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HEY HEY MY MY

和・洋問わず音楽を聴いて、思ったこと、感じたことを時々、こそっと、書きます。

ZONE 『FINAL in 日本武道館』

2011年06月06日 | JPOP
 このブログに、彼女たちのことを書くことに多少の違和感を覚えつつ、それでも音楽の一つの形態と、そして音楽への向き合い方を考えさせてくれたバンド(ユニット)ということで。
 ZONEは、当初、ダンススクールのダンスユニットだったという。インディーズで発売されたシングル「believe in love」は札幌ではチャート1位を記録した。当時、バラエティー番組の取材で注目され、メジャーデビューした北見出身の「ホワイトベリー」が活躍していた。
 彼女たちの全国展開にあたって、ソニーミュージックは、付加価値が必要と考え、彼女たちに楽器を持たせた形態でメジャーデビューとなった。いわゆる女子バンドブームへの便乗だった。「バンドル」という造語もあわせて送り出し、彼女たちは一定の知名度を持つようになった。メジャーデビュー当時、小学生と中学生。彼女たちの芸能活動は土日と長期休業に限られていた。
 多くのタレントがそうであるように、デビューを果たすと東京へ「移住する」。大方の関係者もおそらく将来的には、東京の高校へと考えていたのではないだろうか。しかし、商業音楽の世界で「勝ち上がって行く」には、彼女たちは貧欲すぎたし、所属事務所も彼女たちの人生にそこまで関与すべきでないと判断していたのかもしれない。結局、彼女たちは地元の高校に通学した。卒業を機に解散するが、最後まで札幌と東京の往復を止めなかった。プロモーション活動にかなりの支障があったことだろう。

 出発点からして、ホワイトベリーの「二番煎じ」的に写った層からは、「演奏のできないバンド」と評され続けたが、解散後に発売されたアルバムは、オリコン1位。国内の記録ではビートルズ以来。
 先日入手した武道館のライブを観ると、多少のオーバーダビングはあるものの、(演奏のミスも含め)彼女たちの演奏が繰り広げられる。ロックバンドに女性が少ない理由は、昔は音圧(ギター、ベースの弦をはじく力など)が細いからだとどこかで聞いたことがあるが、現在の機材ではそれを感じさせることはなく、かつての「ショーヤ」を彷彿させた。

 普通の10代に戻った彼女たちの演奏を間接的にでも聞く機会はもうないだろうが、楽曲を提供し続けた町田紀彦氏と創り出した作品は、時々はオンエアーされるだろう。量産音楽の世界にあって、10代の前半の男女を対象にした純朴な作品は希有であった。そして、彼女たちにとっても、傍観者の私にとっても、地方の女子学生がアイドルたり得た、バンドたり得たということは、奇跡だったように思う。

 都会にでてしまえば、大概、地方(立脚点)を忘れて行くのだ。訛りも「矯正」され、全国共通の「商品」としてより洗練されてしまうのだ。

 DVDの最後に、スタッフらとの集合写真があるのだけれど、小さな小学生くらいの女の子も写っていて微笑ましい。誰かの家族か。その1枚で、日常の中で彼女たちがあったし、だからこそ彼女らの音楽の内容は日常のことだったのかな、と思った。

 冬になると、「白い花」をCMソングに使ったコマーシャルを思い出す。何だったけなー。

初稿 2005-11-17 23:19:19

2011年8月に、1か月限定で再結成されることが発表された。

Zone Final Live in Nippon Budokan - 卒業 Sotsugyou (Chapter 30)



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