お説教するのは楽しい
どこの職場でも、年配の上司が若い者にお説教している風景はよく見かけるものだ。
苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべてはいるのだが、実はお説教するという行為で上司の脳の中では脳内麻薬と呼ばれるドパミンが活発に出ているそうだ。
ドパミンとはいったい何なのだろう。
脳の中で分泌される50種類ほどの神経伝達物質の一つであり、その中でも快感を増幅するするための物質だ。
ドーパミンが分泌されると、やる気、快楽、記憶、行動、睡眠、気分、学習など広範囲にわたり影響を及ぼして良い結果をもたらしてくれる。
また、他人に認められたり褒められたりした時やお説教のように他人に対して優位な立場に立った時なども分泌が活発になるそうという。
だから、説教される方は、ストレスにさらされて困るのだけど、説教する立場の人は、説教することが楽しくて仕方がないようなのだ。
ここまで、脳科学者が話しているのを見て得た知識である。
歓迎会での話
月曜日の夜、今年の新入職員の歓迎会があった。
このところ、最後に何かいい話をしなければならないようなので、先日の夜は前回書いた「慰めること」についての話をした。
医療職は、患者さんよりも立場が上なので、慰めることを学ぶことのできる有難い立場にあることを説明し、きっとドパミンが出ていい気分になっていたのだが、大きな問題が残っていた。
話す相手が医者であれば、患者さんとの関係が前提なので話が完結する。
しかし、歓迎会では話す相手が技師さんで、聴衆の半分近くは患者さんとまったくかかわることがないのだ。
そこで、やむなく職場の上下関係について話を展開した。
頑張って期待に応えたのに認めてくれない
最近読んだ医学関係の雑誌に母親による虐待のことが書いてあった。
骨子は、虐待する母親において、彼女の親との関係にアンビバレンスがあるという内容だ。
具体的に言うと、母親が幼児に「◯◯で遊びなさい」と指示する。
子供は、言うことに従って◯◯で遊び、承認を求めるように親の顔を見ると、必ずダメ出しをするという仕打ちを母親も自分の母親から受けていたということらしい。
子供の方は、認められる(褒められる)ことを期待しているのにもかかわらず、厳しくダメ出しをされそれが成長してもトラウマになっているという内容である。
アンビバレンスとは、ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すこと、たとえばママには好ましいところもあるけれど、ひどいところもあるというような事だ。
自分は、これを喩えにあげて職場の上下関係でも同じような状況があるのではないかという疑問を中堅以上の職員に投げかけ話を終えた。
良かったのかどうか分からないけど、後である人から「最近は、若い者に甘えさせてやらないといけない時代になったということですね」と言われたが、まさにそのとおりなのだろう。
お説教と慰めの違い
誰でも、立場が下の者にお説教をすると気分が良くなるので、ビシビシ言ってしまい、それで終わりと思っている。お説教する側にとってみれば教育効果を考えていても、いつの間にか自分の満足感が優先してしまうのだろう。それがネガティブに働くとは本人は思っていない。
一方、人を慰めることは、結果として相手が癒されたかどうかを考えながら慰めることになる。
実際に癒されたかどうかはその人次第であり、どんなに偉い人から慰めの言葉をかけられても「あんな人に慰めてほしくない」と心の中で反発されていることもあるという怖さがある。
だから人を慰める事を決めたら真剣に心を込めて慰めないと逆効果になる。
慰めたりしても相手が曖昧な態度のままならば実は反発されている可能性がたかい。
そんな時は、外人のように思いっきりハグしてあげればいいのかもしれない。
恥ずかしいけど、一回やってみたい。
残りの人生、出来れば慰めのスペシャリストになってみたい。
最後に、甘えに対するダメ出しの件であるが、自分がそうなってないかどうかを自分で悟ることはとても難しいように思う。また機会があれば考えてみたい。