(万場の鯉幟)
過去編更新しました。今年は寒い日が続いてようやく春らしくなってきたという感じがします。御荷鉾山へ登ったのはもう初夏の頃でしたが、山の上はまだ春爛漫といった雰囲気でした。春を感じる画像などをご覧下さい。
「父不見御荷鉾も見えず神流川 星ばかりなる万場の泊り」(尾崎喜八『神流川紀行』)。この一首にも歌われている御荷鉾山(みかぼやま)は、以前から行ってみたいと思っていた山だ。丸山や大霧山など奥武蔵の山からもその双耳峰は見つけやすい。ただ実際に行くとなるとアプローチが難しい。その上、多くの人が御荷鉾スーパー林道から登っているため、麓からの道の状況がわかりにくい。そのため長いこと計画を温めていたままだったのだが、2010年度版のエアリアを購入したのを機に計画を実行に移すことにした。
御荷鉾山はアプローチに難があり、日本中央バスの始発に間に合わせることは無理がある。2番バスは登山口となる法久へ到着するのが10時過ぎ、と山歩きには少し遅いが仕方が無い。新町駅発が9時過ぎなので、家を少し遅めに出る。高崎線の車窓からは北に行くにつれて山が見えてくる。荒川土手の向こうには富士山も見えたのが驚きだ。田園風景を抜けて神流川を渡ると間も無く新町駅だ。駅に着く手前からは御荷鉾山らしき丸っこい双耳峰も見えた。久しぶりの山歩きに心も躍る。
新町駅前は思ったよりも栄えている。綺麗に整備されたターミナルには屋根つきのバス乗り場がある。先客は一人だけだ。少し待つと小さいが新しいバスがやって来た。座席数が少ないがそれほど利用する人はいないのだろう。運転手から土休日限定の一日フリー乗車券を購入する。1500円なのでそれ以上乗る人であればお得だ。私も600円(実際は帰路群馬藤岡駅までだったので500円)得する計算だ。高崎市と飛び地合併した新町を出発するとまずは藤岡市だ。田園地帯の中に商業施設が点在し、車が行き交う。過疎とはまだ無縁のようだ。群馬藤岡駅に立ち寄るとバスは山へと向かっていく。左手は秩父の山々だろう。右手には浅間山の姿も見える。まだ山には筋となって雪が残っている。三名湖への道を分けるといよいよ山間部へと入っていく。この辺りはかつて鬼石町だったところだ。神流川の対岸は神川町と秩父市。八塩温泉や桜山公園など観光地が多い。やがて目の前に大きな湖が見えてくる。神流湖(下久保ダム)だ。道は湖の北を更に進む。この辺りは崩落箇所が多いのか、片側通行になっている。NHKの番組でも有名となった太田部を過ぎるとようやく法久(ほっく)だ。バス停と雨避けの小屋があるだけで、どこに集落があるのだろう?小屋で準備をしようと中に入ると蜘蛛の巣だらけだ。利用する人が少ないことが窺える。
(万場法久バス停から神流川)
(万場法久バス停)
猛スピードで行き交う車を避けて簡易トイレ脇の道を上がっていく。簡易舗装はされているが殆ど山道だ。沢沿いを急傾斜の道が続く。ここのところ降った雨の影響なのか、沢の流れが速く、一部はまるで滝のようだ。2007年の台風の際に法久の集落から流れてきたのか、沢にはゴミが散乱しているところもある。樹林が切れて前方が明るくなってくると法久の集落だ。桃や桜の花が彩りを添えている。集落内の道は舗装され、住んでいる人も多いようだ。地形図を見ると左へ舗装路を進んで沢の右岸へ出るようだが、集落の道標には右へ進むように書かれている。エアリアの「みかぼ山 山頂まで4.5キロ」とはこのことらしい。道標に従って民家の中を進む。コカコーラの古びた看板が掛けられた家があり、かつてはハイカー相手の商売でもしていたのかもしれない。民家を抜けると公民館があり、傍の桜が綺麗だ。写真に収めようとしたら「カードに異常があります」と出て保存できない。何てこった。とりあえず携帯電話のカメラに収めることにする。公民館の脇を通ろうとすると玄関前に御婆さん達が集まっている。寄り合いでもあったのかと思っていると、藤岡市長選挙の看板が目に入った。そうか選挙の日だったのか。話の邪魔をせずに通り過ぎようとすると、「みかぼに行くのかい?」と声を掛けられた。先月登ったときはまだ積雪が30センチもあって大変だったらしい。道を聞くとこのまま登っていけばよいとのことであった。お礼を言って先へ進む。
(法久へ続く沢)
(法久に咲く水仙)
(法久の集落)
(集落の道標)
(公民館脇の道)
依然として集落内を進むとピンクの道標が現れた。東御荷鉾山へはこの道標を目安に進んでいけば間違いない。集落が終わると林道に出る。一瞬どちらに行くのか迷うが、エアリアに描かれたとおりに進むと道標が出てくる。これに従って舗装路を進むと上部に開けた広場がチラチラと見える。おそらく馬の放牧場だろう。上がっていくと糞の臭いがしてきた。見ると建物があり、前には数台の車が停まっている。車の中に恐そうな顔をした小父さんがいるが、そのままゲートを跨いで進んでいく。一瞥されたが特に怒られることはなかった。道はここから再び山道となる。道端には馬の糞が無造作に置かれていた。思わず踏んでしまうところだった。この辺りは植林ばかりで展望は無い。比較的傾斜が緩く、木を植えるには丁度良いのだろう。作業道が交錯しているところがあり、迷いそうだ。「平成20年云々…」と書かれた標柱のある辺りでは立派な道が分かれているが、右手に上がっていく道を少し進むとピンクの道標が立っている。道標以外に余計な物は立ててほしくないのだが…。雑木林も混じるようになってきたが、まだ新緑には早い。地形図に描かれた林道と林道の間の山道に合流したところなのだろう。少しジグザグに高度を上げていく。確かに踏み跡は薄い。ただ要は林道に出ればよいだけのことなので、それほど心配は要らない。一応コンパスで確認するとほぼ真北に向かって道は延びている。傾斜が緩むと林道らしきガードレールが見えてきた。踏み跡はまだ続いているが、さて何処から上がろうか。薄い踏み跡を進むと明るい雑木林に出た。葉が茂ればさぞ美しいことだろう。雑木林を進むと林道から下りてくる作業道にぶつかる。この作業道を上がり、林道に出ることにした。
(ピンクの道標)
(雑木林の中を進む 踏み跡は消えがち)
林道に上がると東に山が見える。雨降山か?いや大鳥谷山(968)らしい。保存ができなくなっていたカメラをここで点検してみる。カード自体は読み込んでいるので、古いファイルをいくつか消してみることにした。大鳥谷山へ向けてシャッターを押してみる。すると保存できた。これでまた記録を取ることができる。ここからはこの御荷鉾スーパー林道を西に進む。少し進むとあのピンク色の道標が立てられている。作業道を上がらなくても出られたようだ。林道には山火事注意の幟がやけに目立つ。しばらくすると目の前に丸いピークが見えてきた。おそらく東御荷鉾山だろう。登るにはきつそうな山だ。さて石神峠は何処だろう。エアリアには作業用道路を進むとある。すると前方に見覚えのある看板が見えてきた。関東ふれあいの道の看板だ。そしてあの木製の道標もある。妹ヶ谷不動へ下る道らしい。地形図ではこの辺りが石神峠とされているので、一先ず下ってみる。少し不安げなトラバースを過ぎると紫色の花が点々と咲いているのに気付く。カタクリの花だ。見回すと群落になっている。人が通らないので盗掘を免れているのだろう。下っていっても群落はまだ続く。するとまた道標だ。やはり妹ヶ谷不動尊と書かれている。この道はどうも違うようだ。林道に戻ることにする。
(大鳥谷山)
(東御荷鉾山)
(カタクリ)
林道を更に西に進む。頗る展望が良い。対岸に見えるので塚山方面だろうか。二子山らしき岩峰も見えたので、父不見山なども見えているのかもしれない。少し進むと「御荷鉾山登山道のご案内」なる看板が現れた。ここまで来れば良かったのか。確かに作業用と思われる舗装路を進むと東御荷鉾山のピークが見えてきた。まだ遠い。林道脇に道標が立っており、そこから尾根に上がる。雑木林の中にポツンと植林帯があり、ピンクの道標が立っている。辺りを見回すと手製のプレートがあり、東に下る尾根方向に石神峠と書いてある。峠は林道開削によって破壊されてしまったのだろうか。山頂方面へは果てしなく続く雑木林だ。葉が茂ればより快適な道となるだろう。但し山頂までは300mの標高差がある。地形図を見ただけでも嫌になるほどの急坂だ。喘ぎながら山頂を目指す。急坂に飽き始める頃「四十六丁目」と書かれた石碑を見つける。丁目石が置かれているらしい。一つ一つ追いながら進むと49丁目で傾斜が緩くなる。大分山頂に近づいたのか?50丁目を過ぎると二基の石塔が見えてきた。人為的に作られた石段を上がると東御荷鉾山山頂(1246.0)である。エアリアには360°の展望と書かれているが、実際には南面が樹木越しに見える程度だ。木が茂れば展望は得られなくなるだろう。とりあえず休憩を取る。時間は12時半を過ぎたところ。エアリアは甘すぎるコースタイムだろう。
(スーパー林道から父不見山方面)
(49丁目石)
(東御荷鉾山頂)
(東御荷鉾山のパノラマ)
西御荷鉾山へは釜伏山の南を巻いて投げ石峠へ下り、登り返すことになる。まずは雑木林の中を下る。枝の間から見える丸いピークは西御荷鉾山だろう。結構な急坂だが怖さはない。鞍部に下りると植林の中に入る。道は釜伏山を巻くのだが、随分と荒れている。3ヶ所倒木によってトラバース道が寸断されている。場合によっては釜伏山を越えていったほうがよいかもしれない。エアリアには展望が良いとされている箇所があるが、これも木が伸びてしまって、今は無いようだ。石投げ峠へは崖地を見下ろしながら下っていく。スーパー林道に下りると青崩と書かれた崩壊地に出る。崩壊地を横目に過ぎると投げ石峠(1015)だ。二人の小父さんがいて、情報交換をする。彼らは西から逆コースで来たらしく、50人以上いる団体と擦れ違ったと言う。法久集落からは人に会わなかっただけに不思議な感じを受けた。小父さん達が林道を西に向かうのを見送ってから西御荷鉾山を登り始める。
(右の山が西御荷鉾山)
(途中展望の得られる所もある)
(投げ石峠)
東と異なり、植林帯の中を進む。最初こそなだらかだが、直ぐに土留めの木段のある急坂となる。木段もきついが、木段の無いところでもやはりきつい。切れては現れる木段を登っていくと次第に前方が開けてきた。人の姿も見える。息を切らせて上がると芝草の広場に出た。西御荷鉾山山頂(1286.2)だ。東と比べるとずっと展望が良い。北側は雪を被った浅間がやけに目立つ。手前の凸凹とした山は妙義山だろう。軽井沢の山と榛名山の間には雪を被った山が薄ぼんやりと見えている。朝方ならもっと綺麗なのだろう。南側は塚山と父不見山、二子山に両神山が見えている。塚山の背後には武甲山の削られた姿も見ることが出来た。西の端に見える三角形の山は甲武信ヶ岳か木賊山だろうか。先ほど見えた人影は軽装の小父さん二人で、滝の話を聞かれたが全く分からなかった。のんびりと昼食を取り、下山ルートを考える。当初は西に下る予定だったが、大の字に刈り込まれた南に下りるのも面白そうだ。
(土留めの木段)
(東御荷鉾山を振り返る)
(西御荷鉾山頂)
(珍しく記念写真)
(西御荷鉾山からのパノラマ北側)
(西御荷鉾山からのパノラマ南側)
親子連れが上がってきたので山頂を後にする。不動明王像の立つロープの張られた辺りから急坂を下る。観光客向けなのかトラロープが煩い。ロープが終わると大の字の横に出る。下を見ると延々と長い木段が続いている。大の字は横からでは分かりにくい。木段を下っていると中高年のご夫婦が上がってきた。小母さんのほうはかなりきつそうだ。確かにこの登りはきつい。木段が終わると小石が散乱する急坂となる。植林の中を下っていくと南登山口に出た。林道脇には大きな駐車場がある。2台の車が停まっていたので、親子連れとご夫婦のものだろう。ここからは延々と車道歩きだ。
(不動明王像)
(大の字からかんなゴルフカントリー)
(南登山口への下り)
(南登山口の駐車場)
西登山口からはみかぼ高原荘へと下り、桐ノ城山分岐を見送ると高原荘の敷地が見えてきた。敷地には桃の木が植えられ、ちょうどこれから花の盛りを迎えるところであった。桃以外にも山桜やミツバツツジがまさにこれから咲かんとしている。GWの頃は花で満開となることだろう。高原荘の入口を見送ると西御荷鉾山の大の字が見えてきた。はっきりと見えるにはちょっと難しい位置のようだ。ゴルフ場を過ぎると花桃も無くなり、無味乾燥な車道歩きが続く。
(桐ノ城山分岐)
(みかぼ高原荘)
(ミツバツツジ)
(みかぼ高原荘の敷地から西御荷鉾山の大の字を望む)
(花桃)
(桜)
対岸の山が遥か上に見えるようになる頃、万場に到着。国道を挟んだ先にはかの有名な鯉幟の大群が見える。どうせバス時間には間に合うまい。ゆっくりと神流川へ下りてみることにする。寂れた万場の商店街を抜けると川沿いの遊歩道に出た。頭上には色とりどりの鯉幟。対岸には桃やミツバツツジが植えられ、木が大きく育てば彩を添えるに違いない。人道橋の上に立つと鯉に模った芝桜も植えられている。過疎の進む町の頑張りを感じる光景であった。万場のバス停で待っていると地元の子供達に挨拶される。秩父といい、万場といい、子供達が元気なのが良い。1時間ほど待ってバスに乗り込む。ついウトウトしてしまいがちだが、帰りは群馬藤岡駅で降りる予定だ。山を離れると西日に浅間山のシルエットが浮かぶ。この光景を見て暮らす人々が羨ましい。群馬藤岡駅に着くと高崎駅へ向かい、お土産を買って帰途に着いた。
(万場の鯉幟)
(鯉を模った芝桜)
西上州の中では比較的安全な山です。スーパー林道から登るのであれば初心者向け。西から東へと歩くのが楽だと思います。
2012年度版エアリアを見ると妹ヶ谷不動尊への道が破線路で、桐ノ城山から石尊山(954)を経て万場へ下る道が実線路で描かれているので、通行は可能なようです。
DATA:
新町駅(日本中央バス63分)10:11法久~11:34スーパーみかぼ林道~11:40石神峠~12:31東御荷鉾山~13:13投げ石峠
13:48西御荷鉾山~14:25南登山口~14:41桐ノ城山分岐~14:58みかぼ高原荘~16:05万場町~16:30万場バス停
(日本中央バス63分)群馬藤岡駅
日本中央バス 新町駅~法久 1000円 万場~群馬藤岡駅 1000円
なおバス車内で一日フリー乗車券(1500円)が購入できます
地形図 万場
2010年度版 山と高原地図「西上州」
過去編更新しました。今年は寒い日が続いてようやく春らしくなってきたという感じがします。御荷鉾山へ登ったのはもう初夏の頃でしたが、山の上はまだ春爛漫といった雰囲気でした。春を感じる画像などをご覧下さい。
「父不見御荷鉾も見えず神流川 星ばかりなる万場の泊り」(尾崎喜八『神流川紀行』)。この一首にも歌われている御荷鉾山(みかぼやま)は、以前から行ってみたいと思っていた山だ。丸山や大霧山など奥武蔵の山からもその双耳峰は見つけやすい。ただ実際に行くとなるとアプローチが難しい。その上、多くの人が御荷鉾スーパー林道から登っているため、麓からの道の状況がわかりにくい。そのため長いこと計画を温めていたままだったのだが、2010年度版のエアリアを購入したのを機に計画を実行に移すことにした。
御荷鉾山はアプローチに難があり、日本中央バスの始発に間に合わせることは無理がある。2番バスは登山口となる法久へ到着するのが10時過ぎ、と山歩きには少し遅いが仕方が無い。新町駅発が9時過ぎなので、家を少し遅めに出る。高崎線の車窓からは北に行くにつれて山が見えてくる。荒川土手の向こうには富士山も見えたのが驚きだ。田園風景を抜けて神流川を渡ると間も無く新町駅だ。駅に着く手前からは御荷鉾山らしき丸っこい双耳峰も見えた。久しぶりの山歩きに心も躍る。
新町駅前は思ったよりも栄えている。綺麗に整備されたターミナルには屋根つきのバス乗り場がある。先客は一人だけだ。少し待つと小さいが新しいバスがやって来た。座席数が少ないがそれほど利用する人はいないのだろう。運転手から土休日限定の一日フリー乗車券を購入する。1500円なのでそれ以上乗る人であればお得だ。私も600円(実際は帰路群馬藤岡駅までだったので500円)得する計算だ。高崎市と飛び地合併した新町を出発するとまずは藤岡市だ。田園地帯の中に商業施設が点在し、車が行き交う。過疎とはまだ無縁のようだ。群馬藤岡駅に立ち寄るとバスは山へと向かっていく。左手は秩父の山々だろう。右手には浅間山の姿も見える。まだ山には筋となって雪が残っている。三名湖への道を分けるといよいよ山間部へと入っていく。この辺りはかつて鬼石町だったところだ。神流川の対岸は神川町と秩父市。八塩温泉や桜山公園など観光地が多い。やがて目の前に大きな湖が見えてくる。神流湖(下久保ダム)だ。道は湖の北を更に進む。この辺りは崩落箇所が多いのか、片側通行になっている。NHKの番組でも有名となった太田部を過ぎるとようやく法久(ほっく)だ。バス停と雨避けの小屋があるだけで、どこに集落があるのだろう?小屋で準備をしようと中に入ると蜘蛛の巣だらけだ。利用する人が少ないことが窺える。
(
(
猛スピードで行き交う車を避けて簡易トイレ脇の道を上がっていく。簡易舗装はされているが殆ど山道だ。沢沿いを急傾斜の道が続く。ここのところ降った雨の影響なのか、沢の流れが速く、一部はまるで滝のようだ。2007年の台風の際に法久の集落から流れてきたのか、沢にはゴミが散乱しているところもある。樹林が切れて前方が明るくなってくると法久の集落だ。桃や桜の花が彩りを添えている。集落内の道は舗装され、住んでいる人も多いようだ。地形図を見ると左へ舗装路を進んで沢の右岸へ出るようだが、集落の道標には右へ進むように書かれている。エアリアの「みかぼ山 山頂まで4.5キロ」とはこのことらしい。道標に従って民家の中を進む。コカコーラの古びた看板が掛けられた家があり、かつてはハイカー相手の商売でもしていたのかもしれない。民家を抜けると公民館があり、傍の桜が綺麗だ。写真に収めようとしたら「カードに異常があります」と出て保存できない。何てこった。とりあえず携帯電話のカメラに収めることにする。公民館の脇を通ろうとすると玄関前に御婆さん達が集まっている。寄り合いでもあったのかと思っていると、藤岡市長選挙の看板が目に入った。そうか選挙の日だったのか。話の邪魔をせずに通り過ぎようとすると、「みかぼに行くのかい?」と声を掛けられた。先月登ったときはまだ積雪が30センチもあって大変だったらしい。道を聞くとこのまま登っていけばよいとのことであった。お礼を言って先へ進む。
(法久へ続く沢)
(法久に咲く水仙)
(法久の集落)
(集落の道標)
(公民館脇の道)
依然として集落内を進むとピンクの道標が現れた。東御荷鉾山へはこの道標を目安に進んでいけば間違いない。集落が終わると林道に出る。一瞬どちらに行くのか迷うが、エアリアに描かれたとおりに進むと道標が出てくる。これに従って舗装路を進むと上部に開けた広場がチラチラと見える。おそらく馬の放牧場だろう。上がっていくと糞の臭いがしてきた。見ると建物があり、前には数台の車が停まっている。車の中に恐そうな顔をした小父さんがいるが、そのままゲートを跨いで進んでいく。一瞥されたが特に怒られることはなかった。道はここから再び山道となる。道端には馬の糞が無造作に置かれていた。思わず踏んでしまうところだった。この辺りは植林ばかりで展望は無い。比較的傾斜が緩く、木を植えるには丁度良いのだろう。作業道が交錯しているところがあり、迷いそうだ。「平成20年云々…」と書かれた標柱のある辺りでは立派な道が分かれているが、右手に上がっていく道を少し進むとピンクの道標が立っている。道標以外に余計な物は立ててほしくないのだが…。雑木林も混じるようになってきたが、まだ新緑には早い。地形図に描かれた林道と林道の間の山道に合流したところなのだろう。少しジグザグに高度を上げていく。確かに踏み跡は薄い。ただ要は林道に出ればよいだけのことなので、それほど心配は要らない。一応コンパスで確認するとほぼ真北に向かって道は延びている。傾斜が緩むと林道らしきガードレールが見えてきた。踏み跡はまだ続いているが、さて何処から上がろうか。薄い踏み跡を進むと明るい雑木林に出た。葉が茂ればさぞ美しいことだろう。雑木林を進むと林道から下りてくる作業道にぶつかる。この作業道を上がり、林道に出ることにした。
(ピンクの道標)
(雑木林の中を進む 踏み跡は消えがち)
林道に上がると東に山が見える。雨降山か?いや大鳥谷山(968)らしい。保存ができなくなっていたカメラをここで点検してみる。カード自体は読み込んでいるので、古いファイルをいくつか消してみることにした。大鳥谷山へ向けてシャッターを押してみる。すると保存できた。これでまた記録を取ることができる。ここからはこの御荷鉾スーパー林道を西に進む。少し進むとあのピンク色の道標が立てられている。作業道を上がらなくても出られたようだ。林道には山火事注意の幟がやけに目立つ。しばらくすると目の前に丸いピークが見えてきた。おそらく東御荷鉾山だろう。登るにはきつそうな山だ。さて石神峠は何処だろう。エアリアには作業用道路を進むとある。すると前方に見覚えのある看板が見えてきた。関東ふれあいの道の看板だ。そしてあの木製の道標もある。妹ヶ谷不動へ下る道らしい。地形図ではこの辺りが石神峠とされているので、一先ず下ってみる。少し不安げなトラバースを過ぎると紫色の花が点々と咲いているのに気付く。カタクリの花だ。見回すと群落になっている。人が通らないので盗掘を免れているのだろう。下っていっても群落はまだ続く。するとまた道標だ。やはり妹ヶ谷不動尊と書かれている。この道はどうも違うようだ。林道に戻ることにする。
(大鳥谷山)
(東御荷鉾山)
(カタクリ)
林道を更に西に進む。頗る展望が良い。対岸に見えるので塚山方面だろうか。二子山らしき岩峰も見えたので、父不見山なども見えているのかもしれない。少し進むと「御荷鉾山登山道のご案内」なる看板が現れた。ここまで来れば良かったのか。確かに作業用と思われる舗装路を進むと東御荷鉾山のピークが見えてきた。まだ遠い。林道脇に道標が立っており、そこから尾根に上がる。雑木林の中にポツンと植林帯があり、ピンクの道標が立っている。辺りを見回すと手製のプレートがあり、東に下る尾根方向に石神峠と書いてある。峠は林道開削によって破壊されてしまったのだろうか。山頂方面へは果てしなく続く雑木林だ。葉が茂ればより快適な道となるだろう。但し山頂までは300mの標高差がある。地形図を見ただけでも嫌になるほどの急坂だ。喘ぎながら山頂を目指す。急坂に飽き始める頃「四十六丁目」と書かれた石碑を見つける。丁目石が置かれているらしい。一つ一つ追いながら進むと49丁目で傾斜が緩くなる。大分山頂に近づいたのか?50丁目を過ぎると二基の石塔が見えてきた。人為的に作られた石段を上がると東御荷鉾山山頂(1246.0)である。エアリアには360°の展望と書かれているが、実際には南面が樹木越しに見える程度だ。木が茂れば展望は得られなくなるだろう。とりあえず休憩を取る。時間は12時半を過ぎたところ。エアリアは甘すぎるコースタイムだろう。
(スーパー林道から父不見山方面)
(49丁目石)
(東御荷鉾山頂)
(東御荷鉾山のパノラマ)
西御荷鉾山へは釜伏山の南を巻いて投げ石峠へ下り、登り返すことになる。まずは雑木林の中を下る。枝の間から見える丸いピークは西御荷鉾山だろう。結構な急坂だが怖さはない。鞍部に下りると植林の中に入る。道は釜伏山を巻くのだが、随分と荒れている。3ヶ所倒木によってトラバース道が寸断されている。場合によっては釜伏山を越えていったほうがよいかもしれない。エアリアには展望が良いとされている箇所があるが、これも木が伸びてしまって、今は無いようだ。石投げ峠へは崖地を見下ろしながら下っていく。スーパー林道に下りると青崩と書かれた崩壊地に出る。崩壊地を横目に過ぎると投げ石峠(1015)だ。二人の小父さんがいて、情報交換をする。彼らは西から逆コースで来たらしく、50人以上いる団体と擦れ違ったと言う。法久集落からは人に会わなかっただけに不思議な感じを受けた。小父さん達が林道を西に向かうのを見送ってから西御荷鉾山を登り始める。
(右の山が西御荷鉾山)
(途中展望の得られる所もある)
(投げ石峠)
東と異なり、植林帯の中を進む。最初こそなだらかだが、直ぐに土留めの木段のある急坂となる。木段もきついが、木段の無いところでもやはりきつい。切れては現れる木段を登っていくと次第に前方が開けてきた。人の姿も見える。息を切らせて上がると芝草の広場に出た。西御荷鉾山山頂(1286.2)だ。東と比べるとずっと展望が良い。北側は雪を被った浅間がやけに目立つ。手前の凸凹とした山は妙義山だろう。軽井沢の山と榛名山の間には雪を被った山が薄ぼんやりと見えている。朝方ならもっと綺麗なのだろう。南側は塚山と父不見山、二子山に両神山が見えている。塚山の背後には武甲山の削られた姿も見ることが出来た。西の端に見える三角形の山は甲武信ヶ岳か木賊山だろうか。先ほど見えた人影は軽装の小父さん二人で、滝の話を聞かれたが全く分からなかった。のんびりと昼食を取り、下山ルートを考える。当初は西に下る予定だったが、大の字に刈り込まれた南に下りるのも面白そうだ。
(土留めの木段)
(東御荷鉾山を振り返る)
(西御荷鉾山頂)
(珍しく記念写真)
(西御荷鉾山からのパノラマ北側)
(西御荷鉾山からのパノラマ南側)
親子連れが上がってきたので山頂を後にする。不動明王像の立つロープの張られた辺りから急坂を下る。観光客向けなのかトラロープが煩い。ロープが終わると大の字の横に出る。下を見ると延々と長い木段が続いている。大の字は横からでは分かりにくい。木段を下っていると中高年のご夫婦が上がってきた。小母さんのほうはかなりきつそうだ。確かにこの登りはきつい。木段が終わると小石が散乱する急坂となる。植林の中を下っていくと南登山口に出た。林道脇には大きな駐車場がある。2台の車が停まっていたので、親子連れとご夫婦のものだろう。ここからは延々と車道歩きだ。
(不動明王像)
(大の字からかんなゴルフカントリー)
(南登山口への下り)
(南登山口の駐車場)
西登山口からはみかぼ高原荘へと下り、桐ノ城山分岐を見送ると高原荘の敷地が見えてきた。敷地には桃の木が植えられ、ちょうどこれから花の盛りを迎えるところであった。桃以外にも山桜やミツバツツジがまさにこれから咲かんとしている。GWの頃は花で満開となることだろう。高原荘の入口を見送ると西御荷鉾山の大の字が見えてきた。はっきりと見えるにはちょっと難しい位置のようだ。ゴルフ場を過ぎると花桃も無くなり、無味乾燥な車道歩きが続く。
(桐ノ城山分岐)
(みかぼ高原荘)
(ミツバツツジ)
(みかぼ高原荘の敷地から西御荷鉾山の大の字を望む)
(花桃)
(桜)
対岸の山が遥か上に見えるようになる頃、万場に到着。国道を挟んだ先にはかの有名な鯉幟の大群が見える。どうせバス時間には間に合うまい。ゆっくりと神流川へ下りてみることにする。寂れた万場の商店街を抜けると川沿いの遊歩道に出た。頭上には色とりどりの鯉幟。対岸には桃やミツバツツジが植えられ、木が大きく育てば彩を添えるに違いない。人道橋の上に立つと鯉に模った芝桜も植えられている。過疎の進む町の頑張りを感じる光景であった。万場のバス停で待っていると地元の子供達に挨拶される。秩父といい、万場といい、子供達が元気なのが良い。1時間ほど待ってバスに乗り込む。ついウトウトしてしまいがちだが、帰りは群馬藤岡駅で降りる予定だ。山を離れると西日に浅間山のシルエットが浮かぶ。この光景を見て暮らす人々が羨ましい。群馬藤岡駅に着くと高崎駅へ向かい、お土産を買って帰途に着いた。
(万場の鯉幟)
(鯉を模った芝桜)
西上州の中では比較的安全な山です。スーパー林道から登るのであれば初心者向け。西から東へと歩くのが楽だと思います。
2012年度版エアリアを見ると妹ヶ谷不動尊への道が破線路で、桐ノ城山から石尊山(954)を経て万場へ下る道が実線路で描かれているので、通行は可能なようです。
DATA:
新町駅(日本中央バス63分)10:11法久~11:34スーパーみかぼ林道~11:40石神峠~12:31東御荷鉾山~13:13投げ石峠
13:48西御荷鉾山~14:25南登山口~14:41桐ノ城山分岐~14:58みかぼ高原荘~16:05万場町~16:30万場バス停
(日本中央バス63分)群馬藤岡駅
日本中央バス 新町駅~法久 1000円 万場~群馬藤岡駅 1000円
なおバス車内で一日フリー乗車券(1500円)が購入できます
地形図 万場
2010年度版 山と高原地図「西上州」