買ってみたり、行っ食べたり

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しゃぶしゃぶを食べた

2012年10月30日 | 食べたもの
買い物に出た時など、自然と歩くので夕方になれば腹がへる。
腹がへれば何か食べたくなる。
僕は“ 主婦 ”ではないものの、その時最初に頭に浮かぶのは、
“ ジャーに残っているご飯の量と、保温の経過時間 ”

このまま外食して、残ったご飯が無駄にならないだろうか?

その日は、家を出る時から保温ジャーのふたはパカッと開いていた。

だから、何の問題も無い。


と言うことで、色々なジャンルの食べ物屋さんに詳しい人からの情報をもとに
「 しゃぶしゃぶ 」と食べに行くことにした。
場所はどこになるのだろう? 横川だろうか、楠木だろうか。
一見すると、しゃぶしゃぶ屋というより、ひと昔前の“ 喫茶店 ”の外観。

やや早目なので、予約なしでスムーズに席に着けた。

メニューを見れば、ランチ、ディナーともに鍋のコースの直球勝負。
テーブルにもカウンター席にも、一人づつ鍋用のヒーターが埋め込まれている。
皆で大きな鍋をつつくのではなく、一人一人が好きなメニューを選び、
自分で好きなように食べることが出来る。 これはイイ。
しゃぶしゃぶが食べたければ、豚か牛のどちらかを選択。
スキヤキもある。どれを選んでも、一人一人が自分の鍋で作って食べる。

スキヤキにしようか豚しゃぶにしようか迷ったあげく、まずは豚しゃぶにした。

それぞれのコースにバリエーションがあり、豚と牛とでもやや値段が違う。
メニューの柱はシンプルだが、選択肢はかなり広い。


最初のサラダ、野菜類と豚肉、餅とうどん、ご飯、以上で2,300円。
因みにご飯は雑炊にも出来る。 量的には「 もう十分 」
「 とにかく肉が食べたい 」なら、追加も出来る。


で、


肉が美味しい。 これに尽きる。

肉とか魚(特に刺身)、野菜など、シンプルなメニューは素材が一番。



最近と言っても一年以上前だが、しゃぶしゃぶ60分食べ放題に行った。
豚しゃぶ・牛しゃぶ・その他まとめて食べ放題。
それなりに美味しくはいただいたが、あくを取るのが大変だった。
変な色をした泡のようなドロのようなものがブクブクと発生して、
鍋の中の出汁の表面は、油とも何とも言えないもので覆われてしまう。


今回の豚しゃぶ、これが全然ない。 不思議な感じがした。
( それとも、豚はあんまり アク が出ないの? )



「 あなた、そんなに驚く事じゃございませんことですわよ。
当たり前じゃ、ありませんか。 そもそも、アクって何ですの? 」

と、セレブな奥様に突っ込まれそうだが、
しゃぶしゃぶ = 食べ放題 という感覚の僕にはサプライズであった。



食事が進むと、ネギと塩コショウが入れてある空の器が出された。
どうやら、しゃぶしゃぶした後の出汁を入れてスープにするみたい。

ここでも、今までの感覚で考えてしまう。
「 残ったダシは、風呂の残り湯のようなもので飲むものでは無い 」 と

これまた大きな間違い。



見事な「 豚足スープ 」 いや、それ以上の味であった。


実は、このスープに一番感動してしまった。 意外だった
この日、一番美味しかったのはこのスープと言っても過言ではない。



ああ、美味しかった、 満足 満足 。

牛しゃぶの後のスープは、どんな味がするのだろう?
次は、モ~絶対に “ 牛 ” にしよう。


そんなお話しでした。

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本日の余談(野球とサッカー)

2012年10月29日 | 余談
まず最初に申し上げておきます。
決して熱狂的なファンとかサポーターではありません。
ですから、あれこれと口にするのは、少しはばかられるのですが、
特に深い話をしようと言うわけではないのです。

広島に住んでいると、カープとサンフレは普通の存在になっちゃいます。

テレビのCMで、片方の人がもう一人の人に、ガンダムの事で熱く語りかけ、
当たり前のように何かを尋ねた時の答が、
「 皆が皆、ガンダムのファンと言うわけではないのですよ 」
と言う感じの内容でした。

いやいや、久々に共感しました。ナイスなCMだと思いましたね。

( でも、何のCMか覚えてないので、すみません )


同じ様に、広島ではカープとサンフレが当たり前 とは言い切れませんが、

“ 多数派 ” には違いありません。


でも、 “ 町をあげて! ” でも無いんですね。

このへんが、微妙なところです。


冷めているわけでも無いし、無関心なわけでも無い。
いざとなれば、広島の スピリット として燃え上がるんですが、
普段は寛容と言うか客観的と言うか、そんな立ち位置でいるような気がする。

イマイチ、上手く言えないのですが・・・・


今、サッカーの専用施設を広島に作ろう、という話が上がっています。
署名もしました。でも、心の中では、「 まあ、すったもんだの末、
結局は旧市民球場の跡地に出来るんだろうな・・」 と漠然と思い、
寛容と言うか客観的と言うか、そんな立ち位置で、見ているわけなんです。

まあ、

「 あれこれ言わずに、直ぐ作ればいいんですよ 」 そう思います。
作れる場所に作るのではなく、あればいい場所に作るのです。
優先順位をはっきりと決めて(強引に)進めないと、物事には必ず
賛否両論あるのですから、前に進みませんわね。
最初の優先順位さえ的を得ていれば、結果的には支持されるのでは。
新球場の建設の時はそうだったと思いますよ。


でも実際には、なかなか先に進まず、進んでも見た目がグレーなんですよね。

広島と言うところは、そんな場所なんですかね。



今日の余談は少し重かった。

困ったものだ。










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過去の内容を見た(反省こみ)

2012年10月26日 | 見たもの
ふと、一年前の事を確認したくて、その頃ここに書いたものを見直した。

ああ、恥ずかしい。

何が ? って、文章がトゲトゲだし、説明不足だし、一方的な書き方と言うか・・・
「 熱が入っている 」とか「 勢いがある 」とか言えなくもないが、
意味不明であったり、“ 何が言いたいのか ” がはっきりしないところは
文章として致命的。 もう一度そういった部分を手直ししようかとも思ったが
ただ単純に面倒くさいので止めることにした。 今後の反省点としようと思う。

もっと、軽妙で親しみやすい 書き方が出来ればいいのに、文字で自分の
伝えたいニュアンスを表現しようとすると、何故だが固く、難しくなってしまう。

会話なら、広島弁を使いながら、身振り手振りを交えて、笑ったり怒ったりしながら
コミュニケーションが出来るのに・・やはり、文章表現は難しく奥深い。



話はかわるが、

最近はよく文中に、 (笑) を入れる、 正確には、入れる人が多い。

僕の場合、ほとんど入れない。



これを 使う 使わない には、世代の違いの様なものがあるような気がする。

簡単に言えば、「 普通にうまく使える 」世代と、そうでない世代。
当然、うまくつかえる人は、その意味(ニュアンス)をうまく理解できる。

というより、「 そんな事をイチイチ考えない! 」が正解かも。



僕の場合、

文中に (笑) があると、考えてしまう。
その (笑)で、その人が何を言わんとしているのか?、はたまた
何をごまかそうとしているのか? その真意は?

まあ、この時点で完全にギャップの向こうに僕はいるわけです。

だから、自分の書く文章には、この (笑) は使えないんです。



そんなところも、なかなか「 軽妙で親しみやすい 」文章が書けない

原因なのかも知れませんね。



困ったものだ (苦笑い)

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本日の余談(生活習慣病の逆)

2012年10月25日 | 余談
本当に生活習慣というのは恐ろしい(ちょっと、おおげさかも)
遺伝と言うか体質というのも恐ろしい( 同 上 )
生活習慣 というのもある意味、遺伝ですかね。

努力しようとしても、中々出来ないのが生活習慣の改善。

まあ、そもそもが “ 習 慣 ” だから、変えるのは難しいもんね。

で、「 ああ、なるほど 」と思った事の一つが、
名前は忘れたけど、“ ちょい足し作戦 ”
例えば、普通に階段を上る時にその途中でわざわざ5段ほど降りて
また上がりなおす。そうすれば、今までの当たり前の運動エネルギーが
5%でも10%でも余分に消費されるという寸法。

簡単に言えば、「 もっと動け! 」のひと言だけど、
これを言っちゃあおしまい。出来ないからあれこれと姑息な手段を使って
なんとか楽をしようとするのが人間の性。

あえて、屁理屈を追加させてもらえれば、生活習慣病という言葉の中の
「 生活習慣 」とは、病気につながるネガティブな意味での習慣であり、
逆の生活習慣というのも、考えようによってはかなり意義のある、
キラリと光る「 習慣 」ではないでしょうか。


で、この “ ちょい足し作戦 ” 簡単なようで意外と難しい。

改めて、「 習慣というのは恐ろしい 」



もうひとつが “ ちょい残し作戦 ”

例えばお店で天ぷらを食べたとしましょうか、
見れば家の者はコロモを箸の先ではがして食べている。
「 天ぷらからコロモを取ったら天ぷらじゃあ無いじゃない・・ 」と。

ここまでは良いのだが、自分の場合、出された物は全部食べてしまう。
( 嫌いな物以外) どうにも残すことに抵抗があるわけ。
これも生活習慣と言うか、そんなもんなのでしょうかね。

もちろん、店の人に悪いとかというへんな気遣いの部分もあるにしても、
食べ物を残すのは  「  もったいない  」


例えばコンビニでサンドイッチを買って食べたとしましょうか、
三角形のサンドイッチ、普通はワンパックに二つと言うか、二切れというか
入っている。コーヒーでも飲みながらこのサンドイッチを食べる時、
ひとつ食べて、まず一息。 二つ目の半分あたりで、丁度「 腹八分目 」

そう。 ここで、やめておけばいいのです !

でも、食べちゃいます。 残せませんね・・捨てれませんね・・・



よく、「 今なら 20% 増量 」 とか書いてある商品があります。

これは同じ値段で、多めに入っている。

逆に、「 今こそ 20% 減量 」 をやってもらえませんかね。

同じ値段で、ひとまわり小さいパンとか 缶とか ペットボトルとか。


イイと思いませんか。

カップ麺なんかには、小さいのとノーマルとビッグがあるじゃないですか。


以前にも書いたかも知れないが、酒を飲んだ後のラーメンで、
その店のメニュー表には「 ハーフ 」が無いので、
「 すみませんが、ハーフにしてもらえませんか? 」と言ったら
「 うちに、ハーフはありまっせん! 」と断られてしまった。
ハーフだから安くしてと言う気は無かったし、こちらの言い方が
言葉足らずだったのかも知れないけれど・・・


結局、残さず食べましたよね。




ちょっと長くなりましたが、

そんなお話しでした。

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地鎮祭に行った

2012年10月22日 | 行った所
機会があり、ある地鎮祭に参列した。
これから家を建てる敷地の中央にテントを張り、祭壇を設け、よくあるパターン。


こういう時、日頃の教養が出てしまう。


“ 教養 ”と言ってしまうと、大げさかも知れないが、日頃から慣れ親しんで
いれば自然と身について当たり前の事が中々出来ていないということ。

「 二拝二拍手一拝 」とか神社にお参りする時、この張り紙を見ながら
そのとおりにするのだが、さてさて全国すべての神社が一緒なのだろうか?


神主さんからサカキを受け取り祭壇に供えるまでの、持ち方・手の返し・身のこなし
考えれば考えるほど頭の中はまとまらず、結局はぎこちない不完全な形で終わってしまう。

まあ、基本を身につけていればそれなりに “らしく” 出来るのだろうが・・・


平生往生 ですな。


滞りなく神事は進み、お神酒をいただくことになった。
小さな杯にほんのひと口のお酒が入れてあるだけなのに、残った酒を戻す器があって
「 最近は厳しいですから、余ったものはこれに入れてください 」 とのこと。


んん~ん・・ これは深い。


もちろん、運転するのなら「 酒(アルコール)を口にしてはいけない 」

でも(反論する気は無いが)、血中のアルコール濃度が規定値以下なら、
「 酔っていない 」のだから、全く問題は無い。

かと言って、ああだ こうだ と へ理屈をこねていると、歯止めが効かなくなり
飲酒運転を助長してしまう結果となる。


初詣や神事参拝などで、儀式的に口にするのは、そこまで固い事を言わなくても・・・
が、個人的な意見の一面で、もう一面では「 けじめが大事 」となる。


ただ日本人的には、こういう事に対して順応する力があるというか
割り切りが早いと言うか、こだわりが無いと言うか、無節操というか・・・
意外とすんなりと受け入れてしまうところがある。
だから、伝統とか儀礼にとらわれず “ 飲まずにぱっと捨ててしまう ”

もったいないでは無く、おかしいでも無く、すこし複雑な気持ち。



そもそも、

少し自虐的に言えば、日本人は信心深く“無い”部類に入ると思う。

しまった、話があらぬ方向にそれてしまいそうなので・・・ここまで。



結果的には、何事も 個人個人 の自覚の問題なんでしょうね。


そんなお話しでした。




 

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