アオの国から~徒然日記~

TRPG&ゲーム感想・日々の感想・映画&アニメ&漫画感想・歴史(主に長宗我部関係)等、私的趣味の気の向くままに。

久礼城に行ってきました!佐竹一族の話も聞けた!!

2011-09-15 02:22:51 | 戦国
 9月11日の日曜日、中土佐町にある久礼城址に登ってきました。今回は土佐佐竹一族の会が主催で、一族ではありませんが、お邪魔させていただきましたvそれ以外にも佐竹氏が残してた貴重な史物を現ナマで見せてもらえたと言うラッキーなこともありました!!


 この日は久礼八幡宮のお祭りで、集合場所である久礼八幡宮では屋台の準備が進められており、佐竹一族の方は神社内で先祖供養の法要を行われておりました。その法要が終わると、いよいよ久礼城址に登ります!

 あ、佐竹一族とは…簡単に申しますと、戦国期に高知県高岡郡中土佐町久礼を中心に一帯を治めた佐竹氏の家系の方々でございます。この佐竹氏については関東から来た事は確からしいのですが、実は詳しい事はあまりよくわかっていないのです。確たる資料が見えるのは戦国期の三代のみ。久礼城主・佐竹義直は最初一条氏に仕えていましたが、その後長宗我部元親に仕え、義直の嫡男と、義直の弟・義秀の嫡男は元親から”親”の偏諱を受けてそれぞれ親辰(ちかとき)、親直と名乗っています。文武両道に優れた一族で元親にも気に入られ、佐竹親直は元親の三女・阿古姫を娶っています。
 しかしながら、長宗我部家改易のおり、佐竹親辰は大坂に逃れて寺子屋を開き久礼に帰ってくることはなく、佐竹親直は阿古姫と嫡男・仲次郎を伴って大坂の陣に参戦、諸説はありますが、八尾の戦いで討死しました。佐竹直系は久礼に残らず、一族の他の唯一手がかりとなりうる久礼八幡宮に奉納された物も宝永大地震によって津波で流され、わずか2点の史物を残すのみとなり、佐竹氏は歴史に埋もれてしまったのです…。


 さて、佐竹氏当主の居城であった久礼城は久礼中学校の裏山にあります。裏手に木の階段が設置されており、そこから城址巡りスタート!!途中までは木が伐採され、見晴らしが良い山道を歩きます。これがその道から取った写真。



 ここから久礼の街が一望できます。真下は中学校。真ん中のこんもりした森は久礼八幡宮のある森です。海にちょこんと並んでいる小さな島は双名島。これは鬼が運んだものと言われていて、ちょっと悲しい鬼のお話が伝わってます。この鬼は悪い鬼ではなくて良い鬼なのです。

 さて、木が伐られ見晴らしのいい眺めから一変、次は森の中に入っていきます。昨晩から明け方にかけて雨が降ったようで、下はだいぶぬかるんでいましたが、歩けない程度ではなかったので、これはこれで気持ちがいいくらいでした。そして、道の途中、案内役の方が大きな窪みをを指し、「こちらが本来の追手門があった登り口です。」と。



 この登城口の近くには碁盤の目の様に竪堀や堀切が走っているそうで、かなり防備に優れていたお城だったようです。しかも標高は100mを越えますから…攻めるにはかなりしんどい所にあったものです。どんどん進んでいくと二ノ段もあり、やがて詰の段に辿り着きました!!



 この詰の段には、漆喰を底に敷いた井戸や、土塁跡がまだ残っています。しかも土塁には石積みも見え隠れしていますの!!発掘調査では海側に望櫓、反対側には武器等を置く倉庫らしきものがあったそうです。詰自体は正方形と言うか長方形、でも今は木に囲まれていますが、中土佐町の四方を一瞥できる位だったと想像できます。…ああ、ロマン…。土塁を撮ろうとして状態が良さげなところに近づいたのですが、いきなり目の前に絡新婦が下りてきたので、撮るなと言う事か~!!と断念しました…。でも撮っておいたら良かったわ…。
 ちなみにこの久礼城では戦闘は行われていないそうです。一条氏に仕えながら早いうちから元親に内応し、西進してきた吉良親貞の軍に対して兵は出したものの、戦わずに和議を結んでいます。

 その後はもと来た道を引き返したのですが、佐竹氏に関する史物二点を見せていただけると言う事で、中土佐町役場に…!!年号の入った銅鑼と、佐竹義直さんの署名と花押が入った龍の銅板を見せてもらいましたっ!!これ、門外不出だそうですが、写真撮影O.Kでした(笑)。



 この龍はおそらく兜の前立てではなかったかと推測されているそうです。かなりデカい代物でした…。しかも長いし、これ兜に付けていたら相当重かったと思われます。長宗我部軍とは争いませんでしたが、その後の土佐統一戦や四国平定戦には参戦されています、はい。

 その後ははっきりとわかっている佐竹氏についての歴史レクチャーがありました。ちょこちょこ書いていますが、義直は早いうちから時流を読み、元親に内応していたこと、蓮池城を巡る戦いでは吉良親貞に対して一条方の武将として行動せず、西進してきた吉良軍とすぐに和議。その後長宗我部氏に臣従するにあたり、弟の義秀を人質として岡豊に送った。 その義秀は強弓の使い手で戦功を立て、元親もいたく気に入り、娘・阿古姫を義秀の嫡男に嫁がせた。義秀は久礼より西にある上ノ加江城の城主で、亡くなった後は息子の親直と阿古姫が城に住んだ。…元親も岡豊から遠く離れた久礼、しかも上ノ加江に嫁にやるのを心配してか、家臣の一人をお付きとして阿古姫に付かせ、その家臣・廿枝氏が住んだ場所が「ハチエダ」という小字名になったという話も聞きました。
 …ここにきて元親の親バカぶりが聞けたのは良かったかと(笑)。他家に養子に出した男子に家臣をつけるのはわかるけれど、娘に家臣をつけて嫁に出す話はあまり聞きません(笑)。ちなみに上ノ加江城址はもうすでになく、今はお寺になっています。



 城と言うより屋敷のような気もしますが…。山と山の谷あいにこのお寺はあります。少し小高い所なのでやはりここからも海が見えます。でも、非常にのどかな静かな場所でした。長宗我部家が改易となってから佐竹親直・阿古姫夫婦がどこに住んでいたかはわかりません。しかし、山内家が入ってから悉く長宗我部家の血筋は土佐から追い出されている事から、大坂の陣まで諸国を流浪していたかもしれません…。

 この佐竹親直と阿古姫との間にできた仲次郎。大坂の陣で親直は八尾の戦いで討死、大坂城で夫の帰りを待っていたが、戦いに敗れてから阿古姫は仲次郎を連れて大坂城からの脱出を試みます。が、とある陣営に捕えられます。その陣営は伊達政宗の率いる陣。政宗の前に母子は連れて行かれますが、政宗は仲次郎を気に入り、母子共に仙台まで連れて帰ります。この時、阿古姫の兄にあたる長宗我部盛親は斬首にされ、彼の妻や子は皆殺されています。そればかりか盛親の異母弟は直接大坂の陣に参戦していないものの、一族だからと言う理由だけで切腹させられています。長宗我部の血が根絶やしにされる中で、政宗は元親の娘と孫を護っています。
 その後、仲次郎は伊達家家臣の養子になります。最初は中級家臣の家柄でしたが、やがてその才能を認められて伊達家家老の柴田家に養子に入ります。最初は長宗我部一族の”親”を使い『朝親(ともちか)』と名乗っていましたが、やがて『朝意(ともおき)』と改名します。殺されてもおかしくなかった自分と母を救ってくれた政宗…伊達家に対しての恩義を感じていたのでしょうね…家老としてずっと誠心誠意、伊達家を支えていきます。そして、4代当主を巡って起きた伊達騒動。この時、仲次郎は伊達家を護る為に死にます。佐竹仲次郎…元服して後の名は柴田外記朝意。彼の位牌には佐竹家の家紋と、長宗我部家の家紋、柴田家の家紋の三つが刻まれているそうです。そして、彼の伊達家での存在によって、長宗我部家の女性の中で唯一、阿古姫だけが名前が判明しています。

 長くなりましたが、佐竹家と長宗我部家、伊達家の不思議な関係でした。この仲次郎について、伊達政宗と長宗我部元親の関係について、後日語りますよ~。


 あ、戦国とは全然関係ないんですけど、久礼からの帰り道、遠回りで帰ることになり、須崎市の横波スカイラインを通るついでにとあるところに寄りました!!



 武市半平太です(笑)。高知駅前にある奴ではなくて、横波スカイラインにある本物です(笑)。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (柚子葉)
2011-09-19 08:44:52
いつも楽しく読ませていただいてます
柴田外記が好きなので今回はとても嬉しいです
資料によって生年が違ったり、盛親の子供という説があったりと謎の多い人ですが、香宗我部氏を伊達家に仕官させたり、次男の名前が氏親なのを見ると長宗我部の誇りを最後まで忘れなかったのかな、と私は思います
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はじめまして!!いつもありがとうございます!! (坂崎)
2011-09-20 01:01:02
 つたない文章を読んで下さり、ありがとうございますv
 
 柴田外記については私も長宗我部氏を調べるまで、長宗我部氏の家系とは露知らず、昔にあったドラマで悲しい結末の方だと涙したものです(主人公は原田甲斐でしたが…)。
 諸説があるのは初めて知りましたが、佐竹氏の関係者が言うには、ブログにも書きましたが長宗我部家・佐竹家・柴田家の家紋が位牌にあると言う事で、佐竹親直と阿古姫の子と言うのはまず間違いないと思います。
 長宗我部家の誇り…元親とは年齢的にも会っていない可能性が高いですが、幼い頃より祖父や叔父達の事は聞いていたと思います。だからこそ、政宗の前に引きずり出されても臆することなく、政宗を見据えていたのではないか。私見ですが、そこにかつての蝙蝠殿の眼光を思い出したり、懐かしさがあって保護したのではないかと推測しています…。

 まだ柴田外記については勉強不足な部分もありますので、私も色々調べてみますね!!
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