ぐーたら日記

キルトの製作状況、猫の話、その他
つれづれ話

二日目

2017-03-28 07:00:26 | 旅の話

一人でゆっくり寝て起きたら朝ごはん、バイキングですがとにかく種類が沢山で本当に迷いましたが、

前日から食べすぎなので軽くパンにしました。そのご普段あまり食べられないトマトをお代わりしました。


 

ついでにごぼうサラダも取っちゃった!

そして出発、宿の人がおっきな手を振ってお見送り
 

そして今回のツアーのメインともいうべき、田老地区へ。
ここで防災ガイドのお話を聞きます。
 
見えているプレハブ小屋は仮設住宅ではなく、中でわかめなどを乾燥させているそうです。その向こうに見えるのはいま建設中の防波堤。田老には3つの防波堤があったのですが、二つは少し弱めに作られていたのでほぼ壊滅したそうです。
写真を撮っている場所は第一防潮堤の上。 

 

暫くお話を聞いた後津波遺構として残されている建物へ。ガイドさんはこのホテルの近くで民宿を経営していたそうです。
恐怖を覚えるほどのひどい揺れに車で近くの裏山の逃げたのですが、ものすごく静かで不気味で、でも一度3メートルの津波が来たあと、ちょっと帰ろうかと思うほどだったそうです。そこで実際に帰った人も多く、犠牲者が出ました。

話のあと実際にこの建物へ上がりました。

6階まで上がる途中
 
 

上の階はそのまま残っていて、お部屋にテレビが備え付けられ、このホテルの経営者が3階から撮影したという、映像を見せていただきました。津波の第1波は防波堤で見えません、もう大丈夫かと思った瞬間画面の左手から猛烈な波しぶきを立てて信じられないくらい大きな波がやってきました。カメラが下を向くとおばあさんが独りとぼとぼと歩いています。撮影者が必死に「津波が来てるぞ!早く早く!」と叫びますが、間に合ったのか間に合わなかったのか・・・・・その4分後すごいスピードで波が引いていきます。田老の町はこの4分間で壊滅しました。残った防波堤にぶつかった波が大きく盛り上がり防波堤を超えたのでした。この歩いていたおばあさんは一度おじいさんと逃げたのですが、おじいさんが寒いと上着を取りに帰宅したそうです。

以前から町の裏手にはあちこちに高台に上る階段が整備されています。学校の校庭にも波は来ましたが、先生が早くに判断して、一人ひとり勝手に避難させたそうです。
この映像はガイド曰く「盗撮されていなければテレビでもYouTubeでも見られないはずです」と撮影禁止でした。
昔から津波が多かった場所、それでも体験する人はほとんど初めてのこと。しかし昔からの備えがあったからこそ人的被害は比較的少なかったそうで、この地区はまた丈夫な防波堤を作ることにしました。町に大きな生コン工場ができて、ダンプや粉じんがすごくて鬱陶しいなあ、とは思うものの後のためと我慢しているともおっしゃってました。
防波堤の前には今道の駅を建設中で、住宅は高台に移転しました。その住宅団地はほとんどが平屋で、海が見えるようなところに立っています。6年も経ってしまいましたが、未だに復興したとは言えないと思います。
色々複雑な思いを感じました。 

 

今日は長くなったので続きはまた明日

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2 コメント

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おはようございます! (陽子)
2017-03-29 07:00:36
コスモス様
本当にそう思います。私も最初は物見遊山で被災地に行くなんて、と思いますが現地でなければできない経験でした。
返信する
こんばんわ~  (コスモス)
2017-03-28 19:47:42
もう6年、まだ6年~
テレビで見る復興の映像は、
一部分なのですねー
思い出すだけで胸が締め付けられ、
いまだに津波の映像は正視できません、
貴重なご旅行でしたね。
返信する

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