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怪獣ヤダモン日記

怪獣ヤダモンから進化し続けている子どもたちの、中堅パパによる観察日記です。

パスワード

2008年07月10日 11時57分50秒 | 意見
 このブログも、ようやく閲覧制限ができるようになったんですね。
いつからか知りませんが、よかったよかった。

 というわけで、近々パスワード制限をかけることにします。
そうしないと、個人情報が心配なので。
そんなこと気にしなくてもいいのかもしれませんが、この世知辛い世の中、何があるかわからなくなってきてますから。
もっと平和な世の中にならないかなぁ。

 パスワードは、年賀状などを送っている方ならわかる、住所にします。
市区町村名と番地の間の部分をローマ字にしてください。
それで12文字になるはずです。
さらに郵便番号の下4桁。
これで16文字です。
どうしてもわからなければ、ぼくか身内に聞いてみてください。

 本文を見るには、画面の端の、ちょっと下のほうにある、「カテゴリ」から「日記」を選んでください。

 お手数ですが、よろしくお願いします。

チャンスは今。

2007年01月18日 22時31分40秒 | 意見

 以前、先輩に言われた言葉。

「目の前につかめるチャンスがあるのに、つかもうとしないのはバカだ。」

これは数年前、パパがもっと勉強したいんだけどいろいろ問題(特にお金)があって悩んでいるときに、言われました。
悪い意味にとらないでくださいね。
励ましてくれたんです。
人は、大人になるほど、つまり社会になじむほど、安定を求めるようになります。
パパも、仕事をまあまあしていればそれなりに収入があるという、ほぼ安定した生活にはまりこみそうになっていました。
でも、勉強したいと言うのは、もっと前から思っていたことです。

 ちょっと露骨に言ってしまいますが、学力については十分ありました。
志望校も、まあまあ調べて決めていました。
お金は、自分ひとりでは難しいと判断し、誰かにお願いしなきゃいけないのかなぁとなんとなく考えていました。
意欲は、安定した生活の中で非常に薄れていました。
そして、今後結婚するとしても(あ、結婚前の話です)、学生では生活していけない。
というか、二人で協力していくはずの結婚が、ただの居候&金食い虫になってしまう。
ということは、学生になるチャンスは、いくつかの問題をクリアすればつかめるところにあったんです。
でも今のままなら安定しているし、将来の設計もしやすい。
踏ん切りがつかなかった。

 その先輩のパートナーも、やりたいことがあったんだそうです。
そして、その資格ももうすぐとれるところだったみたい。
でも、何らかの理由であきらめたそうです。
詳しくは聞きませんでしたが、その理由はくだらないことだったみたい。
その人を見てきたので、先輩は冒頭のように考えるようになったとのことでした。

 というわけで、この言葉をもらってからさらに少し時間がたってから、ようやく問題を解決できるめどが立ち、こうやって勉強をしている次第です。
上にも少し書いたように、問題を解決するのに、周りの人からの多大な支援をいただいています。
これがなければ、チャンスをつかめなかった。
ホント、感謝感激です。
パパは、幸せ者だなぁ。
やりたいことができて、家族がいて、周りからの暖かい支援があって。
このチャンス、絶対に生かして見せます。
あの時、決心してよかった。
いや、そうなるようにすすめてもらって、よかった。

 今日は、感謝の日記です。

海とダイビング。

2006年11月04日 18時24分51秒 | 意見

 パパの趣味は、スキューバダイビングです。
タンクを背負って海にもぐる、アレです。
一般的にはタンクの中身は酸素だと思われてますが、あれは空気です。
圧縮されて、10リットルくらいになってます。
純粋な酸素を吸うと、呼吸が止まりますのでご注意を。

 海にもぐるって、素敵なことだと思います。
日常では見ることの出来ない、ゆったりした世界なんです。
時間の流れは、非常にゆっくり。
普段は動けない、上下方向の移動も出来る。
それに、浮かんだままじっとしていることもできる(ホバリング)。
この浮遊感は、とってもいいですよ。
宇宙では無重力状態ですが(正確には無重量)、海の中でも同じ状態になれるんです。
ほんと、日常を忘れてしまいます。

 ダイビングをするための道具はいろいろありますが、すべてを自分でそろえようとすると、とんでもない金額が必要になります。
なので、たいていはレンタルを活用します。
そもそもタンクは、持ち運びできるような重量じゃないので、もぐりたい場所で借りるのが一般的です。
いや、タンクを貸し出している場所でもぐるというのが正解かな。
そのほかの道具も、ほとんどレンタルできます。
ま、口につけるものは自分のものを使うというのがいいようですが。
安くあげるなら、レンタルは必須ですね。

 海に行く楽しみの一つに、いろんな人とお話できることがあります。
一緒に行く人、もぐる場所で出会った人、お店のスタッフ、などなど。
もぐるときは、現地の海に詳しいガイドさんと一緒にもぐるのが普通ですが、その日もぐりに来た各グループに一人ずつつけるほどの人数はいないことが多いのです。
だから、いくつかのグループがまとまって行動することになります。
すると、もぐると言う目的も一緒だから、必然的に話をするようになるわけですよ。
これがまた楽しいんです。
いろんな人の考え方とか経験を聞くのって、いいですよね。

 そんなわけで、趣味としては若干お金がかかることを除けば、とってもお勧めしたいスキューバダイビング。
ぜひぜひ機会があれば試してみてください。
ちなみに、もぐった後の夜に行われる宴会も、とっても楽しいんですよ!、

「がんばれ」って、言われたい?

2006年08月17日 00時08分12秒 | 意見
 今回は、「がんばれ」という言葉について、少し意見を述べたいと思います。

がん-ば・る(頑張るは当て字)
①我意を張り通す。
②どこまでも忍耐して努力する。
③ある場所を占めて動かない。
(新村 出編 広辞苑第四版 岩波書店)

 自分に「よし、がんばるぞ!」と言い聞かせるのは、自分を奮い立たせて何かを成し遂げようとするときですよね。

 でも、他者に「がんばれ」「がんばって」と声を掛ける、もしくは祈ったり願ったりするのは、どういうときですか?
というより、どうしてがんばるという言葉を使うのでしょうか。

 ぼくは、他者を応援するときに、がんばれという言葉をあまり使いたくありません。
スポーツの大会などでチームメイトや贔屓の選手が試合をしているときには、あまり深く考えずに使ってしまいますが。
ここでは、病気で入院している人を見舞ったときを想像しながら読んでもらうと、僕の言いたいことがよく伝わると思います。

 がんばるとは、冒頭の三つのうち、②の意味で使うことがほとんどだと思います。
他者にがんばれというときも、②の意味ですよね。
そういうとき、がんばれと言われた方は、どう感じるのでしょうか。
がんばるとは、「自分で努力する」という意味が多分に含まれていますから、「がんばれ」とは、「あなた、(もっと)努力しなさい。」とほぼ同義ですね。
さらに、こっちが何か手助けしてあげるという意味はありませんから、「自分ひとりで努力しなさい」という意味であると考えられます。

 つまり、「がんばれ」「がんばって」という言葉の影に、「こっちは手伝わない(手伝えない)から、自分ひとりで努力してなんとかしなさい」という、突き放すようなニュアンスが含まれていることになります。
 また、「あなた、(もっと)努力しなさい。」というところから、「今のままではダメ(失敗する)から、より一層努力しなさい」というニュアンスが含まれることもあります。
それは、今現在のその人の努力を否定することになりますよね。

 ここで、先ほど書いた、入院中の見舞いの例で考えてみます。
酒を飲みすぎて1日だけ入院、てのは例外ですよ。
長期で入院していたり、手術のための入院だったりを考えてください。
本人は、入院前から入院中も、痛みとか体調不良などを感じているわけですよね。
重症であるほど、死を意識することも多くなるはずです。
そして、日々検査だの服薬だのと活動を規定され、自由気ままには生活できないんです。
その中で、治ろう、生きようという意欲が低下したときに、自分自身と闘って生き延びようといつも努力しているわけです。
苦しいこともつらいことも乗り越えるために、常に努力しているんです。

 そこに、たまたま見舞い客が来て、「がんばれよ」と声を掛けたら、どうですか?
入院している本人は、すぐ上にも書いたとおり、いつも、ずっと、努力してきたししているんです。
それなのに、わざわざ見舞いに来て、突き放したり努力を否定したりするニュアンスの言葉をかけているんですよ。
がんばれって言われても、これじゃあうれしくないですよね。
もちろんその見舞い客は悪気があって言ってる訳じゃないし、見舞いのときにがんばれって言うのは社交辞令みたいになってるから言っただけでしょう。

 ここまできたら、ぼくががんばれという言葉に抱いている不信感も、少しはわかってもらえたと思います。

 別の例なら、高校生などを考えたらどうでしょうか。
彼らなりに勉強のやり方を模索しつつ、自分で決めた範囲で努力しているはずです。その努力の程度が結果として出ているかは、別ですが。
で、そうやって努力しているのに、親や先生から「がんばって」と毎日言われたら、どうでしょう。
突き放された感じを受けたり、それまでの努力を否定された感じになると思います。
そしたら、やる気を失うことだって十分考えられるでしょう。

 ここで終わりにします。
これ以上書いても、具体例しか挙げられないし、余計わかりにくくするかもしれませんからね。
言いたいことがなんとなくでもわかってもらえれば、それでいいです。
ま、以上のような理由で、「がんばれ」「がんばって」という声掛けが、あまり好きではないのです、ということです。

 なんだか、読み返してみて、うまく説明できてない気がします。
でもこれ以上どうやって書いていいのかわかりません。
昔から書くことは苦手だったんです(^^;)
これでゆるして。

 最後に。
このテーマについて、みなさんはいろんな意見をお持ちだと思います。
でも、この場(や他の場)で議論するつもりはありません。
ぼくの意見が正しいなどとは思わないからです。
でも、参考として、みなさんの意見を聞かせてもらうことは大歓迎です。
よろしくお願いします。
あ、感情的なだけの意見は遠慮しますね。