このブログでは、映画『僕と世界の方程式』のネタバレをしています。
お読みいただく際には、十分にご注意ください。
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いやー面白かった。
感動方向での面白さ。後半はずっと泣いてた。
エイサ・バターフィールドの演技が良かった。
主人公・ネイサンは自閉症スペクトラム。
つまり、一般社会では生きづらいタイプの人間。
ただし図形には並外れた興味を示し、それゆえに数学は得意になった。
かつて英国の数学オリンピックの代表者に選ばれたことのある教師、マーティンの指導のもと、その才能を伸ばしていく。
マーティンは多発性硬化症を患い、数年後にはおそらく全身不随になる。
病気のことを気に病み、世間に背を向けている。
ネイサンもマーティンも、数学を媒介に世界に繋がり、数学という共通語で繋がっている。
彼らはある意味、似たもの同士なのだ。
数学オリンピックの代表候補に選ばれたネイサンは、台湾へと合宿に出かける。
選抜試験に通れば、彼は晴れて国の代表に選ばれる。
逆に言えば、試験に合格しなければ「落伍者」になるわけだ。
この合宿でネイサンは中国代表の少女、チャンと出会う。
関係者の姪という立場で、周囲からコネで代表入りしたのではと疑われるチャン。
自分の成功は家族のためだと言うチャン。
2人は少しずつ心を通わせていく。
単なる似たもの同士から、男女の恋愛へと。
ネイサンは、幼い頃に交通事故で父を亡くしている。
父が運転する車の助手席に座っていたネイサン。
事故当時のフラッシュバックが時折襲ってくる。
ネイサンは、まだその感情が何であるのか分かっていない。
ネイサンの母、ジェリーは、息子を指導するマーティンに心惹かれていく。
同じくジェリーに心惹かれるマーティン。
ネイサンがいない夜、2人でワインを飲み、なかば衝動的に唇を重ねる2人。
しかし、マーティンはジェリーに謝り、その場を後にする。
自分はやがて全身不随になる身。
そんな自分に、誰かを愛する資格はない。
冗談で自分の本心を隠し、治療薬(あるいは痛み止め)で不安を打ち消そうとするマーティン。
しかしある日、自分の中に潜む矛盾や不安が爆発し、壁紙を剥がし続け、涙にくれる。
壁紙を剥がす行為は、彼にとって「自分をさらけ出す」覚悟の表れだったのかもしれない。
ずっと毛嫌いしていたグループワークに参加し、自分の不安を告白する。
数学の才能を通じて、少しずつ世界とつながりを取り戻していくネイサン。
その原動力のひとつは、間違いなくチャンとの絆。
数学において特別な才能を示す2人は、しかし現実ではそれぞれの孤独と悩みを抱えている。
普段は変わり者の2人も、数学の世界では輝くことができる。
そして訪れる選抜試験。
ギリギリの結果ながら、ネイサンはなんとか代表に選ばれる。
しかし、ネイサンと同じく自閉症を抱える仲間の1人は代表から漏れる。
自傷行為でなんとか自我を保つ仲間を姿に呆然とするネイサン。
自分は特別な才能(ギフト)があると言われ続けてきたのに、代表から漏れれば「落伍者」と見なされる。
光と影。ネイサンは動揺する。
イギリスに戻り、いよいよ数学オリンピック本番の前日、ネイサンの部屋を訪れるチャン。
唇を重ねる2人。
しかし翌朝、2人で添い寝をしているところ叔父(中国代表の引率教師)に見つかり、激しく叱責されるチャン。
自分はコネで選ばれたのだと激高し、試験当日になって辞退を決意するチャン。
ネイサンの動揺は極限に達する。
試験開始。
問題文を読み進める中、父を亡くした事故当日のフラッシュバックに襲われるネイサン。
愛する者を失う悲しみを初めて自覚するネイサン。
父を失い、いままた愛する女性を失おうとしているネイサン。
自分にとって大切なものは何か?
ネイサンは立ち上がり、試験会場を後にする。
驚く試験官達を足止めしたのはマーティン。
決意に満ちたネイサンの目を見たら、止めることはできなかった。
そうジェリーに説明するネイサンに「ありがとう」とキスをして、息子を追いかけるジェリー。
ジェリーは、会場の近所にある中華料理店で呆然としているネイサンを見つける。
ネイサンは、自分と違って数学の才能がない母親を尊敬できず、亡くした父との思い出を追い続けていた。
しかし、チャンを愛することで、初めて「愛する者を失うこと」の意味を知り、「自分を愛してくれる人」の感謝を知る。
共に涙を流しながら抱き合う息子と母親。
ジェリーには数学の才能はない。
でも彼女は、人を愛することの意味を知っており、愛する人を失うことの意味も知っていた。
2人の間に、改めて親子の絆が作られる。
ずっと後部座席に座り続けていた息子、ネイサンが初めて助手席に座る。
母親が握るシフトレバーに手を重ねるネイサン。
エンドロール。
電車に乗りながら、楽しげに語らうネイサンとチャン。
彼らが乗った電車はどこに向かっているのだろう。
イギリス映画とひとくくりにしてしまうのは、ちょっとばかり危険な気もするけれど、思い込みも含めて言わせてもらえれば、どうやらイギリス映画と自分とは相性が良いみたい。
単純な家族賛歌でもなく、恋愛賛歌でもない。
この世界には、溢れる愛と同じくらい、溢れるほどの不幸や悲劇がある。
自分は不完全な存在であり、しかし他者もまた不完全である。
ディスコミュニケーションによって誰かを傷つけることもあるけれど、コミュニケーションによって世界とつながり、誰かを愛することができるかもしれない。
不幸と同じだけの幸運。
そのさじ加減がほんのちょっと「幸運」に傾くだけで、僕らは生きていけるのかもしれない。
あまりにも危ういバランスだけど、僕らは決して独りぼっちじゃない。
孤独の辛さから逃れることはできなくても、誰かとつながることで乗り越えて行けるかもしれない。
どこまでいっても確かなものはないけれど、だからといって全てを諦める必要もない。
そんな映画を僕は心から愛している。
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