キャッツアイ

頭の体操!日々衰えていく足腰、ボケ防止に。
猫のこと、気になったこといろいろ書いていこうと思います。

1歳8か月で保育所に

2022-06-26 20:00:59 | 日記

 これは運動会の時確か2歳前後かな?

1986年4月、1歳8か月で保育所に入所できました。
まだよちよち歩きですが、不安と期待が入り混じった一歩でした。
お便りノートを読み返して見ると、いろいろ大変だったけど懐かしさでいっぱいです。

最初は泣いてばかりいた娘でしたが、徐々に慣れてきたようです。

食事はスプーンよりも手づかみで食べる方が多く、左手は使わず食器を体で(胸)で押さえながらでした。保育所でも左手でカップをささえることを指導してくださいました。持たせると始めは持とうとしませんでしたが、少しの間、持つようになってきました。

時間はかかりましたが食器をもって食べれるようになりスプーンの運びも上手くなっていきました。
好き嫌いはほとんど無く、食べるのに意欲的ですが、かまずに飲み込むので。「アムアム」と言ってかむよう言葉がけをしていました。結構遅くまで(小学生なっても)噛まずに飲み込でいました。

保母(今は保育士)さんのお便りより、
お友達の顔をさわったり、笑ったりと関心を示すようになりました。自分から遊びの輪の中に入っていくようにもなり、お友達がジャンバーを脱げなくて困って泣いているとそばに行き「アーアー」と大きな声で手伝おうとしていました。

家では保育所での出来事を「アーアー」と大きな声で首を傾げたり手振りしながら言ってますが、何言ってるか分かりませ~ん(笑)、でもこれでいいんです、しっかり成長しているんです♪

衣服の着脱は出来るだけ簡単に脱ぎ着出来るような洋服を選びました。これからはボタンやファスナーの洋服も着ることがあるので、家でフエルトの生地にボタンホールやファスナーを作り練習もしていました。
親指の使い方が上手くできなくて中々ボタンがはまらなく、一人でできるようになるまで時間はかかりました。

あと舌の使い方が上手くないので、小さいころから私が、寝る前、絵本の読み聞かせの後、布団の中で「あ~あーいーうーえーおー」と大きな口をあけて娘に聞かせていました。娘が私の顔を見て出来るようになるまで続けていました。は行と、ラ行は時間がかかりました。
それでリズムをつけて、わっはっは♪、馬さんひひ~ん、ラッパッパーとか言ってました。

こんなことがありました。お友達の名前ヒーちゃんをじーちゃんと言ってひーちゃん怒ってないたそうです。

2歳過ぎると保育所も慣れてきたようで行動範囲も広がり、滑り台は自分から行って一人で滑れるようになりましたよと教えてくれました。

おむつが取れたのは2歳ころです。早い段階(お座り出来るようになって)からおまるで練習させていました。

他の子と比べるとまだまだですが、一つ何か出来るとそれは何倍もの喜びとなって返ってきます。
そしてそのたびに娘をぎゅっと抱きしめていました。

保育所のお便りを見ながら、忘れかけていた記憶を取り戻そうと、必死です。
頭の整理が中々つかない、あれこれと次から次といろんなことがよみがえってきて・・・。
とりとめのない、つたない文章申し訳ないです。

追 また誤字みつかりました(>_<)


娘(ダウン症)が生まれてから歩けるようになるまで

2022-06-22 11:58:20 | 日記

今回はもう少し詳しく書いていきます。
生まれてから歩けるようになるまでの事を思い出しながら(何せ物忘れが・・(-_-;))書いてみたいと思います。

出産祝いに来て下さった方で,娘の手にちょこんと触りました、すると「あれ?」反応がないねと一言、私はドキッとしました。普通赤ちゃんは手のひら触るとぎゅっと握ると言われました。その時はまだ病院での染色体異常の診断がついていなかったので、何も言えませんでした。悪気は無いことも分かっていました、帰ったあと、悲しい気持ちになりました。


そんな中でもこの子を育てなければと言う気持ちの方が大きくて保健師さんに相談しながら出来ることは何でもしようと考えました、もちろん主人と一緒にこれからの人生の大半はこの子にささげようと決めました。

決まったら実行あるのみです。めそめそしている暇はありません。
天気のいい日は近所の公園に行き日光浴、家ではマッサージ。
目の焦点が合わないので、じっとこちらを見るように目を近づけていて段々顔が近づきすぎておでこがゴツン♪ようやく私を見た時は嬉しくて抱きしめていました。
母乳もすいつきが悪く疲れてしまってすぐ寝てしまい、ミルクも吸いつけないようで穴を大きく開け飲みやすくしてみたりとしてみましたが体重が増えまんせん。


保健師さんが離乳食を早めた方がいいですねとアドバイスをくださり、野菜を(白菜・キャベツ・シイタケ等)じっくり煮て上澄みをスプーンでひとくち、だしなど入れず野菜だけのうまみでとっても美味しいです。野菜のスープは嫌がらずに飲みました。それから少しづつ野菜の軟らかくなったものも少しずつ食べれるようになりました。スープは野菜だけの物から、昆布、鳥の胸肉、白身魚等も加え栄養価も考えるようになってきました。するとみるみる太ってきました。

この笑顔がたまりません♪

体重が増えると後は筋力を上げることです。ダウンの特徴は筋力が弱いので、少しでも筋力をつけて健康になってほしいとの願いもありました。このころは心雑音があるとのことで定期的に病院に通ってました。

まず首座りに挑戦、首をしっかり手で固定して、目が合うまで向き合って抱いて、首を支えている手を少し緩めたり固定したりと繰り返して首のチカラをつけていました。お蔭で首すわりは3か月と20日目に手で支えなくてもぐらぐらしなくなりました。保健師さんからは首座りましたねと言われました。

次に寝返りですが、ごろ~ん、ごろ~んと手でゆっくり転がして遊びながら身体に覚えさせました。
ごろ~んが楽しいみたいで自分でお腹に力を入れて寝返りをするように頑張る時もありました、うまくできないときは悔しいのか泣いていました。
6・7ヵ月頃には寝返り出来ていました。

 

母子手帳より
保健師さんが母子手帳の予備欄に書いてくれた事。


7ヵ月の検診、
うつぶせと寝返りを沢山してください。
今、行なっている体操を続けてください。

9か月の検診、
「うつ伏せ、支え立ち」続けて時間を作り 1日2-3回はすること
特にうつ伏せは長くすること。
声をかけてあげること。ゴックンなど、一緒に遊びをしてください。
とてもよく発達してきています。

14か月の検診
四つん這い続けましょう。

1歳4か月検診
運動発達しています。自信をもって育ててください。

1歳6ヵ月検診
自分でやろうとすることはどんどんさせましょう。

1歳10か月検診
今回で運動は終了 何か心配があれば連絡ください。


歩けるようになったのは、1歳6ヵ月です、歩けるようになったと言ってもよたよたですが、ここまで来たら焦らずゆっくり成長していって欲しいと願っていました。

保健師さんには感謝しかありません。本当にありがとうございました。

 ちょっと大人びた格好してみました♪

このころは嫌なものは嫌と少し反抗的になってきました。自己主張が出てきたかな?

 

ブログ記事アップした後読んでみると必ず誤字脱字書き間違えが増えてきました。シュウン。

いつものことですが、と言い訳しつつ初めのころの文章も・・。

読みにくいことご了承くださいませ。

 

 


久しぶりの猫たち登場

2022-06-20 14:19:57 | 日記

いつものように窓辺はトムが占領。

 一緒にくつろいでます、最近よく見かけます。

以前はトムが嫌がって離れていました。

 この日は少し寒かったです。くっついて寝てました。

 5月の連休にウポポイ(民族共生象徴空間)に行ってきました。

事前に調べて予約して行ったのでスムーズには入れました。

空を見上げるとなんと珍しい雲が、暫く見上げてたら首が痛くなりました。写真に撮ると迫力無いですが、壮大な空の景色に圧倒されました。

中々うまく撮れないですね。

毎朝食後のコーヒーは娘が入れてくれます。一気に入れるので、、最初の入り口少しゆっくりと蒸らして欲しいのですが、、。

まあそこは我慢(笑) 3時のコーヒーは私が入れてます。


三つ子の魂百まで

2022-06-17 16:40:27 | 日記


出産時 体重2872g 身長 50㎝
その後体重が減少、哺乳力が弱く、少し飲んでは寝てしまい、ほっぺをたたいたりして起こしてもすぐ寝てしまい、哺乳瓶の穴を大きくしたりしていろいろ工夫していました。この時は生かせなければと必死でした。心拍数が少ない、心雑音など、心臓の検査もすることになりました。
主人の両親に娘の障害の事伝えるとあなた一人で背負わないでいいんだよ大丈夫と、涙が止まりませんでした。すると義母は泣くのは今日まで、子供の前では涙は見せないこと、今日はいっぱい泣きなさいといってくれました。義父も俺も協力するからと言ってくれました。
その時、この子は我が家を選んで生まれてきたんだと、心の中で思いました。

2週間目に地元の保健師さんがいらして下さり、体重、身長等計ってくださいました、
その中でダウン症のこと発達のこと訊いてみました。
すると、「生まれてきたときはみんな100です」と言った言葉に、明るい兆しが広がり、と言うことは、発達を遅らせなければいいんだと、まあ今思えば凄い発想ですよね。もちろんそれを実行しまた。
3~4か月→首すわり あやすと笑いますか→4か月 見えない方向から声掛けしますか→5か月
外気浴や日光浴してますか→はい 保健師さん 首すわり確認 4か月まで 順調♪
6~7ヵ月→寝返りこれも6~7ヵ月の間にクリアしました。お座りは出来ませんでした。
筋力が弱いので、抱っこするときは深く抱かないで、膝の先にちょこんと座らせて身体をしっかり支えて上げて、お腹の筋肉を鍛えるようにしてました。一人座りできるようになったのは、9~10ヵ月の頃です。
少し遅れてきました。ハイハイも1歳頃です。つたいあるきも1歳過ぎましたが、そんなに焦ることはありませんでした。遅いけれど順調に成長しているようにみえました。一人で歩けるようになったのは1歳6ヵ月。思ったより早かったです。
後から聞いた話ですが近所のおばさんが娘をみてこの子育つんかなと思ったらしいです。

寝返りお座り

町内で行なう赤ちゃんの検診は出来るだけ参加しました。障害のお子さんをもつお母さんは出て来られないようです、お母さん大丈夫ですか、と保健師さんに声かけられました。確かに比べると辛くなる時もありました。でも同じ年齢のお子さんのお母さんたちにも知っていて欲しかったので、勇気を出して参加していました。
そんな中、フッソ塗布があったので行きました。すると娘を見るなり、先生がこの子は虫歯にしてはいかんと言われました。私は思わずじっと先生の目をみていました。多分半分にらんでたかな、虫歯にならないために来たんだよと心の中で叫んでいました。そして悲しくなりました。後から後から涙があふれ出てきました。
心が折れそうになることがありますが、家族の支えがあり、又なにくそとチカラがわいてくるんです。
やっぱり、私は強いのかな~!

保育所に通わせたいと思い、児童相談所に相談しました。すると開口一番こうゆう子は3歳まで親の元で育てるとのがいいとのことでした、私は思わず「三つ子の魂百まで」、いかに3歳までに沢山の刺激を与えるかです。と強く言いました。すると「ふっ」と笑って、お母さんあなたは家でも一番なんでしょうね、と言われました。
我が家は主人の父母も一緒に住んでいましたから、大人4人の中では甘やかされてしまうのではないかと考えていました。うちは自営業なので、私も仕事を手伝っていました、義母は身体が丈夫でないのと義父も脳血栓で身体障害者でした。保育所に通う条件は揃っていました。
保育所には何度も足を運びました。今では0歳児受入がありまが、当時はまだありませんでした。3歳未満児に入れてもらえるか訊いてみると歩けることが第一条件ですと言われました。もちろんクリア♪
こうして61年4月保育所に入園しました。


娘(ダウン症)7月で38歳になります。

2022-06-16 14:03:26 | 日記

娘(ダウン症)7月で38歳になります。

 お母さん写真撮ってと珍しく言ってきました。モデルになった気分♪


1984年(昭和59年)7月 長女として誕生しました。

私 1949年(昭和24年12月) 現在 72歳 未だ誕生日が来てないので、少しでも若く…(-_-;)

結婚して中々子供に恵まれず、ようやく授かった時は嬉しかったです。
その反面、高齢(当時34才)のため高齢出産に備えようと「女性の医学」等読みました。その中で「ダウン症」染色体異常等いろいろ書かれていました。その時はまだ羊水検査の事は知りませんでした。
不安は沢山ありましたが、我が子が無事生まれてくることを願っていました。

初めて我が子を見た時、優しい顔にホットしました。しかしそれからが大変でした。
ミルクを飲んでくれない、ほとんど寝てばかり、普通の子と違う?
と感じた時、退院の日先生から大学病院を紹介されました。染色体異常の疑いがあるとのこと。
私はやっぱりと、思いつつ、でもどうして?私何かした?と心の中で自問自答していました。
主人はただ黙って私の肩をさすってくれてました。

大学病院での説明
ダウン症候群(21トリソミー)
 ・目が吊り上がっている ・指紋 ・筋緊張低下 
 ・知恵遅れ(知能指数70 軽度~中程度の知恵遅れ)
 ・消化器奇形→今のところなさそう 便秘気味
 ・感染性(抵抗力が低い)
 ・染色体異常である 細胞ー枝ー染色体46本 21番目の染色体が1本余分
 ・標準型ダウン症 96%
 ・モザイク型ダウン症 2~3%
 ・転座型ダウン症 2~3%
  ダウン症 1000人に1人

 羊水穿刺 妊娠 17週目 15~18週
以上 先生が書いてくれた文章をそのまま載せました。

追記で
 次回生む時は羊水検査できます。ただ期間がありますとのことでした。

主人と私は少しは理解しましたが、もう少し詳しく知りたくていろいろ質問しました。
その中で、平均寿命は当時40歳と言われ、少しホットしたこと覚えています。なぜならこの子を置いて先に逝けないと思ったからです。それでもやはり長生きはしてほしいと複雑な思いをしていると60歳の方もおりますよとおっしゃっていました。娘が40歳の年齢に近づいて来ていることに、お願いいつまでも長生きしてね!私たちを置いて先に行かないでねと心の中で願っています。
私たち夫婦も今年73歳になりました。
ボケないうちにこれまでの娘の記録、箪笥の奥にしまっておいた色々なものを取り出しては眺めブログに書いていこうと思っています。