コトワケの有る、人道智心、中庸。
宗教が、どの段階からねじ曲がってくるか、
<理>の抜けた、人情道徳にのみ過剰に偏重してくると、誇張された人情物語を宗教と認識してしまう。
人間が、さっぱり判ってないのが、この大多数好みの観念は、何のためにどのように使われてきたか。
百パーセントに近いほど、邪教カルト維持拡大の道具にされてきた。
スピリチュアルサークルに集合してくる人たちにも、個性と能力がある。
中心になるのは、霊能力を持つ、巫女、チャネラーの、より正確な霊界通信ではありますが、
それを、総合結果の現実と合わせて、より高度な客観理知へと学んでゆくことが、目的になります。
大きく分けて、チャネラー、哲学審神者、一般人のタイプがあります。
三者に共通した、目的は、<それぞれの人>が高度な理知を学んで積んでゆくことで、高次元のシンクロが可能になって、それが文明社会を構築してゆきます。
「自分は、なにも能力がない、無価値」感の人も、実質は、客観理性知、を育ててきた魂と同じ位置環境になります。
現実上、客観多次元視点、多角視点から、中庸意識を高め、ゆっくりと磨いてゆける立場でも有るわけです。
逆に、能力高い人は、なにがしかで、現世のいざこざに携わらずを得なくなるものです。
説明抜き参考に。
八股のオロチと八大龍王、
大蛇と、龍の違いとは。
クリストスと、ルシファーの、違いは。
尊と、神、
素戔嗚と、天照のお働きの違いは。
現世と無関係に思われる、神階のコトワケは、現世社会でも似ているのです。
精妙界の働きのコトワケが解かるようになりますと、現世の愚邪と賢明も見分けがついてきます。
しかし、当然のことながら、その球磨の道には、次元を測る定規と、コンパス失くしては、ほんの少しの横風でよろめき、転げまわります。
<理>のある人は、前述の課題も、リンガムの剣、杖からすんなりと説いてゆけます。
邪教カルトのたんなる虚飾エゴ思考回路の自動反応は、なんで「理と、リンガムと、杖と剣とが一緒くたになるのんか」怒。
「わけのわからん屁理屈こきやがる」怒。
「おれは、こんなやつみると、腹が立ってしかたね~」
ここに意識は釘つけされて、動きません。
これも自由な魂、磔刑象徴の一つでしょう。
さてこの論考も、現世の善悪、情動宗教信仰にしか解釈できない邪教カルト信者さんには、不向き無価値な屁理屈ですので、自分の信仰に一心になってここには無関心でいてください。