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ごえもんの燃えさかる野望

独身サラリーマンの日々の生活を綴ったブログ とうとう8年目に突入!
マジメに彼女がほしいです・・・

ごえもんのSE物語 序章

2006-05-22 | SE物語
ごえもんのSE物語
~ こうして僕はSEをやることになった ~




序章 なぜ、システムの開発が始まったのか



私が現在の会社(ゼネコン)に入社した平成3年当時、うちの部署はPTOS(AVX-5?)とか
ACOSといったものを使ったシステムを利用していた。
いわゆるオフコンや大型計算機などを使用したものである。

私の部署は、積算・見積をする部署である。
積算とは、その建物を建てるのに当たり、必要な材料を拾い出す部署であり、
見積はその金額を算出する。

入社して2年目の終わりごろ、当時のシステムを見直そうということになり、大阪・東京で
ワーキングチームを作り、それぞれ案を考えることになった。

当時の僕は、現在の東京のシステム担当者(僕の唯一頼れる先輩)の近くに
座っていたこともあって、当時のシステムについてもそれなりの知識もあり
また東京の積算の中で「建具」という部類では一番詳しい立場にあったため、
僕もその一員となり、建具担当となった。
(知識っていっても、エラー時の対処方法とかを知ってた程度だけど)

そのころはMS-DOSが主流で、Windows3.1が出るか出ないかぐらいだったと思う。
(僕らはDOSのゲームで遊んでたけど)

僕たちは、見直すよりシステムを再構築する方向で検討し、イメージを膨らませながら、
持てる限りの知識で具体的な入力画面などをまとめた。
(この手法は、僕は今でも一番いいと思っている。ユーザが画面を考えることにより、
 必然的に入力項目=フィールドといった設計ができるからだ)
それぞれの所管で意見をまとめ、何度かの会議も行った。



ある時、東京のメンバーだけで話をしていて、

「これを開発するとしたら、大阪に電算部(現情報システム部)があるから、
 やっぱり大阪で開発するんだろうな。そうなったら、ワーキングの中から誰か
 選任の担当者を決めるんだろうな。」

という意見があり、「誰か大阪に行ってもいい人~」って言われて、僕は半分冗談
のつもりで「いいですよ~」なんて手を挙げてしまった。


ワーキングが始まって約1年ぐらいたったころ、どうしたいのかそれなりにまとまってきた。

そして入社3年目の3月の始め、部長に呼ばれた。


部長「今回の開発で、選任者をおくことになったんだけど、ごえもん君、
   君に白羽の矢が立ったから。」
ごえ「え!僕ですか?」

そのころ、PCに詳しい人は限られており、その人たちは大阪には行きたくない人ばっかりだった。

部長「うん。4月には大阪に転勤してもらうことになるな。まあ考えておいてくれ」
ごえ「考えておけって・・・考えて、僕に返答の余地はあるんですかね。」
部長「う~ん・・・たぶんないだろ。ほとんど決まりだな。お前がどうしてもいやだって
   言ってもどうなるか・・・」

本当は、僕も現場監督として現場へ行きたいと申請していたが、いろんな関係上
それも認められなかった状態だった。
結局、僕は深く考えることもせず、その転勤を受けてしまった。その後のことも深く考えず・・・

そして平成6年4月中旬、僕は東京から大阪に転勤することになった。






とりあえず、第1弾を掲載^^

今後は・・・ ぼちぼち書いていきます。



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