オレにとって父親とは、いろいろ考えさせられる、頭痛の種のような存在だった。
とにかくお金の問題では周りを悩ませ続けた。
それ自体はとても迷惑な事だった。
けど、得るものもあった。
どうすれば良いか、最後まで他人任せにする事無く考え抜く力を得る機会になったと思う。
小さい頃から、父親はほんの些細な事で母をどなりつけていた。
例えば、晩ごはんに自分が好きな献立が無かったら一方的にどなりつけていた。
そんな父親がキライだった。
けど、小学生の時、オレは靴下がタンスに無くて母にキレた。原因は自分がそこら中に脱ぎ散らかしてるからだ。
自分が父親と同じようになったみたいでとても凹んだ。
その時辺りから、父親を反面教師として、同じようにならないように頑張った。
いつも穏やかで、
誰に対しても公平で、
誠実な人になろうとした。この時、こう思えた事は良かったと思っている。
中学になって登校拒否になった。
休むと父親が派手に怒る。
母にも怒鳴る。
とても嫌だった。
けど、今思えば、父親からしてみれば何もできない事が歯がゆかったのだろう。
高校になって、登校拒否のせいで一年で留年が決まってしまった。
父親に派手に怒られると思ったが、予想に反して大泣きされた。
ショックを受けた。
父親が自分の事を心配してくれていた事を、この時に心から理解した。
そして、頑張って勉強しようと心に誓った。
一年生を二回やったのと、周りがそこまで本気で勉強してなかったのも手伝って、高校3年間はクラストップの結果を出せた。
父親に対しての申し訳なさが頑張りの後押しをしていたのは間違いないと考えている。
社会人になって自分の部下ができた頃、人間関係をうまく発展させれずに悩んでいた。
ふと、父親の周りにはいつも誰かが居て、人脈が大事だとか、劉備玄徳のようになれとか言ってたのを思い出した。
その時、すでに父親は離婚していたが、離婚後数年ぶりに、父親に会いに行った。
そして、人間関係を上手く作る方法と、父親が良く焼いてくれていたお好み焼きの作り方を教えてもらった。
お好み焼きの作り方は感覚的過ぎてわからなかったし、父親の周りに人が集まる理由も話からはわからなかったけど、その時をきっかけにどっちも研究した。
お好み焼きは満足いくものを作れるようになった。
人間関係についてはいまだに答えは出てないけど、
隙を見せない人より、隙がある人のほうが愛されてる事がなんとなくわかった。
それと、気遣いを凄くしていた。
誰かのために何かをする。
これを自然にやっていた。
自分自身の事をきっちりやろうとすると、どうしても他人の事には関わらなくなりがちだった。
しかし、自分自身の事しかしない奴に他人が興味を持つはずがない。
自ら進んで首を突っ込んで行く父親と、自分自身の領域だけを必死に守るオレ。そりゃ周りからみたら差は歴然だろう。
人脈に関して、父親が他界した時点では到底かなわないほど歴然とした差があった。
オレは父親を恨んでいる。
もっとまともな父親が良かった。
それと、がっかりしている。
死ぬ前に、せめて自分が迷惑をかけた人たちに謝って欲しかった。
最後まで自分自身の責任は果たさなかった点はとてもがっかりした。
これのためにオレは父親の葬式参列を拒否した。
けど、同時に感謝している。
父親という唯一無二の存在のが、あまりにもいい加減だったお陰で、より真剣に人生に取り組めたと思ってる。
あと、人としては憎めない人だった。
客観的にネタとしてみたら、相当楽しい人生やったと思う。
父親も自分自身の事なのに妙に客観的で、二人で良く笑ってた。
父親に対して、後悔もいろいろある。
単純に、もっと親孝行してやりたかった気持ちもある。
どっかで更正してやろうとも思ってた。
お酒も一緒に飲みに行けなかった。
借金なんか全部ぶっ飛ばす位稼いで楽させてやりたかった。
ごめんな、オトン、力及ばずやったわ。
それと、ありがとう。
オトンがおったから張り合いのある人生やったで。
そっちに行ったら酒でも飲みながらゆっくり話しよな。
とにかくお金の問題では周りを悩ませ続けた。
それ自体はとても迷惑な事だった。
けど、得るものもあった。
どうすれば良いか、最後まで他人任せにする事無く考え抜く力を得る機会になったと思う。
小さい頃から、父親はほんの些細な事で母をどなりつけていた。
例えば、晩ごはんに自分が好きな献立が無かったら一方的にどなりつけていた。
そんな父親がキライだった。
けど、小学生の時、オレは靴下がタンスに無くて母にキレた。原因は自分がそこら中に脱ぎ散らかしてるからだ。
自分が父親と同じようになったみたいでとても凹んだ。
その時辺りから、父親を反面教師として、同じようにならないように頑張った。
いつも穏やかで、
誰に対しても公平で、
誠実な人になろうとした。この時、こう思えた事は良かったと思っている。
中学になって登校拒否になった。
休むと父親が派手に怒る。
母にも怒鳴る。
とても嫌だった。
けど、今思えば、父親からしてみれば何もできない事が歯がゆかったのだろう。
高校になって、登校拒否のせいで一年で留年が決まってしまった。
父親に派手に怒られると思ったが、予想に反して大泣きされた。
ショックを受けた。
父親が自分の事を心配してくれていた事を、この時に心から理解した。
そして、頑張って勉強しようと心に誓った。
一年生を二回やったのと、周りがそこまで本気で勉強してなかったのも手伝って、高校3年間はクラストップの結果を出せた。
父親に対しての申し訳なさが頑張りの後押しをしていたのは間違いないと考えている。
社会人になって自分の部下ができた頃、人間関係をうまく発展させれずに悩んでいた。
ふと、父親の周りにはいつも誰かが居て、人脈が大事だとか、劉備玄徳のようになれとか言ってたのを思い出した。
その時、すでに父親は離婚していたが、離婚後数年ぶりに、父親に会いに行った。
そして、人間関係を上手く作る方法と、父親が良く焼いてくれていたお好み焼きの作り方を教えてもらった。
お好み焼きの作り方は感覚的過ぎてわからなかったし、父親の周りに人が集まる理由も話からはわからなかったけど、その時をきっかけにどっちも研究した。
お好み焼きは満足いくものを作れるようになった。
人間関係についてはいまだに答えは出てないけど、
隙を見せない人より、隙がある人のほうが愛されてる事がなんとなくわかった。
それと、気遣いを凄くしていた。
誰かのために何かをする。
これを自然にやっていた。
自分自身の事をきっちりやろうとすると、どうしても他人の事には関わらなくなりがちだった。
しかし、自分自身の事しかしない奴に他人が興味を持つはずがない。
自ら進んで首を突っ込んで行く父親と、自分自身の領域だけを必死に守るオレ。そりゃ周りからみたら差は歴然だろう。
人脈に関して、父親が他界した時点では到底かなわないほど歴然とした差があった。
オレは父親を恨んでいる。
もっとまともな父親が良かった。
それと、がっかりしている。
死ぬ前に、せめて自分が迷惑をかけた人たちに謝って欲しかった。
最後まで自分自身の責任は果たさなかった点はとてもがっかりした。
これのためにオレは父親の葬式参列を拒否した。
けど、同時に感謝している。
父親という唯一無二の存在のが、あまりにもいい加減だったお陰で、より真剣に人生に取り組めたと思ってる。
あと、人としては憎めない人だった。
客観的にネタとしてみたら、相当楽しい人生やったと思う。
父親も自分自身の事なのに妙に客観的で、二人で良く笑ってた。
父親に対して、後悔もいろいろある。
単純に、もっと親孝行してやりたかった気持ちもある。
どっかで更正してやろうとも思ってた。
お酒も一緒に飲みに行けなかった。
借金なんか全部ぶっ飛ばす位稼いで楽させてやりたかった。
ごめんな、オトン、力及ばずやったわ。
それと、ありがとう。
オトンがおったから張り合いのある人生やったで。
そっちに行ったら酒でも飲みながらゆっくり話しよな。