかしその中でも5人に一人のわりあいで「将来の」幹部候補になりうる人材の取得が可能になってきます。つまり雇う側からすると、すでにコノ段階ですら社員の採用に対する成功率は20%になってしまうのです。

まあコノタイプの会社でも、まだ社内の役割分担は明確になっているし、ついてこれない人間は勝手に会社を辞めていくのでさほど問題ではありません。

次に、この幹部候補が育ってくるころには業績が急上昇してきます。そうなるともう優秀だとか、優秀ではないとかいってられません。なのでとりあえず足りない人間をバンバン採用します。これが50人から70人くらいの会社です。

しかしこバンバン採用というのが曲者で、90%位の方が仕事ができなかったり、1日でやめていってしまう人などなのです。

まあ1日でやめてくれる人はいいのですが、問題なのはなかなかやめてくれないのに働かない人です。日本の雇用に関する各種法律は、いったん正社員として雇用すると、なかなか辞めさせられないようになっています。みなさんは正社員が社員として会社に在籍する間にどれくらいのコストがかかっているかご存知でしょうか?

前にも書いたかもしれませんが、月給ベースで考えるとだいたい40万額面給料までは、皆さんにお支払いする給料と同額の在籍コストが、かかっています。

在籍コストとは社会保険・雇用保険はもちろんのこと、水道光熱費、あなたの机が置いてある部分に相当する家賃、交通費、福利厚生費、あなたが使う営業車の経費、事務用品経費・・・・・などすべてを含んだ考え方です。

いい例が保健の外交員です。かれらは「個人事業主」扱いですので、靴や、床屋の費用が経費として認められ所得から控除できる代わりに、会社に対し、コピー代一枚分までも清算して活動しています。

まあ上記のように座っていて何もしないだけでもお金がかかるのが社員ですから、経営者としてはなるべく「使える」人を雇いたいとなるわけです。

さて「使える人」をどのようにして選ぶか?なのですが大きく分けて2つの方法で考えます。

1、学歴
まあいまさら東大でた人間が優秀であるときめつけるほど馬鹿ではありませんが、何もわからない赤の他人である就職希望者を判断する材料として「大学でてんだから、出てないよりましだろう。」という仮説に基づいて採用するわけです。
しかし、この方法だけで採用していると新入社員が非常に偏るわけです。なので面接もやってみて、学歴がなくても面白さを感じたやつなんかは採用したり模します。

2、やらせてみる
さて学歴を無視して、たとえば中途採用のように、キャリアを重視して採用する場合もあります。その場合が「やらせてみる」です。つまり仕事をやらせてみて、自分が言っているように優秀だったら「本採用」するわけです。しかし先に述べたように日本の法律では一度雇ってしまうと、これ解雇するのが非常に厄介なので、こまる。ここで重宝するのが「パート」や「派遣」といった雇用形態なのです。

やらせてみて優秀であれば正社員にするのは当然ですし、正社員より優秀なら当然入れ替えも視野に入れます。

つまり、冷たい言い方ですが、「派遣」や「パート」で雇用調整の際に首を切られるのは、会社にとって「その程度の評価でしかない。」ということなのです。よく考えてみれば、本当に優秀な人間を切ることはしません。だめだからきるのです。


まあ今述べたような理由で非正社員が増え、だから非正社員の給料は、当然、正社員より安くなるのです。正社員のすべてが優秀だとは言いません。せいぜい上記の方法のうち、1、の学歴で採用した人間が使える確立は10人に1人、10%いればいいほうです。しかし2、で採用した人は、まあ働きぶりを見て採用するのだから当たり前ですが、正社員にしてもざっと60%はそれまで以上の活躍をしてくれます。

だから当然経営者は2、の方法で優秀な社員を集めようとするのです。


サラリーマンは気楽な家業であったのははるか昔の出来事です。いままではぐうたら社員を雇っているのも社会貢献であったかもしれませんが、これからはそうではないと思います。優秀な人間は優秀だし、そうでないものそそうでないのです。これは紛れもない事実です。

そして人間が生まれや環境、DNA、のすべてが平等でない以上、能力に差が出るのは仕方ないことです。だから、能力がない人は人一倍努力が必要なのです。

頭に自信がある人間は作戦をたてて動け。頭に自信がない人間はとにかく靴がなくなるまで動き回れ。どちらの道を選んでもいい。しかし何もしなければけして結果はついてこない。資格を取るでもいい。一軒でも多く顧客を訪問するのでもいい。ほんの1杯のビールを我慢して、ほんの少し友人や彼女、彼氏と遊びにいくのをひとより我慢して、海外旅行に行くのを1回我慢して、他人より動き、頭を鍛える。コノ積み重ねがそのうちに大きくなり、それが最終的には「格差」という言葉で表せられると思うのです。