道東を発見する旅 第3の人生

フッた、フラレた 愛する、愛される 自分を大事にしよう

3キロ痩せた

既に書いたかもしれないけど、一ヶ月ちょっとで3キロやせた。今朝の体重が72、6キロで体脂肪率が17、1%だった。問題のウエストは2センチくらい縮まったようだ。

普通、医者は急激な体重減少に対して、ガンとかエイズとか良くないことを考えるけど、自分の場合は単に甘い物を控えているだけだ。

そのうち、この話題に触れる事にします。

今日はなぜか、恋愛の話をすることにしました。そのきっかけとなったネットの記事をまず引用します。

フッた方、フラレた方の寂しさの違いについて、ネットで記事を読んで思わずウーンと唸ってしまいました。

引用元: http://djaoi.blog.jp/archives/3573901.html

フった寂しさとフラれた寂しさの違い

フラれた方は『情けない』思いから『愛情』から『情』がなくなり愛だけが残り、フった方は『愛せない』思いから『愛情』から『愛』が奪われ情だけが残る

喪失感に苛まれるのはフラれた方だけど、罪悪感に苛まれるのはフった方だったりします。別れるということはどちらも無傷ではいられないということ。

また別れに傷付かないようなお付き合いはしてはいけないということ。

フった方もフラれた方も別れが辛いと感じるのは間違いではなかったということ。辛くて正解なのでどうか安心して辛い思いをしてください。

引用終わり

感想

何となく心に残った記事だったので紹介することにした。日本人なら誰でも、漢字の愛と情を、語感で共有しているから理解できるように思う。単に言葉遊びではなく、その本質を考えるには、愛と情を定義しなければいけない。情の意味を検索する。

情けとは

1 人間味のある心。他人をいたわる心。人情。情愛。思いやり。「武士の―」「浮き世の―」→御情(おなさ)け
2 男女の情愛。恋情。また、情事。いろごと。「深―」「薄―」

とある。情けを情愛とか色事という語感で考えると理解が深まるように思う。フル、フラレる、どちらも辛いけど、結局は時間が解決してくれるので怖れずに運命を享受しよう。

愛する、愛される

次に紹介するのは、愛には2種類あるという概念だ。

男性の愛と女性の愛は、形が異なっており、男性の愛は「愛する愛」であり、女性の愛は「愛される愛」である。その両者とも代償を求めない。教育者である方の、ある本の推薦文を引用します。

引用元
http://www.naruto-u.ac.jp/_files/00048170/ai.pdf

1970年は,小生にとって最も忘れがたい1年となった。失恋である。それも一方的なものであった。

それでも女々しくも小生は,相手の女性をあきらめられずにもんもんとした日々が続いていたのである。小生はこの時の自分の精神状況を話す時は,“白旗を揚げても嫌いになれない程の恋”と説明する。

その結果,半年間で身も心もボロボロになってしまった。何で?

そんな時に御木徳近氏の著,「愛《愛する愛と愛される愛》」を手にした。御木徳近氏は宗教家である。しかし,その内容は宗教とは異なり,愛のあり方について書かれたものであった。

その本の論点を示せば,「男性と女性の愛の形は異なる。男性の愛は愛する愛であり,女性の愛は愛される愛なのである。しかも両者ともその代償を求めない」。

単純で,端的なものではあったが,何故か当時のわたしには,極めて説得力のある内容であった。

その一節の言葉で,それまでの重く暗い霧が一瞬で晴れるように苦悩から脱し得た。全ての現実を受け入れ,相手の行為を許すことで自分自身が助かる。苦悩という重い課題に対する単純明快な解答が与えられた。

人はそんなことで悩むなんて,という内容であっても,火中に居るものにとっては,笑っていられない真剣な悩みであることが多い。

一冊の本が人を救うこともある。だから,読書は大切ですよという意味ではなく,軽い気持ちで一度読んでみてはいかがでしょうか。お薦めするのは,そんな一冊です。

推薦者  草下實  鳴門教育大学  大学院教授

引用終わり

感想

いい内容だ。残念ながら本は絶版のようで入手困難である。フラれてしまった経験を綴っておられるが、気持ちが非常によく分かる。この考え方を知ることで、腑に落ちたのだろう。

男女で愛の形が異なるということは言われてみれば、そんな気がする。自分も男性として愛する愛を実践しているのだろうかと気になってしまう。

先日の飲み会で、自分は、引退したAKBのアイドルの言葉を借りて、若い女の子たちに「自分の事を嫌いにならないでください」と宣言したのだが、きっと自分の心には「愛されたい」という気持ちが潜んでいるのだろう。小さいころから甘やかされてきたので、愛される事に慣れてしまっているのかもしれない。

だけど、自分は回りに対して、いつも絶対的な無条件の愛を実践しているつもりだ。具体的に言うと、飲みに行ったら男らしくポーンと奢ってあげている。見返りを求めない男性的な愛する愛とはちょっと違うのかもしれないけど・・・

女性の「愛される愛」はどうなのか自分にはよく分からない。だけど、女性で愛されるために色々気遣いしてくれる人は好きだ。その一方、女性で相手を愛しすぎて自縄自縛に陥ってしまう場合も結構あるように思う。

愛される愛をどう実践するか、よく分からないけど女性の立場になると理解できるのかもしれません。

誰を愛するのか

次は人を好きになるという営みが、実は相手を好きになっている自分のことが好きなのかもしれないというお話です。これは毎日新聞の切り抜きから引用します。日付をチェックし忘れましたが、2月20日だったと思います。

改めて恋愛 磯前順一 より引用

フランスの精神分析家ジャック・ラカンによれば、私たちが出会う他人とは、自分の幻想を通じて理解をしているものにすぎず、ありのままの相手ではないという。

そもそも私たちにとって、自分自身でさえ、全てが自明な存在ではとてもありえないだろう。

だとすれば、人を好きになるという営みも、相手の事が好きなのか、相手を好きだと思っている自分が好きなのか、その境界線は曖昧になる。

だから時として恋人たちはたくさんのことを相手に求めすぎて、相手が自分を察してくれないといら立ったりする。

それは、自分が恋している相手は眼前の恋人ではなく、実は自分自身であるというナルシズム(自己愛)を示すものかもしれない。

だが、「かけがえのないあなた」を求めようとする人間の願い自体が、しりぞけられる煩悩のようには思えないのだ。

引用終わり

感想

原文では、この後に、ナルシズムを打ち破るために他人との出会いを求めて人間は旅に出る。だけど、己れの空虚感をうめてくれる生身の人間など、どこにも存在しないのにもかかわらず、「どこにもいないあなた」を求める終わりなき旅が、私たちに限りない数の出会いをもたらしてくれる・・・と続いている。

以前、「恋に恋して」という曲をブログで紹介したが歌詞だけ再度引用しておきます(2013年9月22日)。

恋に恋するのは見掛けに騙されること  恋に恋するのは道化師が演じる猿芝居

人を好きになるなんて青臭い幻覚妄想  誰かを信じるなんて中学生までで卒業

なのにあの晩、恋に恋してしまったの  月が明るくて目がバカになっていたわ

恋に恋して、永遠の愛を夢見たけれど  結局、恋は私と相性が悪かったようね

引用終わり

自分が大好き

自分は酔っぱらって、若い女の子相手に「◯◯ちゃん、大好きー」を連発して顰蹙(ひんしゅく)をかっているのだが、どんなに年をとっても恋に恋してしまうのは人間の宿命のような気がする。

そして、相手との相性も自分次第であるという事なのだろう。最終的には「自分で自分の事をどう考えているか!」がとても重要で、自分を大事にして自分を好きになる事が大切なのだ。


どんな時でも自分を否定せずに自分の全てを肯定して前向きになろう。自分には友達が少ないとか、世界中で自分が一人ぼっちであるとか心配する必要は全くない。あなたは決して一人ぼっちではないし、いつも回りはあなたを認めてくれている。

自分で思っている以上に回りはあなたを信頼し頼りにされているとの信念をもって積極的になろう。

だから、毎朝、自分で鏡を見て「大丈夫、今日も元気、自分を大事にしよう、自分が大好きだ!」と自分を励まそう。それを習慣づけよう。それが今日の結論です。


今日は結構難しい内容だったかもしれないけど、結論は単純です。毎日、鏡を見ては自分を励ましてニッコリ笑いましょう。頑張って実行してみてください。

今日の愛情は、全て人間が人間を愛している場合でありますが、その上に存在するのが神の愛です。

次回は、日常の生活の中で神の存在をどう感じるかということについて書きたいと思っています。今週も頑張って仕事をしましょう。

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