文化勲章受勲者、数学者 岡潔氏の名言
「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。」
春風夏雨 岡潔 角川文庫18576
119ページより引用
私は学生をA、B、Cの三級に大別していた。上ほどよいのであるが、Cは数学を記号だと思っているもの、Bは数学を言葉だと思っているものである。
寺田寅彦先生は先生ご自身のいうところによると、まさにこのクラスである。
それからAは数学は姿の見えないxであって、だから口では言えないが、このxが言葉をあやつっているのであると、無自覚裡にでもよかいら知っているものである。
私は答案を一瞥しただけでも、その人と少し話し合ってみただけでも、それらがこの三級のどれに属するかが分かるほどに、この教育法に習熟していたのである。
引用終わり
感想1
いったい、この文章の何が自分の興味をひいたのか。まず抽象化の事について説明します。
何年か前にブログにあげていますが、抽象の壁という言葉があります。
大学生で数学を学び、数学は記号であるというレベルが初心者コースであるなら、抽象化思考に到達できていないレベルなのでしょう。それは、記号の羅列から新たな概念を頭の中で構築できないレベルなのかもしれません。
まず抽象の壁についての説明です。
「9歳の壁の正体は抽象的思考の訓練不足だった」というサイトからの引用です。
抽象の壁は、9歳の壁とも呼ばれ、それまで、普通に勉強が出来ていた子が、小学3~4年生で急に勉強ができなくなる現象です。
一般的には、分数や小数の計算が出てきて、算数が難しくなるからだと言われており、また、その時点で親が教えられる算数のレベルを超えてしまうことが増えてくるとも言われています。
確かに、事象としてはそう見えます。
しかし、本当のところは、もっと深刻です。
小学校1~2年生の算数は具体的なもので計算する問題ですが、小学校3年生~4年生になると分数や小数の『抽象的な概念』を具体的なものに置き換えて考えるプロセスが要求されます。
実は、親や教師が一番困るのが、この、『抽象的思考』の『具体化』なのです。
例えば、「0.5」と「1/2」は、共に「半分」であることを身近な物を使って説明する必要がありますが、これが分からないと先に進みません。
算数は積み上げ式の教科ですから、どこかでつまずくと、わからないことがどんどん増えてしまいます。
引用終わり
大学生の数学
このサイトでは、かの有名な〇モン式について、あれは「思考力を伴わない学習」なので、この難しい時期にしてはいけないと書いています。
大学生の数学でも、きっと9歳の壁と同じで、高いレベルでの思考力を使って記号から概念を具体化するプロセスが必要なのだと思います。
「数学は記号である」の意味は記号を記号としてしかとらえられておらず「具体化」するレベルには至っていない事を示唆しているのでしょう。
具体化を越えて「言語化」がうまくいき、そして最終段階にいくわけです。
このように数学を理解しているレベルをクリアーにした文章を見たことが無いので自分はとても興味を持ちました。
岡潔氏のエッセイで、この文節はA、B、C以外のDと呼ぶべきランク外の学生の数が増えて、とても困っているという話で終わっています。
私は、逆にAの人がいるという事が不思議に思えますが、エッセイが書かれた当時は、テレビやネットなどが無い時代なので数学科の学生も有り余る時間をすべて勉強に費やしていた事がうかがえます。きっちり勉強して、一部の人はそのレベルまで到達できたのでしょう。
現在はどうなのか、以前のブログで東大生でも解析と線形代数が理解できていない人がほとんどだと書いている人がいました。その記事は削除されていますが、私の過去のブログに載っていますので、その部分を引用しておきます(2012年7月15日:懸垂と数学)
https://blog.goo.ne.jp/toshimasanaka/e/97e1c2c907f23500e96f81f6a897aa65
私は、長年、大学で数学教育に携わって、痛感するのは、個人の素質の違いが非常に大きいということである。実際、1年生から4年生まで、良くできる学生は殆ど入れ替わりがない。そして、学生とゼミで接するようになると、それぞれの学生が、どこまで伸びるのかは、凡そ推測が付く。
その位、抽象能力や、論理能力に個人差が大きく、正直、残酷だと思うこともある。梅の木は梅ノ木であり、松に仕立てることはできない、というのが私の長年の教育経験の実感だ。
大学レベルの数学となると、誰もがマスターできるわけではない。これは、一般人が、宙返りが出来ないのと、同じことだ。個人の持つ、素養を見極め、できることを伸ばすしかない。数学に限らず、プログラミングの技能など、他分野でも、個人の能力格差が大きい。
東京大学理科2-3類の学生250人の微分積分の演習を担当する助教の知人に聞いた話では、彼が「できる」と思う学生は1人しかいないという。
実際、現状では、京都大学など超一流国立大学の数学科でも、線形代数と微分積分さえ一人前に出来れば、大学院に進学できる。そのくらい人材の層は薄い。
引用終わり
ではAのレベルはどんな状態なのでしょう。
数学者の藤原正彦さんは以下のように言っておられます。数学の本質は、記号や言葉を飛び越え、命題をいつまでも考え続ける世界のようです。
「数学とは長時間考えるという苦しみに耐える学問である。解けないという不安、焦燥、欲求不満、劣等感に耐える学問なのだ。」
「その報酬として、解けたときの『鋭い喜び』がある。中学生か高校生の頃、図形の問題を考えに考えて、とうとう一本の補助線を発見し一気に解決したときの、何とも言えぬ喜びは多くの人の共有するところだろう。他のいかなる喜びとも違う、『鋭い喜び』だ。」
「苦しい思考の末に、『鋭い喜び』があるということを知るのが数学を学校で教える大きな理由の一つだ。」
「この喜びを知らないと、一ヶ月の間昼夜を通して考え抜く、などという苦痛に人間は耐えられない。」
「自信を持って火の玉の如く考え続けることができない」
引用終わり
従って、たとえ一流大学の学生でも、ほとんどの人は到達できない、ほんの一握りの人のためにある深遠な世界なのでしょう。ここで岡潔氏について簡単に説明します。
岡潔氏とは
岡潔氏は京大の数学科を卒業しフランス留学の後、広島文理大学、奈良女子大で教鞭をとったそうで、京大時代には後のノーベル賞受賞者、湯川秀樹、朝永振一郎らも数学の講義を受けて影響を受けていたそうです。
数学は言葉であるというB級には有名な物理学者寺田寅彦の名前も出てきますが、本当の数学者はさらにそのレベルを越えた世界で問題を考えているようですね。
実は広島文理大の時に精神に変調をきたして学生を襲ったりしたことがあったそうです。ネットで見る写真や動画(Youtubeでテレビの映像がアップされています)を見ていると、その風貌は明らかに常人ではなく、普通の変人を通り越した極端な人のような雰囲気に見えますね。
その後、和歌山の実家に戻って、そこでいくつか数学上の重要な発見をされたそうで、それをきっかけに友人である京大の数学の教授の推薦で奈良女子大に就職したそうです。
ロシアのバレエ団で大抜擢された日本人バレエダンサー
モナコのバレエ学校を首席で卒業した永久メイさん(18歳)が、昨年ロシアのマリインスキーバレエ団にスカウトされて入団早々セカンドソリストに大抜擢されました。
インタビュー記事のサイトにリンクを貼っていますが、18歳の可愛い日本人女性です。
http://dancedition.com/post-2669/
ロシアのサンクトペテルブルグにあるマリインスキー劇場は世界でも非常に有名な劇場で、そのバレー団は普通はワガノワバレースクールの卒業生であるロシア人しか入れないのです。
従って、団員のほとんどがロシア人なので当然ですが、女性も男性も誰もがモデル並みのプロポーションで美男美女の世界なのです。そこで華奢な彼女がどう踊っているのでしょうか。有名なジゼルという演目を3月1日に主役で踊った動画がアップされています。その一部をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=EECI0k1EeQs
https://www.youtube.com/watch?v=QDpdsHKEK_Q
永久メイさんをスカウトした芸術監督によると、彼女がモナコのバレエ学校に在籍している時から、彼女に注目していたそうで、一人前になるとあちこちのバレエ団で奪い合いになるだろうと考えて15歳の時にゲストダンサーとして呼んだりしていたそうです。
監督は彼女は手足が長く首も長いバレリーナとして理想的な体系をしている。エネルギーに満ち溢れていて感情表現も豊かなので、もっともっと活躍するだろうと最大限の誉め言葉を述べています。
動画は3月1日にアップされたところなのに、既にビューが1万を超えています。
なぜ彼女がプロポーションで劣るロシア人の中で圧倒的な存在感を示せるのでしょうか。彼女のお母さんはアメリカ人とのハーフで彼女はクォーターだそうです。それで骨格的に日本人離れしている部分がありそれが手足や首が長い美しいプロポーションとなり、観客を惹きつける踊りにつながっているのでしょう。
バレエダンサーは美形でプロポーションも美しくないとダメだという厳しい世界です。これからも生まれ持った才能と美しいプロポーションで世界中の人を踊りで魅了させてほしいですね。