goo blog サービス終了のお知らせ 
見出し画像

時の関守

命について語ってみよう (3)

所用で車に乗っているとき、エルトン⋅ジョンの「僕の歌は君の歌」を、聞いていました。
この歌の素朴(そぼく)なメロディ、歌声を聞いていたら、無意識に頭のなかに、ある妄想(もうそう)がわいてきました。

ここは天国なのだろうか、それともあの世なのかもしれない。
雲の上なのだろうか、そうでない気もする。
今までそこで戦っていた相手、血で血を洗っていた相手が目の前にいます。
でも、どちらも普段着ですし、武器も持っていませんから、ちょっと戸惑(とまど)った表情をしています。
一人が話しかけるでもなく、独(ひと)り言のようにつぶやきます。

「あのときは悪かったな。すまんな。…あの戦争、あの憎しみあった現実がすべて幻だったなんて、あのときは思いもしなかった。」
少しして、もう一人も、かすれ声で、言葉もしぼりだすように答えます。
「ああ。ほんとうに夢をみていただけだなんて…。言葉にならないよ。こちらこそ、わるいことをしたよ。」
どちらも、それ以上は言葉にならず、目の前の相手が自分の瞳に映っているのですが、心はそこにありません。

一人は直前の自分が生きた生(せい)で、自分がパイロットとして爆撃した建物には多くの民間人がいたこと。
そこで母親と父親を失った息子が、復讐(ふくしゅう)を心に誓ったこと。
その復讐を誓った子供が送った日々を、その命がつきるまで(その子供の立場になって)体験させられたこと。
それらのことを、今の今まで体験していたばかりでした。
そして、目の前の男性が、その少年であったことがすぐわかりました。

また、爆撃で子供を失った親のなげき、葛藤(かっとう)を、その祖母、祖父の心まで、(その立場て)同じように体験させられ、そのショックはさながら、地獄の審問(しんもん)がそうであろうと思ったこと。
ただこの二人の男性は、これらの体験を受け入れるだけの心の強靭(きょうじん)さを持っていました。
生きているとき、やむにやまれず行動しながらも、悩み葛藤していたことが役にたちました。

この話しは、私の頭のなかに浮かんだ妄想です。それに少し脚色しました。
でも、これはほんとうに妄想なのでしょうか…。
私は、国を守るためには戦争も仕方(しかた)なし、その戦争の過程で罪なき多数の人が亡くなっても仕方なし、核で地球を滅ぼしても仕方なし、それが現実なんだと考えている方が、よっぽど妄想を生きているのだと思います。

命とは、私たちが思っている以上、または想像だにしていないようなものなのかもしれない。
そして、私たちの命がなくなったと思った瞬間から、そのほんとうの姿を現すのかもしれない。

もしそうであれば、かぎりない命しか想定していない私たちが、命を粗末(そまつ)にするのは当然のことなのでしょう。
命は限りがあって、粗末なのだから、(自分の)粗末で心細い命を守るためには、(相手の)粗末な命は殺してもよい。
限りある命を想定するということは、そんなことなのではないでしょうか。

命は粗末にするものではなく、煌(きら)めかすものである。
煌めかせるためには、天にあるかのごとく命をあつかうということなのだと思います。
天にあるかのごとくあつかうということは、それが必要なときは、命を投げだすことができるということなのだと思います。
命は永遠なのだから…




コメント一覧

1948219suisen
私も、この世に生きる命には限りがありますが、霊は永遠と思っています。だからこそ、人を殺してはいけないし、人の霊を傷つけることはしてはいけないと思います。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る