ひかりとしずく(虹の伝言)

勉強会や講演会、上映会のレポートなど主に載せています。

2011年 初春の頃に思うこと

2011-01-22 | 季刊誌なな色メールより
今、シャーリー・マクレーンの『アウト オン ア リム』を読んでいます。そこには、寛容さが大切とあり、相手に自分と同じように考えてほしいと思っても、相手は自分のレベルにまだ到達していなかったら、許して待っていること、とありました。
また、別のはづき虹映氏の本でも、“あるがままを受け入れる”とあり、今ここ数年、私はそれができなくて苦しんでいる状態だと気づき、でも、受け入れられなくて考えているところです。

実は昨年の出来事ですが、長女が動物愛護のウェブ上のサークルの脱退を強制し友人関係でトラブルを起こし、私と同じ問題を抱えているとわかったのでした。このサークル、動物実験に反対する活動もしているそうです。
長女は意地になって肉を食べない主義を通しています。代わりに大豆製品を使って作りわけをしていますが、義母からあれやこれやと心配してなのでしょうが「食べろ食べろ」と言われるし、マクロビオティックな食事の事を説明するのですが、わかってもらえず困っています。

「魂の存在は、物理的には証明できないかも知れない。またその必要もない。私がその存在を信じれば、それは存在する、ということなのだ。ということは、私が認めれば、信じれば、すべてのことが私には事実となるのだ。たぶん私が山(ペルー)で学んだことは、このことなのだ。
限界を置かずにものを考えるということ。何事もあり得る、人は何でもできる、どこにでも飛んでいけるし、何にでもなれる。一人の人間の魂は、宇宙のすべてなのだ。この事実を悟るか否かは、私たち一人ひとりにかかっているのだ。
人間の悲劇は、私たち一人ひとりが神であるということを忘れてしまったことである。この事実を思い出せば、私たちは恐怖から解放されるのだ。恐怖がなくなれば憎しみも消える。恐怖から私たちは強欲になり、戦争や殺し合いをしているのだ。恐怖は私たちの人生を悪に駆り立てる元凶なのである。失敗、痛み、嘲り、孤独、人に嫌われないかと怖れ、自分自身を怖れ、死を怖れ、怖れることを怖れる――それが私たちの姿なのだ。恐怖はずる賢く、伝染性があって、ほんの小さな歪んだものの見方から、人の内面に忍び込み、私たちの人生全体に蔓延する。死は人間の最後だ、という考え方は、人間の最大の誤解だろう。もし、人間は本当の意味で死ぬことはない、常に次のチャンスがあるのだ、ということを知れば、この世に怖れることは何もない、ということを私たちは悟れるのだろう。私たちは今、物事を複雑に複雑に考えて我々が神の一部であるという単純なことを理解しようとしないのである。」

『アウト オン ア リム』からの抜粋です。
 


最近年末年始に子供たちと観たDVDを紹介したいと思います。まずは、

『リトル ミス サンシャイン』  

面白かったです。
主人公はオリーブちゃん。女の子としての成功を夢見ているちょっとポッチャリな小学生。彼女がミスコンに出場することになり、どこだっけ?田舎からカリフォルニアまで一家でオンボロ車で旅をするお話。その一家とは、成功術の本を書いて出版しようとしていて失敗している父親、ニーチェと夢のために口をきかない誓いを立てている引きこもりの兄、同性愛者で生徒にふられて自殺しそこなって鬱のおじさん、ヒッピーで女好きな不良おじいちゃんと料理の下手な明るいお母さん。
鬱のおじさんは大学の先生で博識なんだけど、成功術を説く父親とは反対意見が多くて仲悪いし、お母さんもこのお父さんの成功術の話にはうんざりで、幸せならそれでいいとオリーブに教えているし、不良のおじいちゃんは孫に早く沢山セックスしろってアドバイスしてるし、一緒に住むことになったおじさんに「地獄へようこそ」ってメモして見せるお兄ちゃんとか、ひっちゃかめっちゃか・・・。途中でおじいちゃん、何と永眠!してしまって、これが家族をピンチへとあわせるものの、一致団結して乗り越えて、さあ、エンディング!振り付けしたのはおじいちゃんだった踊りって・・・!!ミスコンぶっ壊しでしたが、心温まりました。会話がその人たちのアイデンティティを出していて楽しめました。

それと、

『私の中のあなた』 

(これ、先のと偶然主役の子が同じ子でアビゲイル・何とか、育っていてビックリ。)
白血病の姉のためにドナー用にと作られて生まれてきた妹アナ(11歳)が彼女の役どころ。長女のために仕事も辞めて闘病に必死になっている母親をキャメロン・ディアスが演じていて、家族がみな犠牲になって姉の治療が中心になっている家庭のお話。(実話だったと思います。)
主人公は姉の犠牲になりたくないと自分の体を守る権利を主張してドナーを拒否する訴訟を親相手に起こすのだけど、実は・・・それを本当に望んでいたのは、というお話。
わが子の死を怖れるばかりの母親、死は恥ずかしいものではない、と諭す判事や訴訟機関の間も仲の良い兄弟たち、主人公をそっと見守る父親、権利を守ることを正当だという持病のある弁護士、いろんな人間がいて、闘病中の姉の恋愛や、家族との写真を切り取って作った素敵なスクラップブックなどなど見所あり。
それを最後に母親にプレゼントして、「ママなら大丈夫。乗り越えられるわ。」って励ます死に行く子供。そう、彼女は家族を犠牲にしてまで生きたくなくて、苦しい病苦から静かな状態へと開放されたがっていたのです。死生観が問われます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 思えば一月の新月に祈った未... | トップ | 父と息子の深い絆  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

季刊誌なな色メールより」カテゴリの最新記事