道東を発見する旅 第3の人生

風の通い路、心のときめき、効率とおもしろさは対立する、飽きない人

今回も、いつものように長めです。何回かに分けて読んでくだされば幸いです。

新年度

春、桜の季節だ。自分はウキウキ気分で病院近辺の桜並木の下を何度かそぞろ歩いた。いい天気の中を歩いていると花粉がそんなに飛んでないのに、鼻がグズグズ言い出し鼻水やくしゃみのオンパレードとなる。きっと寒さに耐えてきた身体がぬるま湯のような気温に順応できていないのだろう。

新年度になり新しく入職した医師が、廊下ですれ違いざま、にこやかに挨拶してくれるが、何となく違和感を覚える。先月一杯で辞めた人たちへの名残惜しさを感じる暇もなく変化していく現状に心が対応できていないようだ。これも気温の上昇と同じで順応性が失われたのかなと感じる。

出会いがあるのでいつかは別れの日がくる。自分は、これまでの人生で別れの時はスパッと心を切り替えられていたものだ。しかし、このところ、別れがとても切なくて辛いのである。嫁さんが病気で治療中というのもあるのだろう。色々あって1ヶ月前に治療内容が変更になり、少なからず動揺してしまった。

そんなこんなで、何となく浮かない気分の自分でありますが、それをふっとばそうと今日は最近読んだエッセイを中心に「別れの切なさ」「心のときめき」そして「物事に飽きることのない人」を紹介します。

以下、PHPスペシャル4月号(2014年)「のんびり過ごそう」からの引用です。

まず、最初は「別れの切なさ」です。随筆家山本ふみこ氏のエッセイから抜粋(53から55頁)

風の通い路(かよいじ)

ことしの初め、長女が家を出て、ひとり暮らしをはじめた。思いがけないほどさびしくなり、いや、正直なところ、さびしさを超えて、胸に痛みを覚えるほどだった。それほどの思いにからめとられるとは想像もしていなかったら、うろたえた。

うろたえながらも、痛みをともなうほどのさびしい胸のなかに、風が吹くのを感じた。そうしてこの風は、そのときのわたしをそうとうに励まし、支えもしてくれたのだった。

「好きな器や道具があったら、持っていっていいわよ」そう娘に告げたとき、ひゅーっと風が通った。

中略

長年四季と暦がおしえてくれたものはいろいろあるけれど、この世のうつろいをどう見るか、ということが、いちばん大きかったように思う。

四季のめぐりも、人生の場面転換も、年をとることも、みなうつろいであり、そこには計り知れない慈しみ(いつくしみ)があるということ。それを、風のふくおかげで知り得たのだ。

引用終わり

心のリセット

引用したのは原文の3分の1なので、エッセイのイメージがうまく伝わらないかもしれないが、原文は、まるで詩を読んでいるようだった。とても美しくて悲しい心象風景がとても心に染みる素敵なエッセイである。

「風が吹き抜ける」は、ぽっかりと空いてしまった心の隙間と、ゴミだらけの空間を吹っ飛ばして綺麗に掃除してくれるという2つの意味があるのだと思う。

もちろん、心の隙間は、大事な人を失ったという喪失感であり、風の通り路をつくってからは、その隙間を新しい何かで埋めていくというイメージなのだろう。風の語感がさびしすぎるので、後半がうまく伝わってこないような気がする。

先週、医局の秘書さんが異動する事を聞いた。毎日、お昼前に顔を出して、短いおしゃべりをするのが日課だっただけに残念だ。だけど、辞めてどこかに行ってしまう訳ではないので、気持ちを切り替えよう。

さ て、エッセイの著者は、どんなにさびしくても、それは所詮この世のうつろいでしかなく、その背景に(大自然、あるいは神の?)深い慈しみがあるので、吹き 抜ける風を感じとる事が大事で、その感覚が薄れてくると、季節のうつろいを感じることが出来なくなり、人を思うことができなくなると書いている。自分の考える語感の2つ目の事を示唆している。

このエッセイを読んだ時期と一致して、朝の礼拝で理事長がメッセージを担当された。またまたシンクロニティを感じてしまった。これが後半部分の意味と重なるのだ。

話は、「心もリセット」というテーマで、人生の悩みや苦しみを色々思い煩っていると頭が回らなくなるので、誰でも心をリセットしないといけないという事だった。そして「私はいつも神に祈って心をリセットしようとしています」、と言っておられた。

「風の通り路」をつくろうとする心の動きは、まさに心をリセットしようとする動きと同じだ。冷静に自分の進むべき方向をながめようとする未来への希望への道なのだ。

さらに考えを進めると、無理して自分で心をリセットしようとする必要はないのだ。出会いは別れの始まりだと言うように、誰でもいつかはまわりの皆と分かれなければならないのである。

心が、どんどん複雑な状況になってしまう前に、すべてがリセットされてしまったと考えれば楽になる。実は、心はリセットされるのだ。

だから、たとえ、どんなに精神的に強い人でもおちこんでしまうような場合でさえも、生きている限り積極的に受け入れ感謝しながら自分を信じて進んでいこう。

では、何をどうすれば心の隙間を埋める事ができるのか?

愛される女性になるためのレッスン 鈴木真奈美 57頁から59頁

引用

新しい世界に触れてみる

何かにときめいたり、ワクワクする気持ち。新しいことにチャレンジする好奇心。それは心の若さを育みます。

「毎日同じことの繰り返し」から踏み出して、普段とは違うことをやってみることで、新しい世界が見えてきます。たとえば、ずっと気になっていた習い事を始めて みたり、旅に出てみたり、どんな小さな事でもいいのです。身近な小さな事に幸せを感じたり、新鮮さを感じているうちに、自然と表情や雰囲気は変わっていき ます。

引用終わり

感想

当然といえば当然の事が書いてある。まず、気持ちを一新して何か新しいことに取り組もうという呼びかけはいいのだけど、誰でも、そんな気分になれない時はあ るものだ。そこで、次は、哲学者の鷲田清一氏のエッセイです。同じ小冊子の22から27頁の一部を抜粋して紹介します。

効率を忘れたら、大事なものが見えてくる

「効率がいい」とは、最小限のエネルギーで最大限の成果をあげるということです。よいことのように思えるかもしれませんが、効率を一番に考えていると、質が悪くなることがあります。たとえば、学ぶこと。

効率を第一に考えれば、勉強はしなければしないほどいいです。出来るだけ授業はサボって必要な点をとれるのが、「効率がいい」わけですから。

でも学ぶということには、本来は「ときめき」があるんです。「すごい!」「もっと知りたい」「おもしろい!」などのときめきが。

「おもしろさ」と効率はある意味で、対立する概念といえるかもしれません。

世の中のこと、じぶんのことをことを、これまでとは違う見方で見られるようになるのが、学ぶということ。「こんなものの見方もあるのか」と知るために、人は 勉強するのです。自分を変えていきたい、今よりいい自分になりたいというのも同じ。効率性を求めるとうまくいきません。

変わるということは、これまでの自分を一度壊すということだから、自分の知っている中で考えようとしてもダメです。

思いがけないものと出会うことで、人は変わっていく。変わるためのきっかけは、外からやってくるんです。

中略

知らないものとの出会いを増やしていくためには、ぜひいろいろな本を読んでください。

そこでもし「よくわからない」「難しい」「自分には合わないかも」と思っても、読むのをやめるのはもったいないことです。

わからなくても、いえ、わからないから、魂をつかまれるんです。だから何度も繰り返し読む。そのたびに自分の読み方が変わっていく。考えるということは、わからないからできるんです。

引用終わり

感想

「変わるためのきっかけは外からやってくる」、そして、それは「思いがけない事」だそうで、自分の中では解決できない、そのために本を読め、勉強しなさいと書いておられる。それは、もがき苦しむ中で、新しい視点が見つかるのだという意味だと、自分は解釈している。

風の通り路の著者は、土しごとや家具の修繕という普段の行いの中で心をリセットして、何かを見つけようとしている。だから、何か新しい事を始めなければならないという義務感に苛まれる必要は無いのだ。

そして、自分は昔から何かを始める時、いつも視線がゴールだけを向いていた。取りかかってからゴールがいつまでも遠いままだと、「これじゃダメだ、ホントに自分はダメな人間だ」と卑下して途中で投げ出すことばっかりだった。

エッセイの著者が言う、「効率とおもしさは対立する概念かもしれない」、というクダリで目からウロコが落ちたような気がした。

人から評価されるためには、何でもすぐ覚えて理解できる、すなわち効率がいいことがとても大事だと信じ込んでいた。

ところが、本当に大事なことは、どんなに時間がかかっても、自分が夢中になれる、自分を豊かにしてくれるものなのであり、それには効率を考えずに取り組まないといけないのである。62歳にして、初めてそれに気がついた。

たとえば、ブログに時々、書いているデータ解析ソフトの事だ。何年も使っているけど、自動処理や日付の処理をスクリプト処理するのが苦手で、いつもそこでつ まづいて投げ出していた。このエッセイを読んでから真剣に取り組んでいる。日付関数はあっさりと壁をこえる事ができた。これが効率を意識し過ぎて、わざと 時間をかけるのを避けていた。身の回りに、こんな例はたくさんあるのだろう。

誰でも、学ぶことで「心のときめき」を感じられる事には同意できる。また、料理や掃除、仕事などで決まった業務の繰り返しでも同じようにときめきを感じられるのだろうか。

次は、「ときめき」を感じながら、39年間、同じ番組を続けている偉大なおばあさんのインタビュー記事を紹介します。

命の続く限り、明るく、元気に、格好良く

スペシャル・インタビュー 黒柳徹子さん 84から88ページ 抜粋して引用

私に関して言えば、そもそも自分でも不思議なほど、退屈したり、物事に飽きることがない人間なんです。舞台は基本的に毎日同じ事を繰り返すので、長く公演を やっていると飽きてくる俳優さんも多いのですが、私は帝国劇場で3ヶ月同じ役をつとめたときも、全く飽きませんでした。

それは子どもの頃も同じですね。戦時中に疎開した青森で、雑誌を切った紙でリンゴにかぶせる虫よけの袋ののりづけを毎日させられたときも、他のみんなは夕方ちかくになると飽きてやめてしまうのに、私だけはずっと作っていました。

何でだろう?と思って後で考えたら、毎回「紙をどう並べたら上手くのりがつくだろう?」とか「もっと能率よくやるにはどうしたらいいだろう?」と考えたり、雑誌の記事を読んだり、やることはいろいろあるんです。そうやって絶えず頭を働かせているから、飽きないんだなと。

引用終わり

感想

黒柳さんのヘアーカットは、ご自分で色々考え工夫した、一番簡単にセットできてどんな服にも合うというオリジナルだそうだ。以前、何かで読んだ覚えがある。

記事の中に出てきて引用しなかったが、「徹子の部屋」は今年39周年を迎えるそうだ。そしてご本人は50周年まで続けるつもりらしい。

そのためには、90歳になっても(他人)の言うことがちゃんと聞こえて、話がわかって、会話が出来なければいけない、どうすればいいかを考えて、1年前に夜型生活を変えたところ、大変調子がいいそうだ。

またほぼ毎年、新作翻訳劇に挑んでおられ連続25年続いているという。

すごく前向きで明るい黒柳さんの姿を見ているだけで気分が明るくなる。日々、創意工夫し前向きに進んでいる姿は、実に格好がいい。

鷲田氏のエッセイの中にも「分からない本でも何度でも読めば、だんだんと読み方が変わってきて考えが進んでいく」とある。

自分も、「暇で何もすることがなくて・・」と嘆き、退屈しのぎにあれこれやってきたけど、この記事を書くことで気分が一新した。今日から風の通り路をつくり、そこに新しい自分の世界を作って行きたい。そのために実践するアイデアはあります。いずれ紹介します。

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