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時の関守

地上に神が降りるとき (2)

芹沢(せりざわ)先生については、少し注釈(ちゅうしゃく)が必要かもしれません。
私は学生のとき、「人間の運命」14巻を読みましたが、
こんなにも長い大河小説を読んだのは、
後にも先にもはじめてのことでした。

不思議と飽きることなく、読み続けてしまうような、読みやすさがありました。
「人間の運命」を読んだとき、
正直、
宗教文学という分野があれば、最高傑作だと思いました。
ちょうどその頃、
ドストエフスキーのほぼ全作品、トルストイの「戦争と平和」を読んで、
根底に神、信仰がベースにあって、そこに作品としての深みを感じていましたので、
日本文学にはそこが欠けているなどと、なまいきにも思っておりました。

しかし、
芹沢先生の日本での評価は、
私からみれば低いものです。
そんな先生が死を目前にしたとき、
神が先生のまえに現れ、
神が望む作品を書くようにとうながされます。

神の三部作、人間の三部作と、90歳代の作家が、
作品をつぎつぎと発表したのですから、神が現れたのだといわれても、あながち否定できないでしょう。

芹沢先生のいうとおり、
これが神に書かされたものであっても、もしくは、そうでなくても、
その文学的価値は変わらないと私は思っております。
また、このシリーズは予言書としても、
そして、
宗教とは何かということについても、かなり本質的な議論をしていますので、
一般の人たちの素朴(そぼく)な疑問にも、充分のな解答を与えてくれています。
素朴に読みやすく書いていますが、内容自体はとても高度な宗教書といっていいでしょう。

では、なぜ、先生のもとに神が現れたのでしょうか?
その大きな理由の一つが、
先生の前世(ぜんせい)が、キリスト教のヨハネであり、ヨハネが神のために三冊の書物を書いたように、三冊の書物を書くようにと命じるためだったのだといいます。


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