アニメ。『Occultic;Nine -オカルティック・ナイン』。

2017年02月17日 | anima
ホラー、サスペンス、オカルティック。


セリフの情報量が多く、
半分もよく分からない。視聴者を置いてきぼりが、大変宜しい(笑)。


人間は死後、
魂と肉体に分離する。

魂だけの存在となれば、人は永遠の命を得る。


という事を科学的に実践する話ですが、
以前別記事で考察したように、

この実践は、火星移住と同じ理論ですし、
電気が必要、かつ、装置を破壊されれば即終了。という事まで描かれています。


人は思いが先なのだ。



科学の最先端を行く者が、挑む命題こそ、
オカルトなのだ。

オカルトを否定する者は、
科学のスピードに取り残されているに過ぎない。


この世は霊に溢れている。

あなたの歩いている地下鉄のホーム。
住んでいるアパート。

そこここに霊は存在する。


あなたが人間だと思って友達になったあの人も。



でも、


人をたくさん殺すのは、

人だ。







という話でした。
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聖徳太子の御命日。

2017年02月16日 | 日々
聖徳太子のお生まれになった日は、

旧暦で

敏達3年1月1日。

(新暦で574年2月7日)

とされています。


そして、薨御された日は、

推古30年2月22日

(新暦で622年4月8日)

です。


ちなみにこの薨御の日付は、
日本書紀には別の日付が記されています。


これまでの研究では、
日本書紀の日付が間違っているようだ。
という事らしいです。



何故そうなったかはともかく、


新暦、旧暦は関係なく、


2月22日は、ご命日。


と、思い出します。




次の年忌の年は、

2022年です。



恐らくは天皇陛下は代替わりしている事でしょう。

東京オリンピックの2年後。
日本はどうなっているでしょうか。





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死者の視点は、生者の視点。

2017年02月15日 | 日々
ネタバレです。





映画『トワイライト ささらさや』。


この作品では、
亡くなった夫の魂が、
どのような変遷を経て成仏するかが描かれています。


ファンタジー要素はご覧になられてお楽しみいただければと思いますが、
まずは、死者の視点。

夫の魂は、

主人公である妻と生まれたばかりの息子のそばから離れません。

心配でたまらないのです。

そして、
主人公と話す機会があるのですが、
自分の言いたいことだけ言って、聞きたくないことは聞かずにその機会を終えます。

俺の!俺の!

という意識なんですね。

ただ、
死者と会話をしても、しなくても、
行き着くところは何も変わらない。
というのもミソかもしれません。


それから、
自分なりに葛藤し、
最後に自分の本心を弾けさせる。

亡くなってからも、
ずっとこだわっていた出来事を、

今度は相手の視点の映像として、
映画の観客となって見せられていく。



自分は正しいと固く信じていたけれど、

相手の視点では、
やむを得ない事情や、
自分の愚かなかたくなさが同じように相手を傷つけていたこと。

自分が許していれば、
子孫はもっと愛情を受け生きる道もあったこと。

相手に愛情を与える機会を奪ったのは、自分の人生の仕返しとして相殺するものではなかった。


など、

心が溶けていき、

明るい世界へと成仏するのです。



そして、今度は本当に、
愛する家族を見守る自由を得られるのでした。



思いますのは、

自分一人で、
このような成仏を迎える魂は、少ないのではないか?
ということです。

自分のこだわりが、死後も魂のクセとして続くのなら、

ずっと、自分が正しい!

と思い込み続けて、自分を知る家族が皆亡くなってしまうまでこだわり続けていつの間にか、何十年、何百年と過ぎてしまった。

ということが、ありそうです。


その気持ちを溶かすものは、
子孫の思いやりしかないのかもしれません。


こだわりを強く持つ亡くなった魂は、
子孫の体を借りて、
怒れ〜!泣け〜!
と、喜怒哀楽を押し付けることもあるのかもしれません。


そんな魂が、

ようやく自分の死に納得して、
神の審判を受ける。

その後、

辛い世界に行ったとしたら、

その方々を癒すのは大変でしょうけれども、

全ては思いやりなのでしょう。


安心したご先祖様も、
まだ、審判の場に立てないご先祖様も、


映画のように、

かわいい子孫達のそばにいるのでしょうね。


親が子供を一生思うように。




それから。
この作品の寺田心くんが、
最高に可愛いです。

彼は失語症の役のようで、

はじめはシリアスなのですが、
後半は、喜劇になります。

なみいる先輩女優達の間にチョコンと存在し、
動いている姿が、


もう可愛いらしい


キミの可愛いらしさは、
この作品に刻まれたよ。






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アニメ。『幼女戦記』。ガン見。

2017年02月14日 | anima
この作品では、
主人公を神様(存在エックス?)が見ているわけですが、

時折、チラッと下界を覗く、と言う感じではありません。

チョー ガン見です。


もう、
常に主人公を監視しています。

目を離す瞬間などないようです。



どうやら、
我々のそばにいる存在は、
神様さえも、

我々をガン見である。



と、いう概念があるようです。


これが、
作家の創作だとしても、

興味を覚えます。



我々は、
ガン見されている。


そうかもしれません。



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アニメ。『幼女戦記』。

2017年02月13日 | anima
私はアニメを語る時、
原作を改めて知るのではなく、
アニメ作品としてどうなのか?という視点で観ています。


これは、久々に、面白い作品です。


ジャンルとしては、戦記アニメなので、
苦手な方はムリでしょう。


(ここ数年、戦記アニメが絶えることがないのも、興味深いことかもしれません)


この作品で面白いのは、

主人公は、神を信じないままこの一生を終えます。

神なのか、眷属なのかわからない「存在エックス」は、
主人公が神を信じない理由を問いかけます。

主人公の言い訳を聞いた存在エックスは告げます。


「なるほど。環境のせいで神を信じないというのだな。では、お前の言う環境に生まれさせてやろう。しかし、以後の転生はない。これが最後の転生だ」



日本でビジネスマンとして生きていた主人公は、
知らない世界に女の子として転生します。

赤子の頃から、前世の記憶を持っていた主人公は、最後の人生として全力で、できる限り手を抜ける選択肢を選べるように生きていくのです。


しかし、
主人公が望む穏やかな人生は、
出来ないように運命が動いてしまうのです。


神を信じない主人公。


神は存在するのか?

この最後の転生で、
主人公は何を得るのか?



最後の転生と自覚しているので、
主人公は全力で生きます。

ちなみに、
主人公は性根が凶悪(笑)なので、
イイ話ではありません。






現実の我々も、
今が最後の転生なのかもしれません。

ならば、

他人を見ているヒマなどないのでしょう。

どのような状況であれ、
全力で生きる。

それが日本で出来なければ、損ですね。


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